ツァラトゥストラはこう言った(超人思想)~ニーチェ③~

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の続き…。

    

前回まではニーチェが半病人になりながらも、療養しながら執筆を始めたところまでまとめました。

   

その頃の彼の人生は、没落という言葉がぴったりの身体も心も擦り切れた状態です。

  

彼は一体何を考え、どのような哲学に至ったのか…。

  

今回からは“ツァラトゥストラはこう言った”を軸に、彼の哲学や思想について書いていきます。

  

  

著作【ツァラトゥストラはこう言った】

  

この著作は、彼の今までの人間関係や病気との付き合い、触れてきた数々の哲学から、人生は再びやってくる(永劫回帰)という思想に至った頃に書き上げていったものです。

   

これ以降の彼の著作は、この“ツァラトゥストラはこう言った”の補足題材が同じ内容がほとんどと言われています。

  

ツァラトゥストラは“ゾロアスター”のドイツ語読みです。

  

ゾロアスター教の開祖と名前が同じですが、特に関係はありません。

  

以下に“ツァラトゥストラはこう言った”の要点をまとめていきます。

  

なるべく複雑にしないよう、話の内容を前後させる部分もありますが、伝えるべき内容は変わらないようにします。

  

  

神は死んだ

ツァラトゥストラは30歳になったとき、故郷を捨てて山にこもります。

  

その後10年という時の中で孤独に生き、知識を蓄えていました。

  

ある時彼は、太陽に語りかけます。

  

ツァラ「太陽よ、もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたは幸福といえるだろうか。」

  

ツァラ「私もあなたと同じように没し、人のもとに降りて行こうと思う。私の知恵を人間に与える為に。」

  

そういうと彼は山を降り、人々が暮らす町まで降りて行きます。

  

その時ひとりの森の聖者と出会います。

  

二人は話し始めました。

 

聖者「10年前に山に入ってきたツァラトゥストラではないか。あの時よりもずいぶん足取りが軽やかで、幼子のような透き通った目をしているな。」

  

聖者「山から降りるのか…。しかしお前は人間に呆れたから山に入ったのではないか?」

  

聖者「私は人間を愛さない。私が愛しているのは神である。なぜお前は他の動物や草木のように自然のまま生きようとしないのか?」

  

ツァラ「ではあなたはこの森で何をしているのですか?」

 

聖者「私は詩(うた)を作って神を讃えている。」

  

聖者「お前は人々に知恵を与えに行くようだが、私にも何か与えてくれるのか?」

  

ツァラ「いえ、あなたに差し上げるものはありません。ただあなたから何も奪わないようにこの場から立ち去らせてください。」

  

そんな会話が終わると、お互い無邪気に笑ってその場を後にします。

  

そこでツァラトゥストラは自身の心に向かって言いました。

  

ツァラ「なんということだ、まだあの聖者は知らないのか。“神は死んだ”ということを。」

  

  

超人

場面は変わり、町の広場に移ります。

  

広場には綱渡りの大道芸を見物するために町の人間が集まっています。

  

山にこもって蓄えた知恵を吐き出すにはうってつけの場所です。

  

民衆が綱渡り芸はまだかとガヤつく中、ツァラトゥストラは大声で演説をはじめます。

  

ツァラ「今から皆さんに超人について教えよう。人間とは克服されるべきものである…。人間はかつてサルだった、しかし今の人間はサル以上にサルなのだ。」

 

得体の知れない人物がいきなり大声を発したようにしか見えません。

  

その証拠に民衆は彼の言葉に見向きもしません。

  

ツァラトゥストラは演説を続けます。

  

ツァラ「人間は、動物と超人との間に張り渡された綱である。進のも戻るのも立ち止まるのも危うく、振り返ることすらままならない。」

  

ここで一度、超人について触れます。

  

ニーチェは超人についてはっきりと明言していませんが、彼の言葉から超人の定義を導き出すことはできます。

  

超人とは、

“強い意志を持ち、より高みを目指しながら自らの人生を肯定する存在”

を指しています。

  

ニーチェはこの著書にて超人になれと言っているのですね。

  

しかし民衆は綱渡り芸がはじまるのを今か今かと待つばかりで、一向にツァラトゥストラの話に耳を傾けようとはしません。

  

ツァラ「かつては神を冒涜するものが最も罪深い行為だった。しかし神はもういない。今や最も冒涜的行為は…。」

  

それでもツァラトゥストラは演説を続けます。

   

ツァラ「今や最も罪深き行為は、大地を冒涜することだ。」

  

魂にすがり見えもしない何かを崇める…、地上に生きながらこの世界や自分自身を諦めること。

 

それが本書で言う大地を冒涜することなのです。

 

“人は、神を信仰することでいずれ救われる”という今までの宗教観を真っ向から否定しているのです。

  

ではどう生きればいいのか?

 

それは皆が恐れることに立ち向かい、人間の限界を越えて超人を目指すことだと述べています。

 

人間を超える過程で破滅や没落があるからこそ、人間の限界を越えられるのだと言います。

 

  

超人になるには

 

では超人になるにはどうすればいいのか…?

  

それには3段階のステップがあるとニーチェは言います。

  

①ラクダ

様々な概念やルール、価値観を学び、受け入れ、背負い、耐えながら進む状態をいいます。

学校での勉強、運動、仕事…、自分に積極的に負荷をかけ、自分の強みを獲得する段階です。

  

②獅子

自分の意志を持ち、言葉も使え、自分自身で考えられる状態です。

磨かれた強みを駆使して、決まった価値観に対し自らの意志で切り開こうとする段階です。

  

③幼子

周りの価値観にとらわれず、自らの発想力で価値を創造していく状態です。

まるで幼子が遊ぶように、ありのままの自分で自由気ままに行動する。

失敗してもすぐに忘れ、また自ら走り出す段階です。

  

これが超人へのステップなのだと言います。

 

幼い子どもが周りの大人に何を言われようと、自分の人生を生きている状態…。

  

他人と比較することなく強い意志を貫く姿が、超人と同じなのだということですね。

  

 

続く…。

  

【次回】末人思想 

というわけで、ニーチェによる超人思想までをまとめていきました。

  

強い意志を持ってより高みを目指し、時には限界に打ちひしがれようとも、人生を肯定し行動を続ける存在…。

   

治らぬ病気や辛い人間関係…、当時のニーチェの心情から考えると少し以外な主張でした。

   

世捨て人のような思想があるものかと思いましたが、そんなこととは裏腹に前向きな思想を前面に押し出しています。

   

この続きはどのような哲学を広げていくのか…。

  

広場でツァラトゥストラが言った「今の人間はサル以上にサルなのだ。」という言葉も次回の記事のテーマ“末人思想”にて明らかになります。

  

ちなみに末人は別名「おしまいの人間」とも訳されることもあります。

   

“おしまい”とは一体何がおしまいなのか…。

  

それも次回の記事にて…!

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