日常的に多くの人々を悩ませている便秘や腹痛ですが、これらの症状が腸の内部でどのように関連し合っているのかについては、長年にわたり十分な解明がなされていませんでした。
ワシントン大学などの研究チームによる最新の研究では、大腸内に存在する特定の神経細胞群が、腸の内容物を押し出す運動の調節と、内臓からの不快感や痛みの検知という二つの重要な機能を同時に担っている可能性が明らかになりました。
具体的には、「Pdyn」と呼ばれる遺伝子を発現する腸管神経系内の特定ニューロンが、大腸の収縮運動を促進すると同時に、痛みなどの内臓感覚を脳や身体へ伝えるネットワークの重要な起点となっていることが示されました。
なお、本研究の科学的エビデンスの強さについては留意が必要です。
本論文はプレプリント(専門家による査読を受ける前の段階にある学術論文)として公開されたものであり、実験対象も現時点ではマウスモデルに限られています。
そのため、研究の信頼性は一定程度確保されているものの、確定的論証に至るには今後の専門家による検証や人間での臨床研究が不可欠であります。
以下に研究の内容をまとめます。
参考研究)
・The Critical Role of Pdyn-Lineage Enteric Neurons in Colonic Motility and Visceral Interoception(2026/07/24)
腸内に存在する「第2の脳」と未知の神経細胞

私たちの消化管には、脳や脊髄といった中枢神経系とは独立して複雑なネットワークを形成する神経網が存在します。
これは腸管神経系と呼ばれており、消化管の壁の中に網の目状に広がり、脳からの指令がなくても消化液の分泌や腸の運動を独自に調整する神経の仕組みです。
その独立性の高さから「第2の脳」とも表現されます。
これまでの研究から、腸管神経系が食餌の消化や便の移送に不可欠であることは知られていました。
しかし、腸管神経系の中には多様な性質を持つ神経細胞群(ニューロン)が混在しており、それぞれの細胞群が具体的にどのような役割を担っているのかを個別に特定することは困難でありました。
ワシントン大学の研究グループは、腸管神経系の中から運動や感覚に関わる特定のニューロンを区別するために、遺伝子発現データの解析を行いました。
その結果、プロダイノルフィンと呼ばれるタンパク質をコードするPdyn遺伝子(プロダイノルフィン遺伝子)がこの遺伝子発言のキーとなることが分かりました。
この遺伝子を目印にすることで、大腸の筋層や粘膜下に存在する特定のニューロンを正確に同定し、その機能を詳細に分析することが可能となりました。
局所刺激がもたらす便への影響
研究チームは、遺伝子組み換え技術を用いてPdyn遺伝子を持つニューロンを光で刺激できるマウスを作成し、さまざまな実験を行いました。
まず、体外に取り出したマウスの大腸を用いた実験が行われました。
この状態の大腸は、脳や脊髄、あるいは外部からの神経入力が完全に遮断された環境にあります。
この分離された大腸内でPdynニューロンを光で人工的に活性化させたところ、腸管の収縮運動が引き起こされ、内部に収められた便の固形物が前方へと押し出される現象が確認されました。
この実験結果は、Pdynニューロンが中枢神経からの指示を介することなく、腸管自身の力だけで消化物の輸送運動を直接的に駆動できる能力を持っていることを明確に示すものであります。
電気生理学的な解析においても、これらのニューロンは刺戟を受けた瞬間にのみ短時間の活動電位を発生させ、その後は持続的な刺激が与えられても活動を休止するという特徴的な応答パターンを示すことが判明しました。
この特性は、腸管内での周期的な運動制御に適していると考えられます。
生体内で観察された痛みと不快感の行動
次に、研究チームは生存している状態のマウス(in vivo環境)において、同様に光刺激を用いて大腸内のPdynニューロンを活性化させる実験を実施しました。

驚くべきことに、生きているマウスの体内でこのニューロンを刺激した場合、排出される便の総量や速度には大きな変化が見られませんでした。
生きている動物の体内では、腸管神経系だけでなく体外からの自律神経の関与などが複雑に絡み合うため、単一のニューロン群の刺激だけでは全体の排便量に直ちに影響が出なかったと考えられます。
その一方で、生存中のマウスには顕著な行動の変化が観察されました。光刺激を受けたマウスは、動きを完全に止めるフリージング行動をとったり、目の周囲の筋肉を強く収縮させる「オービタル・タイトニング」と呼ばれる表情の変化を見せたりしました。
これらの行動は、マウス実験において胃や腸などの内臓器官が引き伸ばされたり炎症を起こしたりした際に生じる、鈍く持続的な痛みや不快感や強い違和感を感じているときに見られる代表的な反応であります。
この結果から、Pdynニューロンは大腸を動かすだけでなく、腸内部で発生している状態の変化を感覚として捉え、不快感や痛みとして認識させるシグナル伝達にも深く関与していることが示唆されます。
炎症に対する感度と病態解明への展望
さらに研究グループは、これらのニューロンの分子レベルでの特性を調べました。
その結果、健康なマウスの段階においても、Pdynニューロンの表面にはサイトカイン受容体が発現していることが発見されました。
この発見は、Pdynニューロンが腸内での物理的な刺激だけでなく、腸管内で発生した化学的な炎症シグナルを直接感知できる可能性を示しています。
例えば、何らかの原因で腸に炎症が起きた場合、このニューロンが炎症物質を感知して過敏に反応し、激しい痛みを引き起こしたり、腸の異常な運動を誘発したりするメカニズムが存在するのかもしれません。
ただし、これらのニューロンが炎症発生時にどのように挙動を変えるのか、あるいは実際に人間においてまったく同一の機能を担っているのかという点については、まだ実験的に完全な証明がなされたわけではなく、現時点では解釈に曖昧さや推定が含まれていることを明記しておく必要があります。
将来的にこれらの知見が人間でも実証されれば、慢性的な便秘と激しい腹痛を伴う過敏性腸症候群(IBS)や機能性消化管障害といった消化器疾患に対し、この特定の神経を標的とした新たな治療薬や緩和アプローチの開発につながるものと期待されます。
腸の運動と痛みの感覚
今回の研究結果は、腸の運動と痛みの感覚が深い部分で連結していることを示唆しています。日々の健康維持や腸内環境の管理においては、以下の点に注意して生活することが推奨されます。
お腹の不快感や痛みを放置しない:腸の運動異常と痛みのシグナルは同じ神経系を介して引き起こされている可能性があるため、日常的な便秘や下痢に伴う小腹痛を単なる一過性のものと軽視せず、症状が続く場合は早めに医療機関を受診することが大切です。
腸内の炎症を防ぐ生活習慣の維持:炎症シグナルが神経を刺激して痛みを増幅させる可能性があるため、バランスの良い食事や十分な睡眠を取り、腸内環境を整えて慢性的な低度炎症を防ぐことが重要です。
ストレスの適切な管理:腸管神経系は自律神経の影響を強く受けるため、精神的なストレスを溜め込まない工夫をすることが、腸の過剰な神経応答やそれに伴う腹痛の予防につながります。
まとめ
・大腸内に存在する「Pdyn」遺伝子を発現するニューロンが、腸管の収縮運動と内臓の痛み感覚の両方を同時に調整している可能性が示された
・生体外の大腸標本では該当ニューロンの刺激により便の移動が促進された一方、生きているマウスでは排便量の変化よりも痛みや不快感を示す行動変化が顕著に観察された
・本知見はプレプリント段階のマウス研究に基づくものであり、人間の慢性便秘や過敏性腸症候群(IBS)の治療に応用するためには更なる検証が必要

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