【前回記事】
帰ってきたチャールズ
1836年10月2日、4年9ヶ月に及んだダーウィンの旅は遂に終わりを迎えました。
イギリスのファルマス港から馬車に揺られること二日二晩。
ようやく愛おしい我が家にたどりついたそのとき、夜も深く、皆眠りについていました。
ダーウィンは誰にも気づかれないようこっそり自分の部屋に入って静かに夜を明かし、翌朝何事なかったかのように食卓についていました。
そのときの家族の驚きと歓喜の様と言ったら容易に想像できるでしょう。
また、愛犬であるハンティングドッグのピンチャーと小型犬のニーナは、まるで彼が朝出掛けて夕方に帰ってきたかのように彼を迎えてくれました。
5年も経っているのに主人の顔を忘れずに覚えている犬の記憶力に驚きを覚えたそうです。
旅の途中で何度も送っていた標本や手紙の話題によってすでにダーウィンは時の人となっており、各所から「すぐにでも会いたい」という声が多数寄せられていました。
もともと人付き合いが苦手だったダーウィンでしたが、多くの人から認められていることを感じていたからか、科学者として名を残すことに前向きでした。
とはいえ、まずは恩師らへの報告するためにケンブリッジへ向かい、ヘンズローとセジウィックに再会しました。
ここからは大忙しの毎日で、世界中から収集した生物や植物の標本や化石を、各分野のスペシャリストに託すべく奔走することになります。
父もそんなチャールズ(ダーウィン)の姿に鼻を高くし、苦肉の策で考えた“息子を牧師にさせる”というか細い希望はいつの間にか消えてなくなっていました。
ノートブックB
1837年1月、ダーウィンは鳥類学者のグールドと面会しました。
グールドは以前紹介した“ダーウィンが発見したフィンチが、実は一つ種ではないこと”を明らかにした人物です。
ダーウィンもここでフィンチがいくつもの異なる種に分かれていることに気づいたようで、きっとガラパゴス島に戻ってやり直したいと思ったことでしょう。
その年の7月になると、いよいよ進化論への研究が始まっていきます。
彼はまず、表紙に『ズーノミア』と記したノートに、自分の考えていることを徹底的に書き記しました。
ズーノミアという言葉は覚えていますでしょうか。
父方の祖父エラズマス・ダーウィンによる生物学について著作の題名です。
“evolution(進化)”という言葉を生物学に持ち込んだのも彼でしたね。
このズーノミアと記されたノートは、「ノートブックB」と呼ばれ、ダーウィンの頭の濁流を注ぎ込んだ貴重な資料でもあります。
左上の「I think (私は考える)」から始まるこのメモは、新し種が枝分かれしながら生まれることが書かれています。
また、それに伴ってある種が絶滅することも避けようのない事実であることや、それらの結果として系統的に近縁のグループのまとまりが生まれることが説明されています。
このノートは進化論構築の始まりとして、ケンブリッジ大学図書館に重要図書扱いで保管されていましたが、2020年にこのノートとともに「ノートブックC」の紛失も確認されて以降“盗難”扱いになっていました。
しかし、2022年3月9日、図書館職員の一人が館内にそっと置かれているのを発見したことで二冊のノートは無事に図書館に戻ってきました。
回収した場所に一緒に置かれていた紙には、「ハッピーイースター図書館員」と記された紙が置かれていたそうです。
マルサスの罠
ダーウィンが進化論を書き上げるに当たって、重要とされる考え方があります。
それは現在では“マルサスの罠”と呼ばれており、「どれだけ工業が発展しようと、食料が無くなれば死ぬしかない」という理論です。
イギリスの古典派経済学者の一人、トマス・ロバート・マルサスが著した『人口の原理(人口論)』には、人口の増加と食糧のバランスについて体系的に言及されています。
ダーウィンは彼の「計算では、人口は25年で倍増ることが可能だが、実際には貧困、悪徳、病気、飢饉などの制限によってそのような増加は起こらない」という意見を踏まえ、他の生物でも同様の事象が起こるのではないかと考えました。
例えば、「1匹当たり2000個の卵を産卵するニシンは、8世代を経ると世界中の陸海を覆うほど増えてしまう」といったものです。
しかし、実際にはそのようなことは起こっていません。
彼は、生物は集団を維持するのに必要とされる以上の卵を産むが、実際に成長してまた繁殖できるのはその一部に限られることを考察しました。
その中でも環境にもっとも適したものが繁殖する場合、生物は世代を重ねるごとに進化していくだろうことに気づいたのも、マルサスの人口論があったからでもあるのです。
彼のノートに着々と積み上がっていく“進化論”の論理ですが、実はこのとき、この考えを公表しようとは考えていませんでした。
正確には公表する機会を伺っていたのです。
進化論はキリスト教の教義に反する考え方でもある上に、ケープタウンの一流の科学者ハーシェルや恩師のヘンズローやセジウィックでさえも、生物は神が創造したと考えていたからです。
ダーウィンは孤独に自らの論理に向き合い、日の目を見ることがないノートにひたすら書き綴っていったのです。
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