焼いた肉や燻製食品、加工食品など、私たちが日常的に口にしている食品の中には、発がん性が懸念される化学物質が微量ながら含まれている可能性があります。
特に高温で調理された食品では、「PAHs(多環芳香族炭化水素)」と呼ばれる化合物が生成されることが知られており、一部は発がん性を持つ可能性があるとして長年研究が続けられてきました。
2025年、韓国のソウル国立科学技術大学(ソウルテック)食品科学・バイオテクノロジー学科の研究チームは、食品中に含まれるPAHsを、従来よりも迅速かつ効率的に検出できる新たな分析手法を報告しました。
この研究では、複雑だった従来の分析工程を簡略化しながらも、高い精度で有害化学物質を検出できることが示されました。
さらに、実際の食品サンプルを分析した結果、大豆油やアヒルの肉などから比較的高いPAH濃度が確認されたことも報告されています。
ただし、現時点では「PAHsを含む食品を食べることが、直接的に人間のがん発症につながる」と断定されたわけではありません。
動物実験では発がん性が示されている一方で、人間を対象とした研究では結論が完全には一致しておらず、依然として議論が続いています。
それでも、食品中の有害物質をより正確に測定できる技術の重要性は高まっています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Scientists uncover cancer-causing chemicals hidden in everyday foods(2026/05/22)
参考研究)
・QuEChERS method development for the GC–MS analysis of polycyclic aromatic hydrocarbons in food(2025/06/05)
PAHsとは何か

研究で注目されたPAHs(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons:多環芳香族炭化水素)は、複数のベンゼン環が結合した疎水性有機化合物です。
・疎水性=水に溶けにくい性質
PAHsは、以下のような状況で発生しやすいとされています。
・肉を高温で焼く
・炭火や直火で調理する
・食品を燻製加工する
・油脂が炎に落ちて煙が発生する
米国国立がん研究所(NCI)によると、肉の脂や肉汁が高温の金属面や炎に落下すると煙が発生し、その煙に含まれるPAHsが食材表面へ付着しやすいとしています。
さらにPAHsは、食品意外にも、タバコの煙、自動車の排気ガス工業由来の煙などにも含まれることが知られています。
今回研究対象となったPAHsには、以下の8種類が含まれていました。
・Benzo[a]anthracene(ベンゾ[a]アントラセン)
PAHs(多環芳香族炭化水素)の一種で、加熱や燃焼によって発生します。動物実験ではDNA損傷や発がん性が報告されており、長期曝露によって細胞変異リスクが高まる可能性があります。国際がん研究機関(IARC)では「発がん性の可能性がある物質」に分類されています。
・Chrysene(クリセン)
石炭燃焼や燻製食品、排気ガスなどから発生するPAHs。
単独では比較的弱い発がん性と考えられているが、代謝産物がDNAへ結合し、細胞障害を引き起こす可能性がある。
長期的には肝臓や肺への影響が懸念されている。
・Benzo[b]fluoranthene(ベンゾ[b]フルオランテン)
高温調理や煙によって生成されやすい化合物。動物研究では発がん性が示されており、特にDNA損傷や酸化ストレス(活性酸素による細胞障害)との関連が指摘されている。
呼吸器や消化器への影響が懸念されている。
・Benzo[k]fluoranthene(ベンゾ[k]フルオランテン)
Benzo[b]fluorantheneと近い構造を持つPAHs。比較的毒性は低めとされる一方、長期曝露では遺伝毒性(DNA異常を引き起こす性質)が報告されている。
燃焼食品や大気汚染経由で曝露する可能性がある。
・Benzo[a]pyrene(ベンゾ[a]ピレン)
最も有名なPAHsの1つで、強い発がん性が知られている。IARCでは「ヒトに対して発がん性がある(Group 1)」に分類されている。
