哲学

【韓非子㉘】自分の利益の為に相手の心を掴む

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【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

      

韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

        

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

      

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

      

今回のテーマは“呉起跪(ひざまず)きて自ら其の膿(うみ)を吮(す)う”です。

     

                      

           

呉起跪きて自ら其の膿を吮う

【本文】

呉起(ごき)魏の将となりて中山を攻む。

 

軍人に疽(しょ)を病む者有り。

 

呉起跪(ひざまず)きて自ら其の膿(うみ)を吮(す)う。

 

し傷者の母立ちて泣く。

 

人問うて曰わく、将軍の若(なんじ)の子に於(お)けること是(かく)の若(ごと)し、尚(な)お何の為にしてか泣く、と。

 

と対(こた)えて曰わく、呉起其の父の瘡(そう)を吮いて、父死せり、今是の子又将(まさ)に死せんとす、今吾(われ)是(ここ)を以て泣く、と。

 

【解釈】

あるとき魏の将軍だった呉起は中山国を攻めた。

 

その際、ある兵士が疽(皮膚病)を患っていた。

 

呉起はその兵士の前に跪き、自らの口で膿みを吸いとってやった。

 

すると病人の母はその場から立ち上がり(別な場所で隠れるように)泣いていた。

 

その様子に気づいた者が母に問うた。

 

「将軍があれほどあなたの子に尽くしているのに、なぜ泣いているのか」

 

母は答えた。

 

「呉将軍はあの子のできものを吸いとってくれました。

 

あの子はそれに報いるために自らの命を捨てる覚悟で戦い死んでいくでしょう。

 

それが悲しいのです」

 

と。

 

 

自分の利益の為に相手の心を掴む

呉起(紀元前440年〜紀元前381年)

 

呉起は衛に生まれ、魯で出世を果たし、その出世の仕方によって身の危険を感じたことから最終的に魏の文侯の下で活躍した人物です。

 

楽羊や西門豹らとともに魏国を覇国へと押し上げた将でもあります。

 

呉起は兵と同じ釜の飯を食べ、兵と同じ寝床につき、兵と同じように戦い、常に兵の中にいた人物とされています。

 

そういったことがあってか彼が率いる軍は命もいとわない兵士が多く、圧倒的な強さを見せたと言います。

 

韓非は、そんな呉起が跪いて病人の膿みを吸ったのは兵を愛するからではないと言っています。

  

そうしたら兵は恩義を感じ、呉起の利益のために働いてくれるからだと述べています。

 

本当に兵のことを愛するならば、戦場で死なせるために共にするのではなく、生き延びるための道を示すだろうとも考えられます。

 

そう考えると、確かに呉起の行動は利益を目的としたと言えますね。

 

逆に言うと、人は良い意味でも悪い意味でも、利益の為に誰かを動かしていると考えられます。

 

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