私たちが毎日口にしている食品には、栄養学でよく知られているタンパク質や脂質、炭水化物、ビタミンだけでなく、数万種類にも及ぶ未知の化学物質が含まれています。
近年の研究では、これらの未解明な成分が健康や病気の発症に大きく関与しているかもしれないことが分かってきました。
世界では不適切な食事が成人死亡の約5人に1人に関連しているとされ、ヨーロッパでは心血管疾患による死亡のほぼ半数に食生活が関係していると考えられています。
しかし、脂肪や塩分、糖分を減らすという栄養指導が長年行われてきたにもかかわらず、肥満や生活習慣病は増加し続けています。(Tackling the Obesity Crisisより)
その背景には、私たちが食品に含まれる成分のごく一部しか理解できていないという事実があるのかもしれません。
研究者たちは現在、「栄養のダークマター(Nutritional Dark Matter)」と呼ばれる未知の食品成分の解明に取り組んでいます。
これらの発見は、将来的に病気の予防や治療、さらには個別化栄養学の発展につながる可能性があります。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Scientists say most of what’s in your food is still a mystery(2026/06/17)
参考研究)
・Chemical Complexity of Food and Implications for Therapeutics(2026/05/07)
栄養学が見てきたのは氷山の一角だった

これまでの栄養学では、主にタンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルなどが研究対象となってきました。
しかし近年の分析技術の進歩により、私たちの食事には26,000種類以上の化学物質が含まれている可能性があることが示されています。
ところが、その大部分については、どのような働きを持つのか、健康に良いのか悪いのか、他の成分とどのように相互作用するのかといった基本的な情報すら分かっていません。
現在の栄養学で十分に理解されている成分は、全体から見ればごくわずかに過ぎないのです。
宇宙の「ダークマター」に例えられる未知の食品成分
研究者たちはこの状況を、宇宙物理学における「ダークマター(暗黒物質)」になぞらえています。
ダークマターとは、光を放出したり反射したりしないため直接観測できないものの、その重力効果から存在が推定されている未知の物質です。
現在の宇宙の約27%を占めると考えられていますが、その正体はまだ完全には解明されていません。
栄養学でも似た状況が起きています。
私たちは毎日、多数の食品成分を摂取していますが、その多くについて研究が追いついていません。
つまり私たちは、健康に大きな影響を与えているかもしれない物質を日々摂取しているにもかかわらず、その存在や働きについてほとんど知らないのです。
フードオミクスが未知の食品成分を解明する
この課題に取り組む新しい研究分野がフードオミクス(Foodomics)です。
フードオミクスとは、食品と人体の関係を包括的に調べる学問領域です。(食品分析開発センター 「フードミクスで食品の品質を評価する」より)
以下のような最先端の研究手法を統合して活用します。
・ゲノミクス(遺伝子の研究)
・プロテオミクス(タンパク質の研究)
・メタボロミクス(代謝産物の研究)
・ニュートリゲノミクス(栄養と遺伝子の相互作用の研究)
これらの技術によって、食事が体内でどのような影響を及ぼしているのかを、従来よりもはるかに詳細に調べられるようになっています。
特に近年は、単にカロリーや栄養素の量を調べるだけではなく、食品に含まれる何万種類もの化学物質同士のネットワークに注目が集まっています。
地中海食が健康に良い理由も複雑だった
代表的な例として挙げられるのが地中海食です。
野菜、果物、全粒穀物、豆類、ナッツ類、オリーブオイル、魚を多く摂り、赤身肉や甘い食品を控える食事パターンです。
多くの研究で心血管疾患リスクを低下させることが報告されています。
しかし、「なぜ健康に良いのか」は完全には解明されていません。
近年注目されているのがTMAO(トリメチルアミン-N-オキシド)です。
TMAOとは、腸内細菌が赤身肉や卵に含まれる成分を分解した際に生成される化合物です。(Contribution of Trimethylamine N-Oxide (TMAO) to Chronic Inflammatory and Degenerative Diseasesより)
研究では、TMAO濃度が高い人ほど心血管疾患リスクが高くなることが示されています。
一方で、ニンニクに含まれる特定の成分には、このTMAOの産生を抑制する働きがある可能性が報告されています。
つまり、ある食品成分が病気のリスクを高める一方で、別の食品成分がその作用を打ち消す可能性があるのです。
このような複雑な相互作用は、従来の栄養学では十分に説明できませんでした。
腸内細菌が食品成分を別の物質へ変える

