教育文学

高貴な人と卑賤な人との間隔が大きくなればなるほど、自分の身分だけを見ようとする。~エミールより~

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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。

     

“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。

      

またそれらの言葉がこの本の要約にもなるようまとめていきます!

  

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778年)

  

  

「未開の状態において自然のことと、社会状態において自然のこととを混同してはならない。」

未開の状態において自然のことと、社会状態において自然のこととを混同してはならない。

  

第一の状態において、全ての女性は全ての男性にふさわしい。

  

両社はいずれもまだ原始的な共通の形態を持っているに過ぎないからだ。

  

第二の状態においては、各人の性格は、社会制度のおかげで発達している。

 

各人の精神は教育だけからではなく、自然のものと教育との正しく秩序づけられた、あるいはそうではない、協力から固有の決まった形態を受け取っている。

  

ここでは男女があらゆる点で互いに相応しいかどうかを知るために、あるいは少なくともそういうふさわしい点を一番多く示している選択をするために、彼らを互いに引き合わせた後でなければ組み合わせることができないようになっている。

  

  

「高貴な人と卑賤な人との間隔が大きくなればなるほど、自分の身分だけを見ようとする。」

不幸なことに社会状態は人々の性格を発達させるとともに身分を区別する。

  

そして、この二つの秩序の一方は他方と同じようなものではないから、身分が区別されればされるほどますます性格は混同される。

 

平等から遠ざかれば遠ざかるほど、いよいよ自然の感情は変質することがわかる。

  

高貴な人と卑賤な人との間隔が大きくなればなるほど、自分の身分だけを見ようとする。

  

ますます夫婦の絆はゆるみ、金持ちと貧乏が増えれば増えるほど、父親や夫は少なくなる。

 

弊害を防止して、幸福な結婚をさせようとするなら、偏見をなくすがいい、人間の制度を忘れるがいい、そして自然に相談するが良い。

  

与えられたある条件においてのみ、互いに相応しい二人、その条件が変わることになれば、互いに相応しいとは言えなくなるような二人を結びつけてはいけない。

 

どんな状況に置かれても、どんな国に住むとしても、どんな階級に落ちることになるとしても、いつまでも互いに相応しい二人を結び付けるのだ。

  

一般に考慮されている関係が、結婚においてどうでもいいことだとは私は言わない。

  

ただ自然の関係の影響はそういう関係の影響よりもはるかに重大で、それだけが人生における運命を決定することになる。

  

 

「身分の平等ということは結婚にぜひ必要なこととは言えない。」

身分の平等ということは結婚にぜひ必要なこととは言えない。

  

しかしその点の平等が他の点での色々な一致に付け加えられるとすれば、それらに新たな価値を与えることになる。

  

それはどの点の一致とも秤(はかり)にかけられて比べられるものではないが、他の点で利害が相等しい場合には、秤の皿を傾けさせることになる。

  

  

まとめ

今回は環境や身分によって変わる結婚の考え方についての話でしたね。

 

人がものも家も家族も持たない状態にいるとした場合、人々はお互いに配慮しながら生きていたはずだとルソーは考えていました。

  

彼は社会契約論において、これを自然状態と名付けました。

 

対して、私有財産が生まれ一部の強者がそれを守るためにルールを決めた状態、またはそのルールの中で生活をしている状態を社会状態と名付けています。

 

この社会状態では、強者と弱者の間で格差や身分が生まれ、誰と一緒になるかさえもコントロールできなくなると主張しています。

  

そうならないよう、お互いが困難に陥った時に寄り添っていられるかをしっかり吟味していくことが大切だということですね。

 

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