心理学歴史

【歴史を変えた心理学⑬】闇深き小児科医ハンス・アスペルガー(後編)

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【前回記事】

 

【前回のまとめ】

オーストリアの医師、ハンス・アスペルガーは、社会生活に馴染めない子どもたちの中には驚異的な才能を持つ者がおり、「社会に適応するために、適切な教育環境を提供すべきだ」と述べていました。

彼によると、「ナチス政権下において、自らの身が危険にさらされる恐れがありながらも児童を治療し続けた」とし、その勇敢さに彼の死後も惜しみない賞賛が送られました。

 

エディス・シェファー著作「Asperger’s Children(邦題:アスペルガー医師とナチス)」

ハンス・アスペルガーの功績が世に知れ渡ったのは彼の死後になってからであり、これにはいくつか理由があります。

 

まず、当時の彼の評価が低かったことが挙げられ、そのために彼の論文についても特に注目がされませんでした。

 

また、彼が自身の研究に触れようとしなかったことや世界大戦の最中に重要な論文を発表したことが、学会の興味を惹くきっかけを失っていたものと考えられます。

 

その後、21世紀に入ってから評価されるようになってきますが、彼の行動が明らかになるにつれて、ナチス政権下で浸透していった異常な価値観が、彼の負の側面を映し出すことになります。

 

2018年、米カリフォルニア大学バークレー校欧州研究所の上級研究員エディス・シェファー氏は、それまで断片的にしか語られてこなかったハンス・アスペルガーの功績や、彼が辿ってきた経歴について発表しました。

 

これをもとに著された彼女の著書「Asperger’s Children」は世界的に知られることとなり、アスペルガーの印象は大きく変わることになります。

   

今回は、そんなアスペルガーの裏の顔についてのお話です。

  

 

シュピーゲルグルント

 

それまで彼の印象は、“ナチスに抵抗した高潔な医師”というものでした。

 

確かに彼はナチ党に入党せず、精神的に障害のある優秀な子どもたちをナチスの粛清プログラムから守ったというのは事実です。

 

しかし、彼が守ったのはあくまで“優秀とみなされた子どもたち”でした。

 

優秀でない(治療の見込みがない、社会に有用ではない)と判断された子どもたちは、ウィーン郊外のシュタインホーフ精神病院(療養所)の敷地内に建設された“シュピーゲルグルント児童福祉施設”に送られました。

 

病院や福祉施設と名前が付けられていますが、その実態はナチス政府が推進する“安楽死プログラム”によって治療と称して患者を殺害する施設でもありました。

 

安楽死プログラムとは、ドイツ及びドイツに併合された領土内の療養施設で暮らす障害者(主に精神障害者)に対して実行された極秘の殺人計画です。

 

シュピーゲルグルントに送られた子どもたちは、致死注射(バルビツール)やガス中毒、またある者は病気、飢餓、風雨にさらされ、「事故」や「病気」という名目で殺される運命にあります。

 

こういった一連の虐殺は、計画の秘匿性を重視し“T4作戦(Aktion T4)”とも呼ばれていました。

 

医史学を専門とする学者のヘルヴィッヒ・チェコの調査では、記録に残っている限りおよそ800人もの子どもが、シュピーゲルグルントにおけるT4作戦の犠牲になっているとされています。

 

チェコは、アスペルガーもこの計画に積極的に関わったとして、強く批判しています。

 

 

ナチスの選民思想とアスペルガーとの関わり

この計画の裏には、ナチス政権下で推奨された“選民思想”が強く影響しています。

 

これは、優秀な人間が優秀な子を産めば、やがて国家は繁栄するだろうという考えのもとで生み出された思想です。

 

逆に言えば社会に不要な人間が増えることを望まないという考え方で、社会に不要な人間を消去し去り、優れた民族による社会を創るために安楽死計画が実行されました。

 

アスペルガーがウィーン大学に在籍していた頃、彼はフランツ・ハンブルガーのもとで医学を学んでいました。

 

ハンブルガーは、ナチスの健康政策に沿い、精神的に虚弱な子や糖尿病の子どもを不妊化するよう呼びかけるなど、選民思想を持っていた人物です。

 

このことから、アスペルガーも少なからず選民思想の影響を受けたものと考えられます。

 

1938年にオーストリアがドイツ第三帝国となると、ナチ党に入党していないアスペルガーは監視対象となり、その行動が逐一ゲシュタポ(ナチスの秘密国家警察)に報告されるようになります。

 

一方、彼は各講演でナチス医療の理念に理解を示したうえで忠誠を誓う言葉を述べていたり、診断書の最後には“Heil Hitler(ヒトラー万歳)”とサインを書き込んでいました。

 

こういった忠誠的な行動から、ゲシュタポからは“行動性に問題無し”と判断され、ナチ党へ入党しなかった彼は粛清の対象にはなりませんでした。

 

彼を擁護する学者の中は、「戦争という困難の回避やナチスの魔の手から逃れるためにはこうするしかなかった」と述べる者もいます。

 

また、アスペルガーは、200人の障害児を分類し、その運命を決定する委員会のメンバーでした。

 

その際、35人の子どもが“絶望的なケース”に分類され、後にシュピーゲルグルントに送られています。

 

asperger-syndrome.me.uk より

 

これら複合施設の生存者であるヨハン・グロス、アロイス・カウフマン、フリードリヒ・ザウレルは拷問のような人体実験の経験者であり、「冷水療法で、ザウレルとカウフマンは、青くなってほとんど意識がなくなり、腸のコントロールを失うまで繰り返し凍った風呂水に沈められた」と当時の過酷な様子を語っています。

 

他にも「硫黄治療」と称して足に注射を行い、激痛によって運動能力を制限して脱出を不可能にしたり、わざと結核菌に感染させられた子どもたちに対してワクチンの効果テストを行ったりしていたことが明らかになっています。

 

アスペルガー自身は子どもたちの殺害に直接関与はしていないものの、記録に残っている限りにおいて少なくとも44人の“治療の見込みがない子どもたち”をシュピーゲルグルントに紹介しています。

 

彼の関与は当時の状況に応じて検討されるべきではありますが、殺人施設に子どもたちを送ったというのは紛れもない事実であり、彼の言動や行動がナチス寄りだったことから、2018年以降ではそれまでの“誇り高き医師”という評価が逆転することになりました。

  

とはいえ、彼の精神医学への功績が、後世で多くの子どもたちを助けることになることも真実です。

  

もし時代が違えば、ハンス・アスペルガーは本当に英雄のような医師として知られていたかもしれませんね。

 

 

まとめ

・アスペルガーの死後、彼はナチスの虐殺計画に加担していたことが明らかになった

・治療の見込みがない子どもたちを虐殺施設に送ったことが分かり評価が一転することになった

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