スタチンやエゼミチブなど、心臓疾患を予防するために広く使用されているコレステロール低下薬。
特にスタチン製剤は肝臓でのコレステロール合成を抑えることで、主に血液中のLDLコレステロールを下げる効果を目的として、日本でも広く使用されています。
今回、イギリスのブリストル大学とデンマークのコペンハーゲン大学病院によって主導された研究によると、そういった薬剤によってコレステロールの値が下がった人や、コレステロールが遺伝的に低い傾向にあるひとは、認知症の発症リスクまでも低下させる可能性があることが示唆されました。
今回の研究は、約100万人におよぶデータを解析した包括的なメタ解析であり、これまでの知見を大きく補強するものです。
研究チームは、一般的に「悪玉」コレステロールと呼ばれる低密度リポタンパク質コレステロール(LDL-C)と認知症との関連を調べ、これまでで最も詳細かつ信頼性の高いデータを提示したとしています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Drugs That Lower Cholesterol May Also Reduce Dementia Risk, Says Huge New Study(2025/10/23)
参考研究)
コレステロールと認知症の意外な関係

LDLコレステロールは、動脈硬化や心筋梗塞などの原因として知られていますが、脳の健康にも関係している可能性が指摘されてきました。
今回の研究は、その関連をより明確に示す結果となりました。
研究論文の中で著者らは、「若い時期からコレステロールをコントロールしておくことが、将来の認知症リスクを下げる可能性がある」と述べています。
この発見は、単にコレステロールを薬で下げた人々を追跡したわけではなく、遺伝的にコレステロール値が低くなる体質を持つ人々を対象に分析しています。
この手法は「メンデル無作為化(Mendelian Randomization)」と呼ばれ、生活習慣や食事などの外的要因を排除して、純粋に遺伝的影響を解析できる点で信頼性が高い方法です。
約100万人規模の遺伝情報が示す「一生分の薬効果」

研究チームは、約100万人の参加者の遺伝的データを解析し、コレステロール値を下げる効果を持つ遺伝子変異を持つ人々に注目しました。
これらの遺伝子変異は、スタチン(statins)やエゼチミブ(ezetimibe)など、現在医療現場で使用されているコレステロール低下薬と同様の作用経路を持つとされています。
つまり、この研究は「薬を長年飲み続けた場合に似た状況」を、遺伝子を通して観察したとも言えます。
その結果、コレステロール値が遺伝的に低い傾向にある人々は、認知症の発症リスクが有意に低いことが確認されました。
この関連性は、食事・運動・社会的背景などの影響を取り除いても明確に見られたため、因果関係がより強く示唆されたといいます。
「コレステロールを下げる遺伝子」が脳を守る?
本研究の筆頭著者で臨床生化学者のLiv Tybjærg Nordestgaard氏(ブリストル大学在籍時)は、次のように説明しています。
「コレステロールを低下させる遺伝子変異を持つ人々は、認知症を発症するリスクが明らかに低いことが示された。これは、これらの遺伝子が関与する生物学的経路が、脳の健康にも直接影響している可能性を示している」
また、研究チームは、動脈硬化(アテローム性動脈硬化)がこの関係の重要な要素であると指摘しています。
血管内に脂質が蓄積して血流が滞ることで、脳への酸素供給が妨げられ、結果的に脳細胞の損傷や認知症につながる恐れがあるとされています。
この仮説は、血流障害が原因で起こる血管性認知症(vascular dementia)の病態とも一致しており、研究者らは「コレステロールの管理は、心臓と同時に脳を守る可能性がある」と述べています。
世界5700万人の課題に光明
現在、世界では約5700万人が認知症を抱えて生活していると推定されており、高齢化が進む社会においてその数は今後さらに増加すると見られています。
そのため、今回の研究が示したように、すでに広く使用されている薬で認知症リスクを減らせる可能性があるというのは、非常に意義深い発見です。
もしこの関連が臨床的にも確認されれば、心血管疾患と認知症という2つの主要な健康課題を同時に予防できるという、医療政策上も大きな前進につながると考えられます。
今後の課題と展望 ― 長期臨床試験の必要性
ただし、研究者らは「今回の結果はあくまで遺伝的解析に基づくものであり、薬の効果そのものを直接観察したわけではない」と強調しています。
したがって、実際にスタチンやエゼチミブといった薬を長期間投与した場合に、同様の脳保護効果が現れるかどうかは、まだ確認されていません。
Nordestgaard氏は次のように述べています。
「今後は、10年から30年といった長期のランダム化臨床試験を実施し、実際にコレステロール低下薬が認知症リスクを減少させるかを検証する必要がある。」
この発言が示すように、研究チームはすでに次の段階として、薬を実際に投与して脳機能への影響を観察する臨床試験を強く望んでいます。
もしその結果が今回の遺伝的研究と一致すれば、認知症予防のアプローチに大きな変革が起きる可能性があります。
科学的意義と限界

この研究は、メンデル無作為化という強力な統計手法を用い、これまで曖昧だった「コレステロールと認知症の因果関係」をより明確にしました。
しかし、いくつかの不確定要素も残されています。
まず、認知症はアルツハイマー型や血管性など、原因が多岐にわたる複雑な疾患です。
今回の研究はそれらの詳細な内訳を区別していないため、「特定のタイプの認知症に効果があるのか、それとも全般的なリスク低下なのか」は明確ではありません。
また、コレステロール値を下げる薬が脳にどのような分子レベルの影響を与えているのかについても、現時点では十分に解明されていません。
そのため、薬の使用がどの程度まで脳機能を保護できるかについては、今後の研究でさらに検証が必要です。
本研究は、コレステロール低下薬が心臓だけでなく脳の健康維持にも寄与する可能性を示した、これまでで最も包括的な解析の一つです。
結果として、コレステロールを早期から管理することが、老後の認知症リスクを下げる重要な予防戦略になるかもしれないという新たな視点を提示しました。
研究論文は学術誌『Alzheimer’s & Dementia』に掲載されており、今後の医療政策や臨床試験の方向性にも大きな影響を与えると考えられています。
まとめ
・コレステロール低下薬と認知症リスク低下の関連を報告
・メンデル無作為化解析を用い、遺伝的にコレステロールが低い人は認知症の発症リスクが低いことを確認
・結果は強力な示唆を与えるが、実際の薬剤投与による長期臨床試験が今後の課題とされている


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