人類の歴史において、がんは近代以降に顕著な増加を見せた病気として知られています。
その背景には平均寿命の飛躍的な延伸や診断技術の向上がありますが、同時に高脂肪・高カロリーな食事をはじめとする生活習慣の変化が深く関係しています。
食事によって体内で作られる二次胆汁酸の一種であるデオキシコール酸は、細胞の遺伝子に損傷を与え、がん化を引き起こす一因となることが分かってきました。
本記事で参照する研究論文は、スウォンジー大学などの研究グループによって2007年に国際学術誌に発表された基礎研究です。
この論文のエビデンスレベルは、培養細胞を用いた実験室レベルの基礎研究(試験管内実験)に位置づけられます。
人間を対象とした臨床試験や疫学研究ではないため、実験室で観察された現象がそのまま直ちに人間の体内で100パーセント同じように起こるとは断定できません。
しかし、生活習慣の変化がどのような分子メカニズムを経て細胞のがん化につながるのかを解明する上で、極めて重要な学術的根拠を提供しています。
本研究では、胃酸抑制剤の投与だけでは防ぎきれない胆汁酸特有の危険性と、抗酸化物質による細胞保護の可能性が結論づけられています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考研究)
人類史におけるがんの増加と生活習慣の変化

がんという病気は古代の遺骨やエジプトの古文書にも記録が存在しており、決して近代に突入してから突然現れた未知の病気ではありません。
しかし、社会全体の中でがんが死因の主要な位置を占めるようになったのは近代以降のことです。
この背景には、医療や公衆衛生の発達によって人類の平均寿命が延びたという事実が存在します。
がんは細胞の遺伝子に生じた傷が長期間にわたって蓄積することで発症するため、高年齢に達する人々が増えたことが患者数の絶対値を押し上げる最大の要因となりました。
その一方で、近現代における食生活の急速な欧米化や身体活動量の低下も、特定のがんを激増させる要因となっています。
特に高脂肪な食事や過剰なエネルギー摂取は、消化器官の働きに大きな変化をもたらしました。
脂肪分の消化を助けるために肝臓から分泌される胆汁酸は、腸内細菌によって分解されると二次胆汁酸と呼ばれる強い刺激性を持つ物質に変化します。
この二次胆汁酸が継続的に細胞に接触することが、大腸や食道におけるがん化の引き金となることが明らかになってきました。
胆汁酸とデオキシコール酸

