哲学生活

幸福論 〜ただし、令和時代を生きる日本人専用〜を読んで②

哲学

 

の続き……。

 

前回では幸福論における大前提、「不幸を回避すること」についてまとめていきました。

  

回避するべき不幸には、「ない(少なすぎる)不幸」「ある(多すぎる)不幸」があり、情報を選択して活用する力によって解決できることが述べられていました。

  

今回はもう一つの大前提、「より幸せになること」についてのお話です。

  

現代を生きる日本人は、何をもって幸福に近づくことができるのか……。

  

著書から学んだことをまとめます。

  

  

より幸せになる

本書では、より幸せになるためのものとは、「生活に必要ではないけど、あると嬉しいもの、自分が欲しいもの」とされています。

   

その最たる例が、旅行、スポーツなどの経験や娯楽に関するものや、高級品や芸術品などの嗜好品です。

  

また、日本においてこの「より幸せになる」ためのものは、仕事の息抜きのために嗜む程度のものであり、「深入りするとお金のムダになる良くないもの」という悪い印象を持つ人も多くいる、とも書かれています。

  

自分の周りでも、「節制することが正義、お金があったらまずは貯金!」言った価値観を持つ人がいたりします。

   

そう考えること自体は悪いことではないですが、そういった人たちの中には「成金や金持ち=何か悪いことをしているのではないか……?」という古い価値観からくる偏見を持っていることが多いようにも感じます。

   

つまり日本では、「より幸せ」になることを軽視する、もしくは幸せという基準がお金使って何かを得ることではなく、お金を貯めることになってしまっているとも言えます。

 

極論を言えば、お金がなくても手厚い社会保障によって生活をすることが可能であるにもかかわらずです。

  

では何故このような考え方を持つような人が多いのか……。

  

本書ではその理由を、災害が多い島国であるという地理的な観点から分析しています。

  

  

日本の労働の価値観と幸せ

  

災害が多いということは、それによってものを失う可能性が高いということだとも言えます。

  

さらに、復興するにはみんなで協力する必要があり、娯楽に充てる時間はなかったことも、日本人に職人気質な人が多い理由なのかもしれません。

  

また、欧米と日本では、古来から労働に対する価値観が全く違かったという点についても、本書第5章から触れられています。

  

古代ギリシャ・ローマ時代では、奴隷制度が存在し、労働による束縛があるものが奴隷そうでないものが自由民という解釈がされていました。

  

対して日本では、労働者は、世のため人のためになる良いことをしている人という認識があったようです。

  

こういった経緯もあり、みんなと一緒に頑張ることや、節制をして貯蓄をすることが美徳であるという価値観が生まれたのだと考えられます。

 

  

手段と目的を間違えない

  

しかし、人生の目的は節制をすることでもなく、お金を貯めることでもなく、「幸せに生きること」です。

    

自分は何によって幸せな時間を過ごすことができるのかを、自らが知らなければなりません

   

決してお金を貯めるという手段を目的にしてはいけません

   

そのお金を使って幸せな感情を得るツールが、旅行やスポーツなどの経験や芸術や高級品などの嗜好品になるのです。

   

その経験から得られる自分だけが感じた感情は紛れもなく幸せです、自分に合った感性の美術品や音楽に出会った多幸感もまた幸せです。

  

背伸びをして買った高級車なども、その所有欲やそれを手に入れるまでに至った達成感も含めて幸せでしょう。

  

もちろんこれが負債となって、後に自分に降りかからないことが前提ですが、そういったことも正しい情報を得ることで、自分をコントロールすることが可能でしょう。

  

お金は使わなければただの数字でしかありません。

  

どういったものに自分が幸せを感じるのかを分析して、それにお金を分配する力をつけることも幸福に近づく方法なのだと思います。

  

  

まとめ

・より幸せになるツール=生活に必要ではないけど、あると嬉しいもの

・日本は災害が多い国柄と歴史から、金銭や娯楽、嗜好品に対しての価値観が欧米と異なる

・幸せな感情を得るために、何によって自分が幸せか分析する必要がある

・その幸せ(感情)を得ることにお金を使うことが本当のお金の価値になる

  

個人的な意見ですが、こういった手段と目的が逆転してしまう感覚は、子供の頃の教育の段階から植え付けられているように感じます。

  

例えば、宿題を全てやって提出をしなければならない、ノートに漢字の練習をしなければならないといった学校の指導方針などです。

  

本来であれば、その単元で習った問題ができるようになることが目的です。

   

方程式の応用の問題が出来なければいけないのに、基本問題が半分以上を占める課題やワークを書き込んで提出しなければならないといった無駄もあったりします。

  

全く勉強はできないから、答えを写して提出した人が褒められ、自分のやるべき勉強を別の形で実践し実力にした人が叱られるなんてこともあります。

 

それに、勉強を本気で活用するとするなら、将来自分がどのような状態が目標なのかを明確にし、そうなるためには、どういった道筋が必要になるのか……。

  

そのために、どういった学校に通えばいいのか、どのジャンルの勉強ができるようになったらいいのか、だから今の勉強をできた方がいい……。

  

といったものからモチベーションにすることが理想です。

   

場合によっては、「ああなりたくないから勉強する!」という負のモチベーションがあってもいいでしょう。

   

とにかく「手段を目的にしない」

  

これを意識するだけでも、お金の使い方がより良い方向に向かうと思います。 

 

 

次回記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました