哲学

【韓非子㉕】“利益のため”と割り切ることが、怨みを抱かないコツである

哲学

【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

      

韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

        

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

      

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

      

今回のテーマは“皆自らの為にするの心を挟(わきばさ)めばなり”です。

     

         

                  

         

皆自らの為にするの心を挟めばなり

【本文】

人の嬰児(えいじ)たるとき、父母之(これ)を養うこと簡なれば、子長じれ怨む。

  

子盛壮にして人と成り、其(そ)の供養(きょうよう)薄ければ。父母怒りて之を誚(せ)む。

  

子父は至親(ししん)なり、而(しか)も或(ある)いは怨む者は、皆相為にするを挟(わきばさ)みて、己が為にするに周ならざればなり。

  

夫(か)の売庸(ばいよう)して播耕(はこう)する者、主人家を費やして食を美にし、布を調し銭に易(か)うる者は、庸客(ようかく)を愛するに非(あら)ざるなり。

 

曰わく、是(かく)の如くせば耕すこと且(まさ)に深からんとし、耨(くさぎ)ること熟(よ)く耘(くさぎ)らん、と。

  

庸客力を到(いた)して疾(と)く耘耕(うんこう)し、功を尽くして畦陌躊畤(けいはくちゅうし)を正しくする者は、主人を愛するに非ざるなり。

  

曰わく、是の如くせば、羹(あつもの)且に美ならんとし、銭布(せんぷ)且に易(か)わらんとすと云(い)う、と。

  

此(こ)れ其の功力を養うこと、父子の沢有りて、而(しこう)して心用に調なる者は、皆自ら為にするの心を挟(わきばさ)めばなり。

  

故に人の行事施予(こうじしよ)、之を利する心と為さば、則(すなわ)ち越人も和し易く、之を害するを以て心と為さば、則ち父子も離れ且怨まん。

  

【解釈】

人が幼いとき、父母の養い方がおろそかであると、その子は大きくなって父母を怨むことになる。

  

また、子が大人になったとき、父母に対しての扱いが粗末であると、父母は怒って子を責めるだろう。

  

親子の間柄というのは最も親しいものなのに、それでも責めたり怨んだりするのは、皆、相手に尽くしているとか、尽くしてやったといった心を持っているからである。

  

尽くしている割には、相手は自分に対して尽くしてくれていない、と思うからである。 

  

人を雇って農業をする場合、主人が蓄えを惜しまず美味い食い物を与え、賃金を与えるのは、労働者を愛しているからではない。

  

そうしたら土を深く掘り返してくれ、草取りも丁寧にやってくれるだろうと思うからである。

  

労働者がせっせと土を返し草取りをするのも、主人を愛するからではない。

  

そうしたら汁(食事)を美味くしてくれ、報酬を多く払ってくれるだろうと思うからである。

 

主人が労働者を養うことが、父が子に恵むことであり、労働者の心がけが仕事に対して周到であるのは、皆、何事も自分の利益のためだという気持ちでいるからである。

 

こういったことから、人は己のすることについて、己の利益の種にしようという気持ちであれば、相手が越の人でも仲良くしていけるが、そうでなければ父子の間でも互いに背き、怨むことになる。

  

  

“利益のため”と割り切ることが、怨みを抱かないコツである

「あんなにあなたに尽くしているのに、あなたは私に尽くしてくれない……」

 

もしかしたらそんな気持ちが原因で人間関係がこじれてしまった方もいるかもしれません。

 

無償の愛とは美しい言葉ですが、頭のどこかで相手が自分の思った通りに動いてくれるのではないかという期待を持っていたりするものです。

  

中には、本当に相手に尽くすことを目的として行動している人がいるでしょう。

  

見返りを期待せず相手に尽くすということの裏側には、怨み怨まれるという危険があることを韓非は言っています。

  

確かに、「あなたのために全てやっている」と言われるよりも、「私がこれをやったら、代わりにあなたはこれをやってください」と取り引きをされた方が後腐れなく返って気持ちがいいものです。

  

尽くされる事にもリスクが伴うという良い例ですね。

  

さらに韓非は、この利害関係を上手く使うことで、例え敵同士だったとしても、時には和をつくるきっかけにもなると言っています。

  

そしてその逆もまた然り……と。

 

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