近年、健康状態や肥満度を測定する簡便な指標として体格指数(BMI)が広く活用されています。
しかし、BMIは体重と身長の比率から割り出される数値に過ぎず、身体のどの部位に脂肪が蓄積しているかという具体的な解剖学的分布までは捉えることができません。
香港理工大学をはじめとする国際研究チームによる研究により、全身のBMIよりも、身体のどの部位に脂肪が付着しているかという「部位別脂肪分布」のほうが、脳の構造や機能、ならびに認知機能の低下に遥かに深い関わりを持つことが明確になりました。
本研究は、英国バイオバンク(UK Biobank)のデータベースを活用し、約1万8000人から2万3000人を超える大規模な成人ボランティアのデータを詳細に解析したものです。
二重エネルギーX線吸収測定法(DXA)を用いた高精度な体脂肪測定に加え、多角的な脳MRI画像検査(構造MRI、機能的MRI、拡散強調画像)、さらには記憶力や推論力を調べる複数の認知機能テストを組み合わせて分析を行っています。
2万人規模という広範なデータを扱っているため統計的検出力は極めて高く、エビデンスの強度としては非常に優れていると言えます。
ただし、データ解析の主軸が横断的な相関分析であるため「脂肪の蓄積が脳変性を直接引き起こした」という厳密な因果関係の確定には至っていないという一定の制約が存在します。
結論として、身体の部位ごとの脂肪蓄積はそれぞれ異なるメカニズムで脳の様々なネットワークへ影響を及ぼし、とりわけ内臓脂肪の過剰な蓄積は全身的な慢性炎症を誘発して脳年齢の老化を大幅に加速させ、推論能力や実行機能などの認知性能を低下させることが実証されたと言えます。
以下に研究の内容をまとめます。
参考研究)
・Regional adiposity shapes brain and cognition in adults(2025/09/15)
肥満指標としてのBMIにおける限界と部位別脂肪の重要性

これまで、医療機関や健康診断において肥満度を評価する際にはBMIが中心的な役割を果たしてきました。
しかし、BMIには大きな限界が存在します。
例えば、筋肉質で引き締まった体型の人物と、筋肉が乏しく体脂肪率が高い人物が同じBMI数値を示すケースは少なくありません。
脂肪組織は単なるエネルギーの保管庫ではなく、生体内において多様なホルモンや炎症性タンパク質を分泌する動的な内分泌器官として機能するため、蓄積する部位によって全身や脳に及ぼす生理的影響が大きく異なります。
そこで研究チームは、腕脂肪率(AFP)、体幹脂肪率(TFP)、脚脂肪率(LFP)、および内臓脂肪組織(VAT)という4つの主要な部位における脂肪蓄積量に着目しました。
そして、それぞれの蓄積量が脳機能を保つ重要なシステムである感覚運動システム、辺縁系システム、デフォルトモードネットワーク、皮質下・小脳・脳幹システムの形態や機能にどのような影響を与えるかを緻密に解析しました。
身体の部位別に異なる脳構造および機能への影響
研究チームが脳画像データを詳細に解析した結果、脂肪が蓄積する身体の部位ごとに、影響を受ける脳の領域や神経ネットワークのパターンが大きく異なることが解明されました。
・腕および体幹への脂肪蓄積
→運動の制御や身体感覚の処理を担う感覚運動皮質の厚みを減少させること
・腕の脂肪率
→新しく体験した出来事の記憶や空間の認識において中心的な役割を果たす海馬の容積低下と強く関連
海馬の萎縮はアルツハイマー型認知症の初期段階でも観察される典型的な変化であり、上肢領域への脂肪蓄積が記憶中枢に好ましくない影響を与えている可能性が浮き彫りになりました。
・脚領域への脂肪蓄積
→感情の制御や記憶の処理に関与する辺縁系の機能的結合性を弱める傾向が見られた
脚の脂肪蓄積は加齢に伴う筋肉量の低下(サルコペニア)と併発することが多く、細胞内のエネルギー産生を担うミトコンドリアの機能低下や酸化ストレスの上昇を通じて脳の働きに影響を及ぼしている可能性が推測されています。
ただし、下半身の皮下脂肪はインスリンに対する感度を高めて代謝を改善する保護的な側面を持つことも知られており、その作用機序には複合的な要素が絡み合っています。
最も深刻なリスクを及ぼす「内臓脂肪」と脳の炎症・老化メカニズム
本研究の解析において、最も深刻かつ広範囲な脳の構造的ダメージと結びついていたのが、腹部の臓器の周りに蓄積する内臓脂肪(VAT)です。
内臓脂肪の増加は、脳の判断力や意欲に関わる背側中線前頭前皮質の容積や表面積を著しく縮小させるだけでなく、脳の異なる領域間で信号を伝達する神経線維の束である白質の統合性を損なうことが実証されました。
内臓脂肪細胞は、腫瘍死因因子アルファ(TNF-α)やインターロイキン-6(IL-6)をはじめとする前炎症性サイトカインを常時大量に分泌するという特性を持っています。
これらの炎症性物質が血液循環に乗って全身を巡ることで、血液中の有害物質が脳組織へ侵入するのを防ぐ厳しいフィルター構造(血液脳関門)の機能を低下させ、脳内で持続的な炎症状態を引き起こします。
この神経炎症が神経細胞や白質線維に直接的なダメージを与え、脳の構造的な萎縮やネットワークの分断を引き起こしていると考えられています。
研究チームは、脳画像データから算出した「脳年齢ギャップ(BAG:実際の暦年齢に対する脳の構造的・機能的状態から算出した推定脳年齢の差)」を用いて検証を行いました。

