30分の運動が抗うつ効果をもたらす理由とは ── アディポネクチンが担う脳内メカニズム

科学
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軽いジョギングのようなわずか30分の中強度運動が、即座に気分を大きく改善する。

 

こういった運動と気分改善の関係は、これまで多くの人が実感として語ってきたことですが、科学的には十分に説明されていない側面がありました。

  

しかし今回、香港理工大学を中心とする研究チームは、運動がどのようにして即効性を持つ抗うつ効果を発揮するのか、その詳細なメカニズムを明らかにしたと報告しています。

  

研究によると、この即時的な効果の鍵を握るのは、運動後に急増するホルモン アディポネクチン(adiponectin) であると示されました。

  

アディポネクチンは血液中に放出されるだけでなく、脳の感情調節に重要な領域へと入り込み、神経細胞の活動を変化させることで気分を上向かせる働きをしていると考えられています。

  

さらに驚くべき点として、この作用は人間だけでなくマウスにおいても確認されており、短時間の運動療法が即効性のある抗うつ効果を持つ可能性を強く支持する結果となっています。

 

研究全体としては、運動が既存の抗うつ薬よりも早く気分改善をもたらす「迅速作用型治療」としての可能性を秘めていることを示唆しており、今後の医療応用にも期待が高まっています。

以下に研究の内容をまとめます。

参考記事)

A Single 30-Minute Exercise Session Has an Immediate Antidepressant Effect(2025/11/29)

参考研究)

Rapid antidepressant effect of single-bout exercise is mediated by adiponectin-induced APPL1 nucleus translocation in anterior cingulate cortex(2025/10/25)

 

 

研究の背景:運動は気分改善に有効なのは分かっていたが…

 

運動が中等度のうつ病や不安症状の改善に役立つことは多くの研究で確認されています。

 

しかし、その多くは「継続した運動」による長期的な効果を中心にしたものです。

  

一方、今回の研究チームが注目したのは、“1回の運動がどの程度の即時的効果を持つのか” という点でした。

 

実際、短時間の運動を行うと気分が軽くなるという報告は多くの人が経験的に述べていますが、その原因として考えられるメカニズムは明確ではありませんでした。

 

研究を主導した Sonata Suk-yu Yau氏は、Psypostの取材に対し次のように述べています。

   

一部抜粋

迅速に作用する抗うつ治療は非常に限られており、副作用が少なく持続性のある方法が求められている。この研究は、1回の運動が抑うつ症状を軽減する臨床的証拠を提供するものである。

 

このコメントの通り、研究の目的は単なる心理的な効果の実証ではなく、科学的かつ生物学的なメカニズムの特定 にあります。

 

 

研究の方法:40人の成人と複数のマウスを対象に実験を実施

研究チームはまず、18〜40歳の成人40名を対象に運動が気分に与える影響を調査しました。

 

参加者には運動前後で Profile of Mood States(POMS) のアンケートに回答してもらい、気分の変化を評価しました。

  

参加者はトレッドミル(ランニングマシン)で30分間の中強度運動を行い、心拍数をモニタリングされながら安全に実験が進められました。その後、直ちに再度アンケートに回答しました。

  

その結果、次のような変化が確認されました。

• 不安・抑うつ症状を持つ参加者

→ 怒り、混乱、疲労、抑うつ、不安が低下

• 不安・抑うつの有無に関係なく

→ 自尊心や活力が上昇

 

つまり、症状を持つ群・持たない群のどちらにおいても、わずか1回の運動で気分が統計的に有意に改善したのです。

 

人間の実験だけでも有意な結果でしたが、研究チームはさらにその背後にある生物学的メカニズムを解明するため、マウスを用いた詳細な実験を行いました。

  

  

アディポネクチンが脳内で“気分改善スイッチ”を入れる

「アディポネクチンを放出する細胞(Mast cell)の顕微鏡写真」

 

マウスの実験では、一部の群に 慢性的な不可避ストレス(Chronic Unpredictable Stress) を与えることで、人間の抑うつに似た状態を誘導しました。

 

この方法は研究の世界では一般的ですが、動物にとっては厳しい環境になります。

 

ストレスを与えたマウスは

• 身だしなみ行動の減少

• 探索行動の低下

• 不活動時間の増加

 

など、人間のうつ症状に類似した行動変化を示しました。

 

一方、対照群のマウスにはストレスを与えず、両群に中強度の運動を与えました。すると、驚くべきことに、

 

ストレスを与えたマウス・与えなかったマウスの両方で、運動後に気分改善に関連する行動が大きく上昇しました。

 

具体的には、

• グルーミング(毛づくろい)行動の増加

• 水泳テストでの活動量増加

• 探索行動の増加

 

などが確認されました。

 

これらの変化は、運動後2時間で強く表れた後に24時間ほど持続、48時間後には消失するという経時的パターンを示しました。

  

では、なぜこのような変化が起きるのでしょうか。

  

研究チームは運動直後のマウスを解析し、血液と脳内を調べました。

  

その結果、アディポネクチン(adiponectin)というホルモンが大幅に増加し、脳の内側前頭前野へ入り込んでいることが確認されました。

  

内側前頭前野は情動制御に深く関わる領域であり、人間の抑うつ症状とも関連性が高い部分です。

  

アディポネクチンは、この領域の神経細胞の AdipoR1 受容体 に結合し、そこから APPL1 というタンパク質を介したシグナル伝達を活性化していました。

  

この一連の作用によって起こることは以下が挙げられます。

• シナプス構造の強化

• 樹状突起スパインの形成促進

• 神経細胞ネットワークの機能改善

  

これらの変化が、即時的な気分改善につながっていると考えられます。

  

興味深いことに、ケタミンも同様に樹状突起の変化を引き起こすことが知られており、即効性抗うつ薬の作用機序との共通点が示唆されます。

  

研究が示唆する未来:運動療法のガイドライン作成や新薬開発の可能性

 

今回の研究は、アディポネクチンとその受容体 AdipoR1 が「気分改善スイッチ」として働いている可能性を明確に示しました。

 

これは、即効性抗うつ薬の開発にも大きなヒントを与えます。

 

実際、アディポネクチン受容体の人工的な作動薬アディポロン(AdipoRon)に関する研究も進められており、今後うつ病治療薬として応用される可能性があります。

 

ただし現在のところ、人間での臨床試験は行われておらず、安全性や効果は不明です。

 

研究代表者であるYau氏は、「最終的には、単回の運動による気分改善効果を最大化するための、一般市民向けガイドラインの策定を目指している。」と述べ、研究の応用可能性について言及しています。

 

 

まとめ

・30分の運動がアディポネクチンを増加させ、脳内の情動調節領域を活性化することが気分改善の要因であることが示された

・効果は人間とマウスの両方で確認され、24時間程度持続することが示唆された

・この仕組みは即効性抗うつ薬開発にもつながる重要な発見であるが、一部の内容は今後の研究でさらに検証が必要

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