鎮痛薬「イブプロフェン」に抗がん作用がある可能性─ ─炎症と腫瘍形成の関係

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頭痛や生理痛、筋肉痛など、私たちの日常で広く使われている鎮痛薬「イブプロフェン」。

   

しかし、このごく身近な薬が痛みの緩和だけでなく、がんを防ぐ可能性を秘めているとしたらどうでしょうか。

  

近年の研究で、炎症とがんの発症を結びつける新たなメカニズムが次第に明らかになりつつあり、その中でイブプロフェンの意外な役割が注目を集めています。

  

今回のテーマは、そんな身近な鎮痛薬に秘められる作用についてです。

  

参考記事)

A Common Pain Relief Drug May Have Anti-Cancer Properties(2025/10/17)

  

参考研究)

Association of aspirin and ibuprofen use with endometrial cancer risk in the PLCO dataset(2025/08/21)

  

   

NSAIDsとがん予防の関係

  

イブプロフェンは「非ステロイド系抗炎症薬(NSAIDs)」と呼ばれる薬の一種です。

  

このNSAIDsのがん予防効果は1980年代から知られており、1983年には「スリンダク(Sulindac)」という同系統の薬が特定の患者において大腸がんの発症率を下げることが報告されました。

   

これをきっかけに、研究者たちはNSAIDsがほかの種類のがんにも効果を示すのではないかと注目し、長年にわたり多方面で研究が進められてきました。

   

NSAIDsは、「シクロオキシゲナーゼ(COX)」という酵素を阻害することで働きます。

   

COXには2種類あり、COX-1は胃の粘膜を保護し、腎機能や血液凝固を維持する役割を持ち、COX-2は炎症反応を引き起こす主な要因です。

 

イブプロフェンはこの両方を抑えるため、炎症を鎮めると同時に、消化器への負担も増すという特性があります。

 

服薬の際、「空腹時に服用は控えるように」と指導されたり、箱や容器に似た旨の注意書きがされるのはそのためです。

  

  

イブプロフェンと子宮内膜がんのリスク低下

2025年に発表された研究によると、イブプロフェンの服用は子宮内膜がん(endometrial cancer)の発症リスクを下げる可能性があると報告されました。

  

子宮内膜がんは子宮の内側を覆う粘膜(内膜)から発生するがんで、閉経後の女性に多く見られる最も一般的な子宮がんです。

  

このがんの主な危険因子の一つは肥満であり、過剰な体脂肪によってエストロゲンが過剰分泌され、がん細胞の成長が促されると考えられています。

 

そのほかにも、高齢、糖尿病、ポリシスティック卵巣症候群、ホルモン補充療法(特にエストロゲン単独療法)の使用などがリスクを高める要因です。

 

また、月経の早期開始、閉経の遅延、出産経験のないことなども関連しており、異常な出血や骨盤痛、性交時の不快感が症状として現れることがあります。

  

この研究は、アメリカで実施された「PLCO(Prostate, Lung, Colorectal, and Ovarian)研究」のデータをもとに行われ、55〜74歳の女性約4万2000人を対象に12年間追跡したものです。

 

結果として、月に30錠以上のイブプロフェンを服用していた女性は、4錠未満の服用者に比べて子宮内膜がんの発症リスクが25%低かったことが明らかになりました。

 

さらに、この保護効果は心疾患を持つ女性で特に顕著だったと報告されています。

  

一方で、同じNSAIDsであるアスピリンにはこのような関連が見られませんでした。

 

ただし、アスピリンは大腸がんの再発予防に寄与する可能性があるとされており、薬ごとに作用機序が異なることが示唆されています。

 

その他のNSAIDs(ナプロキセンなど)についても、大腸・膀胱・乳がんに対する予防効果が研究されており、薬の種類や個人の遺伝的背景、基礎疾患によって効果が異なることが分かっています。

 

 

イブプロフェンの広範な可能性

イブプロフェンの構造式

 

イブプロフェンの抗がん作用は、子宮内膜がんだけにとどまりません。

 

