以前の記事では、中国の景徳鎮を発祥とする磁器焼成の技術が、朝鮮出兵を経て日本へ伝わり、日本を代表する有田・伊万里焼が生まれていったことをまとめていきました。
それがきっかけで日本の陶磁器がヨーロッパへ渡り、中国の陶磁器と共に人気を博したことも伝えていきました。
ヨーロッパで初めて磁器焼成に成功したマイセンは、初期の頃から日本の作風である“柿右衛門様式”を模したものが作られています。
今回のテーマは“柿右衛門の歴史”についてです。
日本の文化に立ち戻り、ヨーロッパを魅了した日本の磁器について触れていきます。
柿右衛門とは
柿右衛門(柿右衛門様式)は、江戸初期から続く有田焼の様式のひとつです。
柿右衛門窯は、現在の佐賀県西松浦郡有田町に越してきた酒井田円西とその息子の喜三右衛門によって開窯され、現在15代目酒井田柿右衛門に至るまで脈々と受け継がれています。
初代酒井田柿右衛門は、白磁に青一色の染め付けが主流だった初期の有田焼に、日本で初めて赤絵付けをすることに成功したことで知られています。(それまで赤色は中国の磁気が主流)
また、柿右衛門の大きな特徴といえば、“濁手(にごしで)”と呼ばれる乳白色の素地が挙げられます。
米のとぎ汁のような温かみのある乳白色に、青、黄、緑、紫などの色を使った赤絵を描く様式として、“柿右衛門様式”が生み出されました。
濁手は有田産の泉山陶石を使用した特別な原料と独自の配合によって作られています。
一般的な白磁がやや青みを帯びているのに対し、乳白色で作られるこの磁器は、柿右衛門の色絵が最も映える素地とされています。
柿右衛門の隆盛
そんな柿右衛門様式は、1650年代末にはオランダ東インド会社によって欧州への輸出が始まりました。
欧州ではそれまで、シンメトリー、整然さ、絢爛さが人気だったの対し、日本で生み出される左右非対称な美しさや、余白を美とするデザインは斬新なものでした。
これが当時のヨーロッパの王侯貴族達に高く評価され、後のヨーロッパ初の白磁製造窯マイセンを誕生させることにも繋がっていきます。
そんな柿右衛門ですが、およそ6代目の時代には柿右衛門様式の人気は衰え、窯では金襴手(きんらんで)様式磁器の製造が主流となっていました。
この頃になると濁手の生産は途絶え、その製造技術も歴史の中に消えてしまいました。
濁手のその後
時は進み1947年、濁手の技術が失われてからおよそ250年のこと。
12代目と13代目柿右衛門は、濁手を復活させるべく尽力しました。
4代目柿右衛門は31歳という若さにしてこの世を去りましたが、その際、まだ1歳の5代目柿右衛門のために7つの書を残しました。
そのうちの一つ“土合帳”の中に御道具白焼土についての記載があり、これが濁手の乳白色の素地に関する記述とされています。
これら古文書の解読と試行錯誤の結果、1953年に濁手の再現に成功。
1955年3月には無形文化財として登録され、17世紀から始まった磁気焼成の技術は370年の時を経ても受け継がれています。
まとめ
・柿右衛門=江戸時代から続く有田焼の一つ
・赤色の絵付けや乳白色の素地が魅力
・一時断絶した“濁手”も今では復活
・現在も15代目柿右衛門が伝統を守り続けている
柿右衛門の濁出を見ていると、以前紹介したウェッジウッドのクリームウェアのような、自然と奥歯がむず痒くなってくる感覚があります。
ただの乳白色ではなく、引き込まれる白さを感じる不思議な作品です。
主張しすぎない絵付けも、日本古来の侘び寂びを表現しているようで好きです。
きっとそんな魅力にかつてのヨーロッパの王侯貴族たちは魅了されたのかもしれませんね。
以上、柿右衛門についての紹介でした!
柿右衛門の公式HPのリンクも用意しましたので、気になる方はどうぞ!
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