その結果、内臓脂肪の過剰な蓄積は、脳システムの構造的・機能的な老化を著しく加速させていることが定量的データとして可視化されました。
そして、このように加速した脳の老化が直接的な仲介要因となって、推論能力、実行機能、情報処理速度、作業記憶といった多岐にわたる認知機能テストのスコアを顕著に低下させているという統計的分析モデルが解明されました。
研究成果における曖昧点および今後の検証課題
本研究は2万人を超える広範な対象者を網羅した信頼性の高い分析結果を示していますが、いくつかの解釈上の留意点や科学的な曖昧点が残されています。
第一に、本調査の主要な分析は横断的な相関関係の特定に基づいているため、「内臓脂肪の蓄積が脳の老化や認知機能低下の直接の原因である」という因果関係を確定したわけではありません。
脳機能が低下したことにより自己管理能力が減退し、結果として食生活が乱れて内臓脂肪が溜まったという逆の因果の可能性や、共通の遺伝的背景や長年のストレス環境が双方を同時に悪化させている可能性も排除しきれていません。
第二に、局所的な脂肪蓄積(例えば腕や脚の脂肪)が特定の脳ネットワークへ異なったダメージを与える具体的な生化学的経路(どの物質がどのように脳へシグナルを送っているか)に関しては現時点では推測の域を出ておらず、詳細な分子生物学的メカニズムの解明は今後の課題として残されています。
食と運動の重要性

本研究の発見は、私たちが日頃行っている健康管理やダイエットに対する考え方に大きな視点の転換を迫るものです。
単に体重計の数値やBMIを下げることだけを目標とするのではなく、内臓脂肪の蓄積を防ぎ、身体全体の脂肪分布と筋肉量のバランスを良好に保つことが、将来の脳の健康と認知性能を維持するための決定的な鍵となります。
まず日常の運動習慣においては、内臓脂肪を効果的に減らすための有酸素運動(ウォーキング、ジョギング、水泳など)と、全身の筋肉量を維持するための筋力トレーニングを組み合わせて継続することが極めて有効です。
中強度以上の有酸素運動は内臓脂肪を優先的に代謝する効果が高く、同時に脚や腕の筋肉量を維持することは、全身の代謝機能を高めて酸化ストレスを低減させることにつながります。
食事管理においては、内臓脂肪を急速に蓄積させる原因となる精製された清涼飲料水や炭水化物の過剰摂取、過度な脂質摂取を控え、抗炎症作用を持つ栄養素を意識的に取り入れることが推奨されます。
青魚に豊富に含まれるオメガ3脂肪酸(EPAやDHA)、緑黄色野菜、海藻類やキノコ類に含まれる食物繊維などを積極的に摂取することで、体内の慢性炎症を抑え、内臓脂肪から生じる害悪から脳神経系を護ることができます。
体重やBMIの数値が標準範囲内に収まっているからといって、決して安心することはできません。
お腹周りだけに内臓脂肪が溜まっている「隠れ肥満」の状態であっても、脳の老化のリスクは着実に進行している可能性があるからです。
健康診断等においては、単なる体重の変化だけでなくウエスト周囲径の増減や体脂肪率の推移にも注意を払い、日々の運動とバランスの取れた食生活を通じて内臓脂肪の低減に努めることが、生涯にわたって冴えわたる脳を保つための最善の対策と言えます。
まとめ
・体格指数(BMI)の数値以上に、体幹、四肢、内臓といった身体の「部位別脂肪分布」が脳の構造や白質の健全性、認知性能に大きな影響を及ぼしている
・特に内臓脂肪の過剰な蓄積は全身的な慢性炎症を惹起し、脳の白質統合性を破壊することで脳年齢の老化を著しく促進させる
・老化が加速した脳のシステムを介して、推論力や実行機能、作業記憶をはじめとする総合的な認知機能の低下が引き起こされることが統計的に裏付けられた

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