炭火焼き肉、タバコ煙、自動車排気ガスなどに含まれ、DNA変異を引き起こして肺がん、皮膚がん、消化器がんなどのリスク増加と関連している。
・Indeno[1,2,3-cd]pyrene(インデノ[1,2,3-cd]ピレン)
化石燃料燃焼や高温調理で生成されるPAHs。発がん性や変異原性(遺伝子変異を起こす性質)が疑われており、慢性的な曝露によって細胞機能異常や炎症を促進する可能性がある。
・Dibenz[a,h]anthracene(ジベンゾ[a,h]アントラセン)
PAHsの中でも特に強い発がん性を持つ可能性がある物質。動物実験では皮膚がん、肺がん、肝臓がんとの関連が報告されている。
DNAへ直接結合しやすく、細胞の正常な複製を妨げると考えられている。
・Benzo[g,h,i]perylene(ベンゾ[g,h,i]ペリレン)
排気ガスや煙などに多く含まれるPAHs。他のPAHsと比べると発がん性データは限定的だが、大気汚染の指標物質として使われる。
酸化ストレスや慢性炎症への関与が示唆されているが、人体への影響についてはまだ不明点を残している。
特にBenzo[a]pyreneは、PAHsの中でも代表的な発がん性指標物質として知られています。
従来の食品検査には大きな課題があった
食品中のPAHsを測定することは簡単ではありません。
従来は、固相抽出法(solid phase extraction)、液-液抽出法(liquid liquid extraction)、加速溶媒抽出法(accelerated solvent extraction)などの方法が用いられてきました。
しかし、これらの方法には複数の問題点がありました。
まず、分析前の前処理に時間がかかる点です。
食品は脂質やタンパク質など多様な成分を含んでいるため、目的物質だけを抽出するには煩雑な工程が必要でした。
また、多量の有機溶媒を使用することから、研究者や検査担当者の化学物質曝露リスクも問題視されていました。
さらに、廃液処理による環境負荷やコスト増加も課題でした。
こうした背景から、近年注目されているのがQuEChERS法です。
QuEChERS法とは
QuEChERSとは、
Quick(迅速)
Easy(簡便)
Cheap(低コスト)
Effective(効果的)
Rugged(頑健)
Safe(安全)
の頭文字を取った分析手法です。
もともとは農薬残留分析で広く使われるようになった技術ですが、近年では食品汚染物質の分析にも応用が進んでいます。
この方法の以下の特徴があります。
・前処理が簡略化される
・化学溶媒の使用量を減らせる
・分析時間を短縮できる
・高い回収率を維持できる
「回収率」とは、食品中に存在する化学物質を、どれだけ正確に取り出せるかを示す指標です。
ソウルテック研究チームの分析内容
研究を主導したJoon-Goo Lee教授率いる研究チームは、このQuEChERS法を利用して、食品中の8種類のPAHsを測定しました。
研究ではまず、アセトニトリルという有機溶媒を用いてPAHsを抽出しました。
その後、異なる吸着剤(sorbent)の組み合わせを比較しながら、不純物除去効率を検証しています。
研究チームは、複数の食品マトリックスで分析精度を確認しました。
「食品マトリックス」とは、食品を構成する脂肪・糖質・タンパク質などの複雑な成分環境を意味します。
高い分析精度が確認された
今回の研究では、分析精度の高さも大きな特徴でした。
8種類すべてのPAHsにおいて、検量線のR²値は0.99を超えていました。
R²値とは、測定値の直線性や信頼性を示す統計指標です。
1.0に近いほど、測定の信頼性が高いことを意味します。
さらに、ガスクロマトグラフィー質量分析法による測定では、検出限界:0.006〜0.035 µg/kg、定量限界:0.019〜0.133 µg/kgという非常に高感度な結果が得られました。
物質の存在を識別できる最低濃度や正確な数値として測定可能な最低濃度がより正確に測れることが示されています。
また、回収率も非常に良好でした。
・5 µg/kg条件:86.3〜109.6%
・10 µg/kg条件:87.7〜100.1%
・20 µg/kg条件:89.6〜102.9%
