【前回記事】
の続き。
コープランド&ギャレットに社名を変更
ジョサイア・スポード2世によって発展したスポード窯。
彼が亡き後の1827年、息子のスポード3世が窯を引き継ぐことになりますが、そのから2年後の1829年に蒸気機関の歯車に巻き込まれる事故によって腕の一部を失う大けがを負います。
その怪我が原因で間もなく彼は急逝。
亡きスポード3世の遺産管財人からスポード社を買収したのが、後のロンドン市長にもなる“ウィリアム・テイラー・コープランド”という人物です。
彼の父であるウィリアム・コープランドは、1795年頃からスポート社のビジネスパートナーであり、ロンドンにあるスポードのショールームも経営していた人物です。
ウィリアム・テイラー・コープランドは、スポード社のトップセールスマンを務めるトーマス・ギャレットを株主に迎え、社名を“コープランド&ギャレット”という名前に変更し経営をスタートしました。
(その後、ビジネスパートナーの引退などから、コープランドを冠した社名に何度か変更になりますが、ややこしいので割愛します。)
パリアンウェア
コープランド&ギャレットの大きな貢献として、“パリアンウェア”の開発があります。
別名パリアン磁器と呼ばれ、大理石の質感によく似た磁器です。
19世紀半ばのイギリスでは、上流階級の間では未だに古代ギリシャもモチーフとしたネオクラシカル(新古典主義)がトレンドでした。
特に大理石で作られた彫刻は、貴族の間で人気を博します。
一方、中産階級の人々は大理石を手に入れることは難しかったため、“大理石風”のコレクションを欲するようになりました。
このニーズに対応するようにコープランド&ギャレット社が研究開発の末、1845年頃に生み出したのがパリアンウェアです。
可逆性に富んだ彫刻用の素材を使い、長石をおよそ70%含ませることで大理石のような質感を再現しました。
パリアンウェアは大ヒット。
ウェッジウッド、ミントンをはじめ、誕生からおよそ50年の間で130社以上がこの製法を使って彫像や食器などを生産するほどでした。
ロンドン万博
1851年に開催されたロンドン万博では、イギリスの窯は金賞、銀賞を共に逃すと言う結果に終わりました。
ドイツ、フランスなど大陸製の磁器とのレベルの違いに驚いたヴィクトリア女王は、万博の翌年に世界初の装飾工芸博物館(現在のヴィクトリア&アルバートミュージアム)を建設。
英国窯職人の手本となるよう、王室のコレクションを一般公開しました。
コープランド社はこの機会に、名窯のコピー品を商品化する手法に出ました。
この工芸博物館の公開によってコピーブームが到来。
コープランドのみならず、ミントンやウースターなどの英国の各窯がコピー品を量産していきました。
1853年以降になると模倣品が市場に出され、大陸では窯の印まで真似た贋作が大量に出回るきっかけになったという歴史もあります。
スポードに社名を戻す
時は進み、第二次世界大戦頃。
戦争一色だったイギリス国内は、節制が求められる時代でもありました。
陶磁器にも豪華な装飾は控えることが推奨され、白地の磁器のみ生産するよう通達されました。
しかし、外貨を稼ぐための輸出品(主にアメリカ)に対しては、その制限の限りではありませんでした。
コープランド社は、それまで国内で販売していたように、絵付けを施した磁器をアメリカ市場に向けて送り出しました。
認知度を上げるために、スポードから始まった歴史をカタログに記載して食器に付属して売り出します。
しかし業績はイマイチでした。
理由はその社名にありました。
磁器にはコープランドの刻印があるにもかかわらず、カタログにはスポードについての歴史が語られていることから、コープランドはスポードの卸売業者と勘違いされていたしまったのです。
カタログの刷新やセールスでのアピールなど様々に手を尽くしましたが、コープランドのブランドイメージを変えるほどではありませんでした。
こう言った経緯もあり、コープランドは社名を“スポード(Spode Ltd.)”に変更することになります。
海外製品との激しい競争の中で営業を続けていきますが、1976年にロイヤル・ウースターとの経営統合を迎えます。
ストーク・オン・トレントに工場を移転しますが、押し寄せる不況の波から2008年11月に経営破綻。
一時閉窯となるも、2009年にポートメイリオン(Portmeirion)社の傘下に入ったことにより、現在でも伝統が受け継がれています。
まとめ
・ジョサイア・スポード3世の急逝によってコープランドが経営を受け持つことに
・社名を変え技術を発展させながらスポード(コープランド&ギャレット)を拡大
・戦争や不況を乗り越えるも、経営難に陥り吸収合併
・一時閉窯になるもポートメイリオンの傘下にて伝統が受け継がれている
以上、コープランドの歴史についてでした!
ちなみにコープランド&ギャレット期の1842年には、ボーンチャイナを更に改良し、牛骨(骨灰)を50%以上含んだ磁器(現在のファインチャイナ))の製造に成功しています。
これらのことからも、ビジネス目的はあったにしろ、ただ買収しただけではなくスポードを発展させる大きなきっかけにもなったようです。
イギリスでボーンチャイナを製造する窯が多いのも、スポードファミリーやコープランドがあってこそだと感じます。
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