【前回記事】
この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書“韓非子”についてまとめていきます。
韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。
そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。
【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。
今回のテーマは“燭を挙げよとは書の意に非(あら)ざるなり”です。
燭を挙げよとは書の意に非ざるなり
【本文】
郢(えい)人、燕の相国(しょうこく)に書を遺(おく)る者有り。
夜書して、火明らかならず、因(よ)りて燭(しょく)を持つ者に謂(い)って曰わく、燭を挙げよ、と云(い)う。
而(しこう)して過(あやま)って、燭を挙げよ、と書く。
燭を挙げよとは書の意に非(あら)ざるなり。
燕の相、書を受けて之(これ)を説きて曰わく、燭を挙ぐよ(挙げよ)とは、明を尚(たか)くするなり、明を尚くせよとは、賢を挙げて之に任ずるなり、と。
燕の相、王に白(もお)す。
大いに悦(よろこ)び、国以て治(おさ)まる。
治は則ち治なり、書の意には非(あら)ざるなり。
今の世の学者、多く此(こ)の類に似たり。
【解釈】
とある郢の人物が燕の宰相に手紙を送った。
手紙を書いたのが夜のことで、灯りが暗かった。
その際、蝋燭の係の者に「灯りを高くしてくれ」と言った。
そして(それに気を取られ)手紙にも誤って“灯を挙げよ”と書いてしまった。
もちろん手紙にはそんなこと書くつもりはなかったが、燕の宰相にそのまま手紙を送ってしまった。
燕の宰相は受け取った手紙を見て、「燭を挙げよとは明(賢明)を尚くせよということだ。
明を高くせよとは賢者を職に任命せよということだ。」と解釈した。
そして宰相がこの言葉を燕王に伝えたところ、王は大いに喜び、賢者を用いたことから国は良く治(おさ)まった。
治まったことは良い事だが、手紙の真意とは違っていたわけである。
今、世の中の古書を読んで説く学者の多くはこう言った類のものだ。
言い伝えでも過信してはいけない
郢の人が「灯りを上げてくれ」と言いながら、自分でも間違って手紙に書いてしまったという逸話ですね。
燕の宰相がその間違った文を崇高に解釈し、勝手に盛り上がった結果国が繁栄したという面白話でもあります。
韓非は、例え古書に書かれていたとしても、それが本人の真意であるかわ分からないという事を伝えています。
また、他人の言葉を引用し盲信するのではなく、自分の解釈とは違うかもしれないという点も踏まえながら、己の頭で考える事の大切さを説いています。
とことん相手を疑う姿勢を崩さない韓非らしい考え方ですね。
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