複数の研究で、大腸がん、乳がん、肺がん、前立腺がんの発症リスクを下げる可能性が指摘されています。

  

特に注目すべきは、大腸がんの既往歴を持つ患者のデータで、イブプロフェンを服用していた人では再発率が低かったという報告です。

  

また、イブプロフェンは大腸がん細胞の増殖や生存を抑制し、喫煙者における肺がんの発症を防ぐ可能性もあるとされています。

 

  

炎症とがんの関係 ― 分子レベルでの働き

がん研究の分野では、「炎症はがんの主要な特徴の一つである」という認識が広まっています。

 

慢性的な炎症は細胞の損傷を引き起こし、DNAの異常を蓄積させることで腫瘍形成につながります。

 

イブプロフェンはCOX-2の活性を抑えることで、プロスタグランジンという炎症性物質の生成を減少させ、がん細胞の成長シグナルを抑制すると考えられています。

 

さらに最近の研究では、イブプロフェンががん関連遺伝子(HIF-1α、NFκB、STAT3など)の働きを抑えることが示唆されています。

 

これらの遺伝子は、腫瘍細胞が低酸素状態で生き延びたり、治療に抵抗したりする際に重要な役割を果たしています。

 

イブプロフェンはこれらの遺伝子の活性を低下させることで、がん細胞をより脆弱にする可能性があるのです。

 

また、イブプロフェンは細胞内のDNA構造(クロマチン)のパッケージングを変化させ、化学療法への感受性を高める作用を持つとも考えられています。

 

  

相反する研究結果と注意点

  

しかし、すべての研究が同じ結論に達しているわけではありません。

 

7,751人を対象とした研究では、子宮内膜がんの診断後にアスピリンを服用していた患者の死亡率が上昇していたという結果が報告されました。

 

特に、診断前からアスピリンを使用していた患者ではリスクが高かったとされます。

 

また、同様に一部のNSAIDsもがん関連死のリスクを上げる可能性が示されています。

 

これに対して2024年1月に行われた別のレビュー研究では、NSAIDs(特にアスピリン)は複数のがんリスクを下げる可能性があると報告されている一方、長期服用による腎がんリスクの上昇が指摘されるなど、結果は一貫していません。

 

こうした相反する知見は、炎症・免疫・腫瘍の相互作用が極めて複雑であることを示しています。

 

したがって、イブプロフェンを「がん予防のために自己判断で服用すること」は推奨されていません。

 

NSAIDsを長期または高用量で使用すると、胃潰瘍、消化管出血、腎障害などの深刻な副作用を引き起こす可能性があり、まれに心筋梗塞や脳卒中などの心血管系の問題を誘発することもあります。

 

また、ワルファリンや一部の抗うつ薬と併用すると出血のリスクが高まるため、医師の指導なしに常用することは避けるべきです。

 

 

身近な薬がもたらす可能性と今後の展望

このように、イブプロフェンというありふれた鎮痛薬ががん予防の一端を担うかもしれないという発見は、科学的にも社会的にも非常に興味深いものです。

 

もし今後の研究でその効果が確証されれば、イブプロフェンは将来的に高リスク群における予防戦略の一部として利用される可能性もあります。

 

ただし現時点では、専門家たちは口をそろえて「生活習慣の改善こそが最も確実ながん予防法である」と強調しています。

 

抗炎症作用を持つ食品を摂取し、健康的な体重を維持し、定期的に運動を行うことが推奨されています。

  

イブプロフェンをはじめとする日常的な薬が新たな治療の扉を開くかもしれませんが、科学的な検証が進むまでは、「食事・運動・医師の助言」こそが最も安全な処方箋であるといえるでしょう。

 

 

まとめ

・NSAIDsの一種であるイブプロフェンは、炎症を抑えると同時に一部のがんリスクを低下させる可能性があることが報告されている

・特に子宮内膜がんに対して25%のリスク低下が観察されたが、他のNSAIDsでは結果が異なっており、作用機序は完全には解明されていない

・自己判断での服用は副作用の危険が高く、現時点での最善策は生活習慣を整えることである

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