私たちは、優れた本に没頭する時間に特別な魅力を感じます。
本のページやスクリーンに並ぶ「文字」という記号の列が、私たちの脳内で豊かな世界として展開されるこの現象は、まさに人間ならではの体験といえるでしょう。
しかし、その背後で何が起きているのかについては、意外なほど詳しくは分かっていません。
「言語の脳内表現については多くの神経科学的研究があるものの、人間の脳内における言語の組織化に関してはほとんど分かっていないのです」と、ドイツのマックス・プランク人間認知・脳科学研究所に所属する神経科学者Sabrina Turkerは2023年の時点で述べていました。
彼女によれば、これまでの知見の多くは、少人数を対象とした単独の研究から得られたものであり、追試によって確認されていないことが多いとのことです。
この問題を解決するために、Turkerとその研究チームは大規模なメタ分析を実施し、読書に関する脳活動を詳しく調べました。
研究の内容を以下にまとめます。
参考研究)
・The ‘reading’ brain: Meta-analytic insight into functional activation during reading in adults(2025/04/19)
163件の脳画像研究を統合した大規模メタ分析
Turkerらの研究チームは、fMRI(機能的磁気共鳴画像)あるいはPET(陽電子放出断層撮影)を用いた脳画像研究、合計163件を統合し、3,031人の成人被験者から得られたデータを分析しました。
対象となった研究では、さまざまな読書タスクが扱われており、単語の音読や黙読、実在する単語やナンセンスワードの処理、個別の文字から文章・長文読解まで、多様な課題が含まれていました。
「読書」と言ったとき、多くの人が意味の理解を思い浮かべますが、本研究で扱ったすべてのタスクに共通していたのは、音韻処理でした。
これは、「脳が音を体系的に処理し、意味を生み出す能力のことを指す」と研究チームは記しています。
読書に関与する脳領域の分布と特異性
研究チームは、読書のさまざまな形式において脳のどの領域が活性化するのかを詳細にマッピングしました。

特に注目されたのは、脳の左半球です。
これは、言語処理の中心であることが以前から知られていましたが、今回の研究では文字、単語、文章、長文といったすべての読書形態で、左半球の領域が強く活性化することが明らかになりました。
• 文字や長文の読解では、左半球の視覚野や運動野が活性化
• 単語や文章の読解では、いわゆる古典的言語領域が中心的に働いている
これらの結果は、言語情報がどのように視覚的に処理され、それが音や意味に変換されていくのかというプロセスにおいて、左半球の特定領域が高度に専門化されていることを示しています。
小脳(Cerebellum)の役割に注目が集まる
従来の神経科学では、小脳は主に運動制御に関与する部位とされ、言語処理における役割は軽視されてきました。
しかし、2023年にTurkerらが発表した研究では、小脳が音の処理や意味の理解にも関わっていることが示唆されていました。(Cortical, Subcortical, and Cerebellar Contributions to Language Processing: A Meta-Analytic Review of 403 Neuroimaging Experimentsより)
今回の研究では、右小脳がすべての読書タスクで活動していることが明らかになりました。
特に音読の際には、右小脳の特定部位が強く活性化していたことから、書かれた文字を音声に変換する能力に重要な役割を果たしていると考えられます。
一方で、左小脳は単語読解時に特に活性化しており、意味理解(セマンティック処理)に強く関与していることが示唆されました。
「左小脳は意味処理に関わっている一方で、右小脳は主に音読や読解の全般的なプロセスに関与しており、これは発話に必要な運動制御と関係していると考えられる」と著者らは述べています。
音読と黙読で異なる脳の働き

本研究ではさらに、音読と黙読で脳の働きに違いがあることも検証されました。
• 音読では、聴覚領域や運動制御に関わる領域がより活発に働いていた
• 一方で、黙読は、より高度な認知的要求を調整する領域を利用していた
特に、実在単語やナンセンスワード(意味のない言葉)を黙読する場合には、左眼窩前頭皮質(オービトフロンタル)や小脳、側頭皮質が一貫して活性化していました。
それに対し、文脈から意味を推測するような黙読(暗示的読解)では、両側の下前頭皮質および島皮質が活動していたとのことです。
読書モデルと神経科学の接点を築く研究
この研究は、読書という行為が脳内でどのように行われているかを統合的・網羅的に明らかにした初の大規模メタ分析であり、言語処理における小脳の重要性を強調するとともに、音読・黙読の神経メカニズムの違いにも新たな知見をもたらしました。
著者らは、「本研究は、読書を支える神経アーキテクチャの理解を深め、神経刺激研究の知見を裏付けるとともに、読書モデルにおける神経的洞察を提供するもである」と結論付けています。
まとめ
・読書における脳の活動は、文字・単語・文章・長文のいずれにおいても左半球に集中しており、それぞれ異なる領域が特異的に関与していることが明らかになった
・これまで見過ごされがちだった小脳が、音読や意味処理など読書に深く関わっていることが示された
・音読と黙読では活性化する脳領域が異なり、それぞれに応じた神経メカニズムが存在していることが判明した
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