現在の栄養学で特に注目されているのが腸内細菌および腸内細菌叢です。
腸内細菌叢とは、腸内に生息する数百〜数千種類の細菌集団のことです。
食品成分はそのまま作用するとは限りません。
大腸に到達すると、腸内細菌によって別の化学物質へ変換されることがあります。
例えば、エラグ酸(Ellagic Acid)というポリフェノールの一種があります。
これは、 ザクロ、イチゴ、ラズベリー、クルミなどに含まれています。
エラグ酸は腸内細菌によってウロリチン(Urolithins)へ変換されます。
ウロリチンは細胞内のミトコンドリア機能を維持する働きを持つと考えられています。
ミトコンドリアとは、細胞内でエネルギーを生み出す器官であり、「細胞の発電所」とも呼ばれています。
この例からも分かるように、私たちが摂取する成分そのものだけでなく、それが腸内細菌によって何に変換されるのかも重要なのです。
食事は遺伝子の働きさえ変える
さらに驚くべきことに、食事は遺伝子の活動にも影響を及ぼします。
ここで重要なのがエピジェネティクス(Epigenetics)です。
エピジェネティクスとは、DNA配列そのものを変えることなく遺伝子の働きを調節する仕組みを指します。
言い換えれば、同じ遺伝子を持っていても、どの遺伝子が活性化されるかは環境によって変わるということです。
その代表例として知られているのが、第二次世界大戦中に発生したオランダ飢餓です。
当時、深刻な食糧不足を経験した妊婦から生まれた子どもたちは、成長後に心疾患、二型糖尿病、統合失調症などの発症リスクが高いことが分かりました。
さらに数十年後の研究では、胎児期の栄養不足によって遺伝子活動のパターンが変化していたことが示されています。
つまり、母親の食事環境が子どもの健康に長期的な影響を与える可能性があるのです。
食品の化学宇宙を地図化する試み

こうした未知の食品成分を体系的に整理するために進められているのがFoodome Project(フードーム・プロジェクト)です。
このプロジェクトでは、食品中の化学物質を網羅的に収集し、人間の健康との関係をデータベース化しています。
現在までに13万種類以上の分子が登録されており、ヒトのタンパク質、腸内細菌、代謝経路、疾患との関連などが解析されています。
研究者たちは、この巨大なデータベースを利用することで、「どの食品成分が健康に有益なのか」、「どの成分が病気のリスクを高めるのか」を明らかにしようとしています。
個別化栄養学の実現につながる可能性
栄養のダークマター研究が進めば、これまで説明できなかった疑問に答えられる可能性があります。
例えば、「なぜ同じ食事をしても効果に個人差があるのか」、「なぜある人には健康的な食品が別の人には効果を示さないのか」といった問題です。
その背景には、遺伝子の違いだけでなく、腸内細菌の構成や未知の食品成分への反応の違いが関係している可能性があります。
将来的には、一人ひとりの体質や腸内環境に合わせた食事指導が行われる時代が来るかもしれません。
ただし現時点では不明な点も多い
今回紹介された内容は非常に興味深いものですが、現段階では以下のような要因のために、仮説や探索的研究の部分も少なくありません。
・未知の化学物質の多くは機能が未解明なこと
・人体への影響が確認されていない成分も多いこと
・相関関係と因果関係が区別できていないケースがあること
・個人差が大きいこと
したがって、「特定の食品成分が病気を防ぐ」と断定できる段階ではないことにも注意が必要です。
今回の研究は、食べ物を単なるカロリーや栄養素の集合として捉える時代が終わりつつあることを示しています。
私たちの食事には、まだ解明されていない数多くの化学物質が含まれており、それらが腸内細菌や遺伝子、代謝経路と複雑に相互作用している可能性があります。
そのため、特定の栄養素だけに注目するのではなく、多様な食品をバランスよく摂取することが重要だと考えられます。
特に野菜、果物、豆類、全粒穀物、ナッツ類などを含む多様な食事パターンは、未知の有益な成分を幅広く取り入えるうえでも有効かもしれません。
今後、「栄養のダークマター」の解明が進めば、私たちの健康管理や病気予防の考え方は大きく変わる可能性があります。
まとめ
・私たちの食事には2万6,000種類以上の化学物質が含まれる可能性があり、その大部分は未解明
・腸内細菌や遺伝子との相互作用を通じて、未知の食品成分が健康に大きな影響を与えている可能性がある
・フードオミクスやフードーム・プロジェクトによって、食と健康の新しい関係性が明らかになりつつある


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