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とあるがん治療薬がマウスの寿命を最大35%延長──老化の治療に期待が高まる

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近年、科学の進歩により老化のプロセスは単なる「避けがたい自然現象」ではなく、制御可能な生物学的メカニズムであるという考え方が広まりつつあります。

 

がん、認知症、心血管疾患、筋力低下など、老化によって引き起こされるさまざまな疾患は、世界中で高齢者のQOL(生活の質)を低下させ、医療費の増加をもたらす要因として注目されています。

  

そのため、老化を遅らせ、健康寿命を延ばすことは、今や医学・生命科学分野における最重要課題のひとつとなっています。

 

そのような中、ドイツのマックス・プランク老化生物学研究所を中心とする研究チームから、とある2種類の抗がん薬の併用によって、マウスの寿命が平均で30%以上延長され、健康状態も著しく改善されたという研究結果が報告されました。

 

今回のテーマとして、研究の内容を以下にまとめます。

 

参考記事)

Anti-Aging Cocktail Extends Mouse Lifespan by About 30 Percent(2025/05/28)

 

参考研究)

The geroprotectors trametinib and rapamycin combine additively to extend mouse healthspan and lifespan(2025/05/28)

 

 

研究の目的と背景──「老化の治療」という新たな医療の概念

 

近年、老化を単なる結果ではなく、「原因」として捉える動きが強まっています。

  

高齢に伴う病気の多くは、加齢という共通の基盤に根ざしており、老化そのものを遅らせたり抑制したりできれば、複数の疾患を同時に予防できる可能性があると期待されています。  

  

この考え方を支える知見として、近年多くの動物実験で、カロリー制限や遺伝子操作、あるいは特定の薬剤の投与によって寿命や健康寿命が延びる例が報告されてきました。

 

とりわけ注目されてきたのが、細胞の成長や代謝を制御する「insulin–IGF–mTORC1–Ras network」です。

 

この経路を標的とする薬剤は、老化の速度を調節する手段として最も有望とされてきました。

 

今回の研究では、ラパマイシン(rapamycin)とトラメチニブ(trametinib)というこのシグナル経路に作用する2種類の薬剤の組み合わせと、マウスの寿命や健康状態にどのような影響を与えるかが検証されました。

 

 

用いられた薬剤の特徴──がん治療薬から老化制御へ

【 ラパマイシン(rapamycin)】

 

ラパマイシンは、もともとは免疫抑制剤として開発され、臓器移植の際に拒絶反応を抑える目的で使用されてきた薬です。

 

後にmTOR(mechanistic target of rapamycin)という酵素を阻害することがわかり、細胞の成長・代謝・自食作用(オートファジー)を制御する中心的な役割を担っていることが判明しました。

 

mTORの活性を抑えることで、細胞の損傷や老化関連変性の進行を抑える効果があるとされ、マウス、線虫、ショウジョウバエなどのモデル動物で寿命延長効果が確認されています。

 

【トラメチニブ(trametinib)】

 

トラメチニブは、主にがんの治療に使われる薬剤で、MEKという酵素の阻害薬です。

 

この酵素はRas/MAPKシグナル経路の一部であり、細胞分裂や増殖の促進に関与しています。

 

ショウジョウバエを対象とした先行研究では、この薬が寿命を延ばす効果を持つことが示唆されていましたが、哺乳類に対する影響は未知の部分が多く、今回がその有効性を初めて包括的に示した研究のひとつとなりました。

 

 

研究方法──生後6か月から終生までの長期観察

研究チームは、約300匹のマウスに対して、ラパマイシン単独、トラメチニブ単独、両薬剤の併用、そして無投与(対照群)という4つの群に分け、それぞれの健康状態と寿命を継続的に観察しました。

 

薬剤投与は、生後6か月(中年期に相当)から開始され、マウスが自然死を迎えるまで続けられました。

 

【主な結果】

• ラパマイシン単独:寿命が17〜18%延長

• トラメチニブ単独:寿命が7〜16%延長

• 併用投与:寿命が26〜35%延長

 

特に注目すべきは、雌マウスの中央値寿命が34.9%延長、最大寿命が32.4%増加したことです。(下図のb)

 

The geroprotectors trametinib and rapamycin combine additively to extend mouse healthspan and lifespanより

  

また、雄マウスでもそれぞれ27.4%、26.1%の延長が認められました。

 

  

老化の進行を遅らせる作用──炎症や腫瘍、心機能の改善も

単に寿命が延びただけではありません。

 

研究では、健康寿命(病気なく健康に過ごせる期間)も明確に改善されたことが確認され、以下のような効果が見られています。

• 肝臓や脾臓における腫瘍発生が遅延

• 脳・腎臓・脾臓・筋肉における加齢性炎症が著しく抑制

• 高齢期においても活発な運動行動を維持

• 体重の増加が抑えられ、肥満による代謝異常のリスクが減少

• 心臓機能の低下が緩やかになり、循環器系の健康が維持

 

こうした結果から、単なる「寿命の延長」ではなく、「より質の高い老後」の実現につながる成果であると評価されています。

 

 

併用による相乗効果のメカニズムとは?

2つの薬剤が同じシグナル経路に関わりながらも、異なる分子標的に作用することが、併用による相乗効果の鍵とされています。

 

研究チームが行った遺伝子発現解析では、両薬剤を同時に投与したときにのみ見られる特有の遺伝子変化が観察されました。

 

また、心配される副作用についても、既知の範囲内にとどまり、新たなリスクは見られなかったと報告されています。

 

これは、臨床応用に向けた大きな安心材料といえるでしょう。

 

 

人への応用は可能か?──まずは健康寿命の改善を目指す

この成果を受け、ヒトにおける臨床試験への道が現実味を帯びてきました。

 

 ラパマイシンもトラメチニブも、すでに米国および欧州連合で承認されている医薬品であることから、使用に関するデータがすでに蓄積されています。

 

研究の共同責任者である遺伝学者のLinda Partridge氏は、次のように述べています。

 

マウスに見られたほどの寿命延長を人間に期待することはできないが、私たちが研究している薬剤が、高齢者の健康維持に役立つ可能性は十分にある。今後の人間対象の研究によって、誰に効果があるのか、どのように使えばよいのかが明らかになるだろう

  

加えて、ラパマイシンには、更年期前後の女性の妊孕性を最大5年間維持する可能性があるとの報告もあり、老化をめぐる多様な問題への応用が期待されています。

  

  

まとめ

・ラパマイシンとトラメチニブの併用によって、マウスの寿命が最大35%延長し、健康状態も顕著に改善された

・老化に伴う炎症、腫瘍、心機能低下などが抑制され、より健康な老後を実現できる可能性が示された

・両薬剤はすでに人間に使用されている医薬品であり、今後の臨床応用に向けた研究が加速すると期待されている

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