精度誤差も0.4〜6.9%と低く、分析法として安定していることが示されました。
最も高濃度だったのは「大豆油」

研究では実際の食品分析も実施されました。
その結果、最も高いPAH濃度が確認されたのは大豆油でした。
アヒルの肉、キャノーラ油などでも比較的高い濃度が確認されています。
ただし、この結果については注意が必要です。
研究では特定地域・特定サンプルを対象としているため、「すべての大豆油が危険」という意味ではありません。
製造方法、加熱条件、原材料、保管環境などによってPAH濃度は大きく変動する可能性があります。
また、今回の研究は主に「分析法の有効性」を示すことが目的であり、食品摂取による健康被害リスクを直接評価した研究ではありません。
その後の研究でも応用が拡大
2025年には、QuEChERS法を応用した追加研究も報告されています。
ある研究では、302種類の市販食品を対象にPAHsを測定しました。
その結果、日本の「削り節」で4種類のPAHs濃度が最も高かったと報告されています。
さらに、「焼き鳥の鶏足」が欧州食品安全機関(EFSA)の曝露マージン評価で健康上の懸念対象になる可能性も示されました。
「曝露マージン(Margin of Exposure)」とは、安全性評価で使われる概念で、人がどの程度危険物質へ曝露しているかを示します。
別の研究では、シリアル食品や穀物加工品も調査されました。
ルーマニア市場の96種類の穀物サンプルと18種類の加工食品を分析した結果、一部でChryseneが検出されたものの、加工食品ではPAHsは定量されませんでした。
これらの研究から、PAHs汚染は食品カテゴリーによって大きく異なる可能性が示唆されています。
なぜ食品ごとの検査が重要なのか

PAHs濃度は、調理方法、燻製工程、使用油脂、加熱温度、食材の種類、環境汚染など多くの要因で変化します。
例えば、同じ肉でも、炭火焼きなのか、フライパン調理なのか、低温調理なのかによって生成されるPAHs量は異なります。
そのため、一律に「危険食品」を決めるのではなく、食品ごとの詳細な測定が必要になります。
今回のような高速分析法が普及すれば、食品メーカー、行政機関、研究機関が、より効率的に安全性評価を行えるようになる可能性があります。
つまり今回の研究は、単なる分析技術の改良ではなく、食品安全性向上、検査コスト削減、研究者の安全性向上にもつながる可能性を持っています。
過度に恐れる必要はない
今回の記事で最も重要なのは、「PAHsが検出された=直ちに危険」という意味ではない点です。
現在までの研究では、動物実験では発がん性が確認さているものの、人間研究では結論が一定していないという状況です。
また、PAHsは完全にゼロへ排除することが難しい環境汚染物質でもあります。
そのため現実的には、極端な焦げを避ける、燻製食品を過剰摂取しない、調理法を偏らせない野菜や食物繊維を十分摂るといった、総合的な食習慣管理が重要になります。
特定食品だけを過度に恐れるよりも、長期的な食生活全体を見直す視点が大切です。
最後に、今回の研究は「食品中の有害物質を、より正確に把握する技術」が進歩していることを示しています。
これは、食品そのものを恐れるためではなく、より安全な食品製造や調理法を実現するための重要なステップです。
私たちの生活では、焦げた部分を頻繁に大量摂取しないことや、炭火焼き・燻製食品ばかりに偏らないことが現実的な対策になります。
また、加工食品だけに依存せず、野菜や果物を含む多様な食事を意識することも重要です。
食品安全研究は今後さらに進展していくと考えられますが、現時点では「特定食品を完全に避ける」というよりも、バランスの取れた食生活と適切な調理習慣を維持することが、最も現実的で信頼性の高い健康管理法といえるでしょう。
まとめ
・高温調理や燻製食品では、発がん性が懸念されるPAHsが生成される可能性がある
・ソウルテック研究チームは、PAHsを迅速・高精度で検出できるQuEChERS法を改良した
・ただし、人間における発がんリスクは完全には確立されておらず、過度な不安よりバランスの良い食生活が重要

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