歴史鉄血宰相と呼ばれた男~ビスマルク①~ かつてのドイツ帝国宰相ことオットー・フォン・ビスマルク。 ドイツ帝国以前のプロイセン王国のリーダー(首相)として豪腕を奮い、「鉄血宰相」の異名を持つ人物です。 プロイセン王国首相→北ドイツ連邦首相→ドイ...2021.09.26歴史
神話【ギリシャ神話:ヘラクレス編⑧】ディオメデスの人食い馬 の続き…。 第八の試練:ディオメデスの人食い馬の捕獲 次の試練は、トラキア王ディオメデス(ヘラクレスと同じく半神半人)が飼っている牝馬を連れてくることでした。 ・ディオメデスの牝馬(ひんば...2021.09.01神話
神話【ギリシャ神話:ヘラクレス編⑦】クレタ島の牡牛に恋するパシパエ の続き…。 第七の試練:クレタ島の牡牛(おうし)の生け捕り ヘラクレス与えられた次の試練は、ポセイドンに捧げる牡牛の生け捕りです。 ・クレタ島の牡牛とは…? この牡牛は、クレタ島の王...2021.09.01神話
歴史喧嘩屋オットー、政界に進出する~ビスマルク②~ の続き…。 ビスマルクの政界進出 ルートヴィヒ・ゲルラッハ ゲラッハ ヤツは見込みがある。 ビスマルクを政界に進出させたのは、当時のプロイセン王国の政治家であり将軍であったゲルラッハでし...2021.09.27歴史
歴史鉄血政策!~ビスマルク④~ の続き…。 鉄血政策~憲法の不備~ プロイセン国王ヴィルヘルム一世 ヴィルヘルム一世 軍備を拡張せよ! 保守派で政治的にも有能なビスマルク。 ヴィルヘルム国王の意向を受け、本...2021.09.29歴史
歴史ケーニッヒグレーツの戦い!~ビスマルク⑤~ の続き…。 ドイツ連邦から議長国のオーストリアを除外することを明言したプロイセン。 1866年5月12日、遂にオーストリアがプロイセンに対し宣戦布告。 これに呼応する形でプロイセ...2021.09.30歴史
歴史鉄血宰相の誕生~ビスマルク③~ の続き…。 ドイツ連邦議会にプロイセン大使として出向いたビスマルク。 当時の議会はオーストリアが支配していたと言っても過言ではなく、議長のオーストリア大使が座るまでは他の国の大使は座ることができ...2021.09.28歴史
雑記アーカイブサイト100記事更新!記事ピックアップ 教養と雑学をまとめたサイトが早くも100記事更新。 過去記事の紹介も兼ねて、アクセス数が高い記事をピックアップしました。 「オーストリア皇太子夫妻が殺された」だけではもったいない~サラエボ事件(前半)~...2021.09.27雑記
雑記居酒屋で発見した謎の紙幣~軍用手票~ 先日お邪魔した居酒屋で、馴染みのないお札が飾られているのを発見。 手が写っちゃってる… 一体何であるかと店員のおばあさんに話を聞いたところ、戦時中に軍で使っていたお札だということでした。 はえ~と...2021.09.25雑記
歴史「オーストリア皇太子夫妻が殺された」だけではもったいない~サラエボ事件(後半)~ の続き…。 皇太子夫妻としてサラエボの視察の許可が下りたフェルディナントとゾフィ。 日にちは結婚14周年である1914年6月28日。 この6月28日という日が悪夢を引き起こしてし...2021.09.24歴史
歴史「オーストリア皇太子夫妻が殺された」だけではもったいない~サラエボ事件(前半)~ 今回は、どういうわけか生徒たちからの反応が良かった「サラエボ事件」をまとめていこうと思います。 サラエボ事件といえば、第一次世界大戦のきっかけとなった“オーストリア皇太子夫妻がセルビアの青年によって殺害された事件”ですね。...2021.09.23歴史
歴史磁気から電気を作った男~ファラデーの電磁誘導~ ロンドンの貧しい鍛冶屋の息子として生まれたファラデーは、幼い頃から新聞配達や製本の手伝いをして働き始めます。 その仕事ぶりは見事なもので、雇い主から一目置かれるほどでした。 ファラデーは特例として製本した本...2021.09.22歴史科学
科学恒星をエネルギーに変えるアイデア~ダイソンスフィア~ 生物の進化はエネルギーの進化とも言えます。 原核生物から始まり、他を捕食しエネルギーを得る。 火を使うようになったのも、生物の歴史で言えばつい最近です。 今では核をも利用し画期的なエネルギー...2021.09.22科学
音楽キング・オブ・スウィング~ベニー・グッドマン~ さて今回はある音楽と奏者の紹介。 この曲どこかで聞いたことありませんか? ベニー(ベンジャミン)・グッドマンの代表曲である「シング・シング・シング」です。 ベニー・グッドマン(1909年5...2021.09.21音楽
哲学早すぎた原子論者~デモクリトスの原子論~ 原子の組み合わせで物が形作られていることは、今となっては当たり前のことです。 哲学が始まったばかりの2400年以上も前、 「この世は原子でできている」 と論じた哲学者がいました。 彼の名はデモク...2021.09.20哲学