「ストレスは気の持ちよう」「病は気から」といった、心理的な負担と病気のリスクに関する言葉を耳にしたことがある人は少なくないでしょう。
最新の研究は、心理的ストレスが単なる精神的現象ではなく、私たちの体内で急速な化学反応を引き起こし、血液そのものの性質を変化させる可能性があることを示しています。
イギリスのサウスウェールズ大学の研究チームは、健康な若年男性を対象に心理的ストレスを人工的に誘発する実験を行い、わずか数分間のストレスによって、体内の酸化ストレスが急増し、血液が血栓を形成しやすい状態へと変化することを明らかにしました。
研究では、ストレスによって血液が単純に「濃くなる」のではなく、血栓そのものの微細構造が変化し、より大きく、より密で、よりフィブリンに富んだ血栓が形成されやすくなることが確認されました。
この発見は、長年知られてきた「ストレスと心血管疾患との関連」を説明する重要な生物学的メカニズムになる可能性があります。
ただし、この研究は健康な若年男性8人のみを対象としており、結果を一般化するにはさらなる検証が必要です。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・What happens to your blood when you’re stressed? We put it to the test(2026/06/25)
参考研究)
・Psychological stress catalyses free radical–mediated activation of coagulation in humans(2026/04/25)
ストレスはなぜ心臓に悪いのか

慢性的なストレスが心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患リスクを高めることは、これまで数十年にわたる疫学研究によって繰り返し示されてきました。
しかし、「精神的なストレスがどのようにして身体の病気を引き起こすのか」という根本的なメカニズムは、完全には解明されていませんでした。
私たちの体には、止血機構(出血を防ぎつつ血流を維持するシステム)が存在します。このシステムは、必要なときだけ血液を固め、通常は血液を流動的に保つという精密なバランスの上に成り立っています。
しかし、心理的ストレスを受けると、このバランスが崩れ、血液が通常よりも固まりやすい過凝固状態(血栓が形成されやすい状態)へ移行することが知られていました。
これまで研究者たちは、ストレスによる炎症反応、血圧上昇による血液濃縮、自律神経系の変化などが原因ではないかと考えてきました。
しかし、今回の研究チームは、これらよりもさらに上流に位置する因子として、酸化ストレスに注目しました。
活性酸素が「マスタースイッチ」なのではないか
研究チームが着目したのは、酸化ストレス(活性酸素などの反応性分子が過剰に産生される状態)です。
心理的ストレスを感じると、脳の視床下部-下垂体-副腎系(HPA軸:ストレス反応を制御する内分泌システム)が活性化され、コルチゾールやアドレナリンなどのストレスホルモンが分泌されます。
これに伴い、ミトコンドリア活動の変化、活性酸素( ROS)の増加、細胞内酸化反応の亢進が起こると考えられています。
研究者らは、「急性の心理的ストレスが活性酸素の産生を引き起こし、それが血液凝固系を直接変化させているのではないか」という仮説を立てました。
健康な若年男性を対象にした精密実験

研究には、18~30歳の健康な男性8人が参加しました。
対象者数が少ないと感じるかもしれませんが、この研究の目的は集団全体の傾向を調べることではなく、人間の体内で起きている生理学的メカニズムを精密に解析することにありました。
参加者は、1週間の間隔を空けて2回研究施設を訪れました。
1回は安静状態で過ごし、もう1回は、心理学研究で最も広く用いられる急性ストレス誘発法であるトリアー社会的ストレステスト(Trier Social Stress Test:TSST)を受けました。
実際に行われたストレス負荷
参加者は以下の社会的に強いストレスを課されました。
・5分間でスピーチを準備する
・カメラと無表情の審査員の前で発表する
・発表直前にメモを回収される
・2003から17ずつ逆算する暗算課題を行う
・間違えるたびに最初からやり直す
この試験は、実生活におけるプレゼンテーションや面接、試験などの心理的プレッシャーを再現する目的で設計されています。
血液中の活性酸素が急増した
研究チームは、採血した血液からアスコルビルラジカルを測定しました。
これはビタミンCが酸化された際に生成される分子であり、体内の酸化ストレスを比較的直接的に反映する指標と考えられています。
測定には、電子常磁性共鳴分光法(EPR spectroscopy:フリーラジカルを直接検出する高感度測定法)が用いられました。
その結果、ストレス負荷後にはアスコルビルラジカルが有意に増加(P=0.042)していることが確認されました。
これは、人間が短時間の精神的ストレスを受けるだけで、体内の酸化ストレスが急速に高まることを直接示した初めての証拠となりました。
血栓の「質」が変化していた

