幻覚剤として知られてきたサイケデリック薬(脳神経系に作用して幻覚や変性意識状態を引き起こす薬物:幻覚剤)が、いま医療の新たな可能性として注目を集めています。
かつてはヒッピー文化と結びつけられ、長らく否定的なイメージを持たれてきたこれらの物質が、再び科学の光の下に戻ってきました。
研究の進展により、うつ病などの精神疾患のみならず、炎症を基盤とするさまざまな慢性疾患に対しても治療的効果を発揮する可能性が示されています。
今回のテーマとして、以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・From trips to treatments: how psychedelics could revolutionise anti-inflammatory medicine(2025/10/11)
参考研究)
・Are we hallucinating or can psychedelic drugs modulate the immune system to control inflammation?(2025/07/28)
幻覚薬の再評価と医療的可能性

サイケデリック薬とは一般的に幻覚剤のことを指し、一般にLSD、DMT、シロシビン(マジックマッシュルーム由来の成分)、アヤワスカなどが該当します。
これらは幻覚を引き起こすことで知られていますが、近年ではその「幻覚作用」よりも、「生理的な回復力を高める作用」が注目されています。
もともとこれらの研究は、うつ病や不安障害などの精神疾患治療を目的に始まりました。
現在使用されている抗うつ薬が十分に効かない患者が多い中で、サイケデリック薬は新たな希望をもたらす可能性があると考えられています。
最近の研究では、サイケデリック薬が免疫系にも深く作用することがわかり、体内の炎症を鎮め、自己免疫疾患や心疾患などの炎症性疾患に効果を示す可能性があるのです。
サイケデリック薬が炎症を抑えるメカニズム
ヒト細胞や動物モデルを用いた実験で、DMT、LSD、(R)-DOIといったサイケデリック化合物が、炎症性サイトカインと呼ばれるタンパク質分子(TNF-α、IL-6など)の放出を阻害することが明らかになりました。
これらのサイトカインは、関節リウマチ、喘息、うつ病、さらには外傷性脳損傷による脳の炎症にも関与する重要な分子です。
興味深いのは、サイケデリック薬がこれらの炎症性反応を抑制しながらも、正常な免疫機能を損なわないという点です。
一般的な抗炎症薬であるステロイド剤は、炎症を抑える一方で免疫力を全体的に低下させてしまうという副作用があります。
しかし、サイケデリック薬は免疫抑制を伴わずに炎症だけを鎮める可能性を持つため、「ステロイドに代わる安全な抗炎症治療薬」としての期待が高まっています。
ヒトを対象とした研究の成果

ヒトに対する研究も始まっており、例えばシロシビン(マジックマッシュルームの有効成分)を用いた実験では、健康なボランティア60人を対象にした研究において、たった一度の投与で血中のTNF-αおよびIL-6のレベルが有意に低下しました。(Psilocybin induces acute and persisting alterations in immune status in healthy volunteers: An experimental, placebo-controlled studyより)
その効果は1週間以上持続したと報告されています。
しかしながら、すべての研究で同様の明確な結果が得られたわけではありません。
被験者数が少ない試験や、参加者の中に過去に薬物使用経験のある人が含まれていた研究などもあり、結果の解釈には慎重さが求められます。
また、サイケデリック薬の研究では「プラセボ(偽薬)との区別が難しい」という大きな課題もあります。
強烈な幻覚作用があるため、被験者もすぐに「本物を服用した」と気づいてしまうのです。
これにより、期待効果による心理的影響(プラセボ効果)が測定結果に混ざってしまう可能性があります。
アヤワスカと炎症マーカーの変化

南米アマゾン地域で伝統的に使用されるアヤワスカには、サイケデリック成分であるジメチルトリプタミン(DMT)が含まれています。
この飲料を用いた研究では、難治性うつ病患者および健康な被験者の双方で興味深い結果が得られました。
アヤワスカを摂取した人々は、炎症マーカーであるCRP(C反応性タンパク)の値が低下しており、さらにCRPの減少量が大きいほど、気分の改善度も高かったことが示されました。(Changes in inflammatory biomarkers are related to the antidepressant effects of Ayahuascaより)
この結果は、炎症の軽減がメンタルヘルスの改善に関与している可能性を示唆しています。
また、近年の研究では、うつ病や統合失調症などの精神疾患が全身の慢性炎症と関係しているという見解が強まっています。
サイケデリック薬がこの「炎症–精神疾患」の関係を緩和する手段となるかもしれません。
サイケデリック薬の作用点 ― 5-HT2A受容体と未知の経路
科学者たちは、サイケデリック薬が主に5-HT2A受容体という脳内のタンパク質に作用すると考えています。
この受容体は、幸福ホルモンとも呼ばれるセロトニンに反応する部位で、脳内の化学信号を調整する役割を果たしています。
しかし驚くべきことに、炎症を抑える効果は必ずしも幻覚作用と同じ経路によって生じるわけではないことがわかってきました。
例えば、動物実験で気管支喘息モデルを用いた研究では、(R)-DOI、(R)-DOTFMという二つの化合物がいずれも類似した幻覚様作用を示したにもかかわらず、抗炎症作用は一方の薬にしか認められませんでした。

これは、サイケデリック作用と抗炎症作用が異なる生化学的メカニズムを持つ可能性を強く示唆しています。
この発見により、「幻覚を引き起こさずに炎症を抑える薬」を開発する道が開かれつつあります。
幻覚作用の新世代の治療薬へ
バーミンガム大学の研究者Nicholas Barnes教授は、これらの発見による次世代の抗炎症治療薬を「Pipi薬(Psychedelic-informed but Psychedelic-inactive drugs)」と呼んでいます。
これは、サイケデリック薬の治療的メリットを模倣しながら、幻覚作用を持たない化合物を意味します。
アメリカの製薬企業デリックス・セラピューティクス(Delix Therapeutics)が開発中のDLX-001およびDLX-159などの薬剤は、抗うつ効果を示しつつも「トリップ」を起こさないことが確認されています。
これらの薬剤が臨床応用に成功すれば、炎症に関連する多くの慢性疾患を、精神的副作用なく治療できる可能性があります。
まだ研究は初期段階にありますが、サイケデリック薬やそれに基づく新薬が、全く新しいタイプの抗炎症治療となる可能性が見えてきました。
今後、長期的な炎症性疾患を対象とする臨床試験が進み、プラセボ対照や二重盲検法などの厳密な実験デザインが採用されることで、より信頼性の高いデータが得られると期待されています。
また、幻覚作用と治療効果を分離できる新薬が確立されれば、サイケデリック研究は単なる「意識拡張」の領域を超え、免疫制御や慢性炎症疾患の根本治療に向けた画期的な医療分野として発展していくでしょう。
まとめ
・サイケデリック薬は炎症を抑制しつつ正常な免疫機能を保つ可能性がある
・幻覚作用とは異なるメカニズムで抗炎症効果を示すことが示唆されている
・幻覚のない「Pipi薬」の開発により、安全で革新的な治療法が誕生する可能性がある


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