専門的な言葉の整理として、胆汁とは肝臓で作られ、十二指腸に分泌される消化液のことです。
食事に含まれる脂質を乳化し、小腸で吸収しやすい形に変える役割を担っています。
肝臓で直接作られた胆汁酸は一次胆汁酸と呼ばれますが、これが腸内に到達すると、腸内細菌の代謝作用によって二次胆汁酸へと変性します。
この二次胆汁酸の代表例がデオキシコール酸です。
デオキシコール酸は、強い界面活性作用を持つ化合物であり、高脂肪な食事を多く摂ることで体内での生成量が増加します。
近年の研究により、デオキシコール酸は単に消化を助けるだけでなく、高濃度で細胞に作用すると細胞膜を物理的に傷つけたり、細胞の内部構造にストレスを与えたりする不都合な性質を持つことが分かっています。
論文が解明したデオキシコール酸の遺伝毒性
研究者は、胃食道逆流症の患者において、胃酸だけでなく十二指腸から逆流してきた胆汁が食道粘膜に与える影響に着目しました。
逆流した胆汁酸に含まれるデオキシコール酸が、食道の細胞に対してどのようなダメージを与えるかを検証するため、人間の食道由来の細胞を用いて詳細な実験が行われました。
ここで重要な専門用語となるのが遺伝毒性です。
遺伝毒性とは、化学物質などが細胞の設計図であるDNAや染色体に直接働きかけ、切断や構造の変化、突然変異を引き起こす性質を指します。
DNAに傷がつくと細胞は正常な機能を失い、異常な増殖を繰り返すがん細胞へと変化するリスクが高まります。
実験の結果、デオキシコール酸は非常に強力な遺伝毒性を発揮し、食道細胞のDNAに激しい損傷を与えることが確認されました。
細胞内に微小核と呼ばれる異常な核の断片が形成される現象が観察され、これは染色体が正しく分配されずに不具合を起こした明確な証拠となります。
酸性環境と中性環境における毒性の発現
従来の研究や一般的な医学の認識では、食道粘膜が傷つく主な原因は強力な胃酸によるものだと考えられてきました。
そのため、臨床現場では胃酸の分泌を強力に抑えるプロトンポンプ阻害薬などの投薬治療が広く行われています。
しかし、研究者は液体の酸性度を示すpHの値を変化させ、中性の環境と酸性の環境の両方でデオキシコール酸の毒性を測定しました。
その結果、デオキシコール酸は強力な酸性の状態はもちろんのこと、胃酸がほとんど含まれない中性の状態であっても変わらず強力な遺伝毒性を発揮することが判明しました。
この発見は極めて重要な意味を持っています。
薬によって胃酸を十分に抑え、胸やけなどの症状が消えていたとしても、十二指腸からの胆汁の逆流自体が続いている限り、デオキシコール酸によるDNAへの攻撃は防ぎきれないことを示唆しているためです。
酸対策だけに頼る従来のがん予防アプローチには大きな死角が存在することが、この実験によって証明されました。
活性酸素種を介したDNA損傷のメカニズム
では、デオキシコール酸はどのようにして離れた場所にあるDNAを攻撃するのでしょうか。
研究者はその媒介者として活性酸素種の存在を特定しました。
活性酸素種とは、体内で呼吸や代謝の過程で生じる非常に反応性の高い酸素化合物の総称であり、適量であれば免疫機能などを助けますが、過剰に存在すると強烈な酸化力を発揮して細胞内のタンパク質や脂質、DNAを攻撃して痛めつけます。
デオキシコール酸が食道細胞に接触すると、細胞内で過剰な活性酸素種が一気に発生します。
この急増した活性酸素種が細胞の核に侵入し、直接的にDNAの鎖を切断したり変性させたりすることで、遺伝毒性を引き起こしていることが解明されました。
さらに研究者は、この反応を裏付ける実験として、強い抗酸化作用を持つビタミンC(アスコルビン酸)を事前に細胞へ投与する検証を行いました。
抗酸化作用は、有害な活性酸素種を中和して消去する能力を指します。
ビタミンCを添加した環境下では、デオキシコール酸を作用させても活性酸素種の発生が抑えられ、DNAの損傷や微小核の形成が大幅に抑制されることが確認されました。
この結果は、デオキシコール酸による細胞障害が活性酸素種を介したものであることの動かぬ証拠となると同時に、がん化を防ぐための新たな治療方針の可能性を示しています。
バレット食道と食道がんへの進行リスク
胃食道逆流症が長期間にわたって慢性化すると、食道本来の粘膜細胞が胃や腸のような粘膜細胞へと変化してしまうバレット食道という病態を引き起こします。
バレット食道は、正常な食道粘膜に比べて食道がん(腺がん)を発症する危険性が非常に高い状態として知られています。
今回の研究結果は、バレット食道の患者において、逆流した胆汁中のデオキシコール酸が継続的に細胞のDNAを傷つけることが、がん化への決定的なステップになっていることを提示しました。
単に酸による炎症を抑えるだけでなく、活性酸素種による酸化ストレスを軽減する抗酸化療法を組み合わせることが、バレット食道から食道がんへの悪化を防ぐ上で極めて有望な戦略となり得ます。
事実関係が曖昧な点と今後の課題
本研究は試験管内で培養された細胞を用いた基礎実験であるため、実際の生体内における複雑な環境を完全に再現できているわけではありません。
体内の環境では、粘膜を覆う粘液層の存在や血液循環、多様な酵素の働きが存在するため、デオキシコール酸が実際の患者の食道粘膜に到達する際の正確な濃度や暴露時間については、まだ検証の余地が残されています。
また、ビタミンCなどの抗酸化物質を口から摂取した場合に、どれほどの量が食道粘膜に届き、実際にがん予防効果を発揮するかという点についても、今後の臨床試験による確認が必要です。
基礎研究で観察された効果がそのまま人間の体内での効果に結びつくかどうかは、現時点では慎重に見極める必要があります。
デオキシコール酸と活性酸素種を最小限に・・・

本研究から得られた知見を私たちの日常の生活習慣に当てはめて考えると、体内のデオキシコール酸の過剰な生成を抑え、活性酸素種によるダメージを最小限に食い止める工夫が求められます。
第一に、脂質の多い食事の摂り過ぎに注意することが挙げられます。
脂っこい食事を過剰に摂取すると、脂質を消化するために大量の胆汁が分泌され、結果として体内のデオキシコール酸の量が増加します。
肉類の脂身や揚げ物などの摂取量を適度な範囲に抑えることは、消化器官を保護する上で合理的です。
第二に、胃食道逆流を防ぐための生活習慣の改善です。
食後すぐに横になる習慣や、前かがみの姿勢を長く続けること、お腹を締め付ける衣服の着用は、胃の内容物や胆汁の食道への逆流を促進します。食後は2時間程度体を起こした状態で過ごすことが望ましいとされています。
第三に、バランスの良い食生活を通じた抗酸化物質の補給です。
新鮮な野菜や果物に含まれるビタミンCをはじめとする抗酸化成分は、体内で発生した有害な活性酸素種を打ち消す働きを助けます。
特定のサプリメントだけに頼るのではなく、日常の食事から多様な栄養素を摂取することが、細胞の健康を維持するための基盤となります。
まとめ
・人類のがん増加は平均寿命の延伸が主因ですが、近現代における食生活の欧米化や運動不足も特定のがんを増やす大きな要因となっている
・高脂肪食によって生成が増えるデオキシコール酸は、酸性だけでなく中性の環境でも活性酸素種を発生させてDNAを傷つける強力な遺伝毒性を持つ
・従来の胃酸抑制治療に加えて、抗酸化物質の活用や脂肪分を控える食習慣が、胆汁酸による細胞ダメージやがん化のリスクを軽減する鍵となる



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