今回の研究の最大の特徴は、単に血液検査を行っただけでなく、形成される血栓の構造そのものを解析した点にあります。
研究者らは、フーリエ変換レオロジー(Fourier transform rheology:血栓の構造を解析する特殊な物理学的手法)を用いて、フラクタル次元(Df)を測定しました。
フラクタル次元は、血栓がどれだけ複雑で密な構造を形成しているかを示す指標です。
結果として、ストレス負荷後にはDfが有意に上昇(P=0.008)しました。
これは形成された血栓が、より大きく、より密度が高く、よりフィブリンが多く、より分解されにくい傾向にあることを意味しています。
活性化されたのは「内因系凝固経路」
研究チームは、一般的な凝固検査も実施しました。
その結果、aPTT(活性化部分トロンボプラスチン時間)が短縮、PT(プロトロンビン時間)は変化なし、Dダイマーは変化なしという特徴的な結果が得られました。
これは、心理的ストレスによって、主に内因系凝固経路(intrinsic coagulation pathway)が活性化されたことを示しています。
一方でDダイマーが増加していなかったことから、実際に大量の血栓が形成されたわけではなく、「血液が血栓を作りやすい準備状態になった」と解釈するのが適切と考えられます。
「血液が濃くなる説」は支持されなかった
研究者らは、ストレスによる血液粘度も測定しました。
その結果、血液の粘度には有意な変化は認められませんでした。
これは、従来の「血液濃縮仮説」を支持しない結果です。
つまり、ストレスは血液の量を変えるのではなく、血栓そのものの質と構造を変化させる可能性が高いことが示唆されたのです。
この研究の限界
今回の研究は非常に興味深い結果を示しましたが、いくつかの重要な限界があります。
まず、被験者は8人のみ、全員が健康な若年男性、実験室内の急性ストレスのみを評価という条件で行われています。
そのため、女性、高齢者、糖尿病患者、心血管疾患患者、慢性的なストレスを抱える人にも同じ現象が起こるかどうかは、現時点では明らかではありません。
また、この研究は、ストレスが心筋梗塞や脳卒中を直接引き起こすことを証明した研究ではありません。
あくまで、ストレスが血液を「血栓が形成されやすい方向」に変化させる可能性を示した研究として理解する必要があります。
とは言え、この研究は「ストレスは気持ちの問題に過ぎない」という考え方に重要な修正を迫るものです。
心理的ストレスは、脳内だけで完結する現象ではなく、数分以内に血液の性質を変えるほど強力な生理学的反応を引き起こす可能性があります。
現時点では、抗酸化サプリメントや薬剤によって、この反応を防げるかは明らかになっていません。
しかし、
・十分な睡眠
・定期的な運動
・過度な飲酒や喫煙の回避
・リラクゼーション法の実践
・慢性的なストレスの早期対処
は、心血管リスクを減らすうえで依然として重要だと考えられます。
まとめ
・急性の心理的ストレスは、数分以内に酸化ストレスを増加させ、血液を血栓形成しやすい状態へ変化させる可能性が示された
・ストレスは血液を濃くするのではなく、血栓の微細構造そのものを変化させる可能性があることが分かった
・今回の研究は健康な若年男性8人を対象とした予備的研究であり、今後はより大規模かつ多様な集団での検証が必要


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