豪雨や雪解けによって巣穴が水没した場合、多くの昆虫は生き延びることができません。
しかし近年の研究により、北米に生息するあるマルハナバチ(Bombus impatiens)の女王が水中に1週間以上沈んだ状態でも高い確率で生存できることが明らかになりました。
過去の研究では、この種の女王バチの約90%が水没後も生存するという結果が報告され、昆虫学者の間で大きな注目を集めました。
そして今回、その理由がついに解明されました。
カナダのオタワ大学の進化生理学者 Charles Darveau氏ら研究チーム主導したものです。
研究チームは、マルハナバチの女王が水中でも生き延びられるのは、水中から酸素を取り込む能力、酸素を使わない代謝(嫌気代謝)、そして代謝を極限まで低下させる仕組みという複数の生理的戦略によるものであることを突き止めました。
この発見は、巣穴が洪水に見舞われた場合でも、コロニーの中心的存在である女王バチが生き残り、後に再びコロニーを再建できる可能性を示しています。
また、陸上昆虫の中には、これまで知られていなかった極端な環境ストレスに対する隠れた生存能力が存在する可能性も示唆されています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・We Finally Know How Bumblebee Queens Can Survive Underwater For Days(2026/03/11)
参考研究)
冬の休眠「ディアポーズ」とマルハナバチの女王

多くの昆虫は冬になると、発育や代謝を大幅に抑える「ディアポーズ(休眠)」と呼ばれる状態に入ります。
これは厳しい環境を乗り切るための重要な生存戦略です。
マルハナバチの女王も例外ではありません。
秋から冬にかけて、女王バチは地面の中に安全な巣穴を見つけて潜り込み、そこで冬を越します。
休眠状態に入った女王はほとんど活動せず、代謝も極めて低くなります。
しかし、地下の巣穴は必ずしも安全とは限りません。
激しい雨や雪解け水、地下水の上昇などの自然現象によって、巣穴が水没する可能性があります。
こうした現象は頻繁に起こるわけではありませんが、予測できない形で発生するため、休眠中の昆虫にとって大きなリスクとなります。
休眠中の昆虫は動きが非常に鈍く、突然の水没から素早く逃げることができないためです。
それにもかかわらず、北米に生息するトウブマルハナバチ( Bombus impatiens)の女王は、この危機的状況に適応している可能性があることが、これまでの研究で示されていました。
水中1週間でも約90%が生存

2024年に発表された研究では、休眠中のトウブマルハナバチの女王バチを水中に沈める実験が行われました。
その結果、最大で1週間以上水中に沈んでも約90%の個体が生存したことが確認されました。
この結果は昆虫研究者にとって非常に衝撃的でした。
なぜなら、一般的に昆虫は酸素を気管(トラケア)という呼吸器官で空気から取り込むため、長時間の水没は致命的であると考えられてきたからです。
研究者たちは、この驚くべき生存能力の仕組みを明らかにするため、さらに詳しい生理学的研究を行いました。
実験:水中での代謝と呼吸を測定
研究チームは、冬のディアポーズ状態にある数十匹の女王バチを実験室で観察しました。

女王バチは冷たい水に沈められ、研究者は以下の要素を測定しました。
• 水中および水面上の空気中のガス交換
• 酸素と二酸化炭素の濃度変化
• 体内の代謝物質
• 代謝率
その結果、非常に興味深い生理反応が確認されました。
水中でも呼吸している可能性
測定の結果、女王バチが沈められた水では酸素濃度がわずかに低下し、二酸化炭素がわずかに増加していることが確認されました。
この変化は呼吸が行われていることを示す典型的なパターンです。
つまり研究者たちは、女王バチが「水中から酸素を取り込み、二酸化炭素を排出している可能性が高い」と結論づけました。
これは陸上昆虫としては非常に珍しい能力です。
酸素が不足すると「嫌気代謝」に切り替える
研究ではさらに、沈んだ女王バチの体内で乳酸(lactate)の蓄積が見られました。
乳酸は、体内で酸素が不足したときに細胞がエネルギーを作り出す「嫌気代謝(anaerobic metabolism)」の副産物です。
これは人間の筋肉が激しい運動をしたときにも起こる現象として知られています。
この結果は、女王バチが水中で酸素を利用した呼吸と、酸素を使わない代謝の両方を組み合わせて生存している可能性を示しています。
代謝を極限まで下げる「代謝抑制」

もう一つの重要な発見は、代謝の極端な低下です。
休眠状態の女王バチは、通常の活動時と比べてすでに95%以上も代謝が低下しています。
しかし水中に沈むと、その代謝はさらに大きく低下しました。
研究者は二酸化炭素の排出量を指標として代謝率を測定しました。
その結果は次の通りです。
• 水没前:1時間あたり 15.42 µL/g の二酸化炭素
• 水中8日後: 2.35 µL/g
これは元の代謝率の約6分の1にまで低下したことを意味します。
つまり女王バチは、生きるために必要な最低限のエネルギーしか使わない状態に入ることで、長期間の水没に耐えていると考えられます。
物理的エラの可能性
研究チームは、水中呼吸の仕組みとして「物理的エラ(physical gill)」の存在を推測しています。
これは昆虫の体表に付着した薄い空気の膜が水とガス交換を行う仕組みです。
この空気層は水中でも酸素を取り込み続けることができるため、一部の水生昆虫で知られている呼吸方法です。
しかし今回の研究では、マルハナバチが本当にこの仕組みを使っているかどうかはまだ確認されていません。
そのため、この点については現時点では仮説の段階であると研究者も述べています。
まだ解明されていない点
今回の研究は非常に重要な発見をもたらしましたが、いくつかの疑問も残されています。
例えば次のような点です。
• 水中呼吸の具体的な仕組み
• 水質や温度による生存時間の変化
• 回復後の生理状態
• 他のマルハナバチ種でも同様の能力があるのか
研究チームは、今後の研究で水の条件や物理的エラの働きを操作する実験を行うことで、この驚くべき適応能力の詳細を解明していく必要があると述べています。
陸上昆虫の「隠れた生存能力」
今回の研究は、陸上昆虫が極端な環境変化に対して想像以上の耐性を持つ可能性を示しています。
洪水や豪雨などの気候変動が増える現代において、このような適応能力は生態系の存続にとって重要な意味を持つかもしれません。
一方で、この研究は主に実験室環境で行われたものであり、自然環境で同じ現象がどの程度起こるのかは完全には明らかではありません。
そのため研究者たちは、野外での観察やさらなる実験が必要であるとしています。
まとめ
・トウブマルハナバチ(Bombus impatiens)の女王バチは、水中に1週間以上沈んでも約90%が生存することが確認された
・水中呼吸、嫌気代謝、そして極端な代謝低下という3つの生理的戦略が生存の鍵と考えられている
・酸素を取り込む仕組みとして「物理的エラ」の可能性が示唆されているが、これはまだ完全には確認されていない

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