【前回記事】
この記事では、山口謠司氏が著した“面白くて眠れなくなる日本語学”より、個人的に興味深かった内容を紹介していきます。
著書内で語りきれていない点などもの補足も踏まえて説明し、より雑学チックに読めるようにまとめていく積もりです。
今回のテーマは“漢字廃止論”です。
前回記事で日本語が廃止される可能性があった時代についてまとめていきました。
結局、日本語は無くなるどころか、外国の言葉を取り入れ、独自の意味を持つ漢字などを作りながら発展し、今日に至ります。
日本の特徴的な言語の一つといえる漢字ですが、この漢字をなくそうという動きもかつてはありました。
今回はそんな漢字廃止についてのお話です。
漢字廃止論
1円切手の肖像として使われている“前島密(まえじまひそか)”。
葉書、切手という言葉を発明し、郵便制度を整えた人物です。
江戸時代末期、前島は長崎でチャニング・ウィリアムズから英語やヨーロッパの郵便制度を学びます。
アルファベット26文字だけで表すことができる英語に対し、漢字、平仮名、片仮名など文字が3種類もある日本語に彼は不便さを感じていました。
前回紹介した森有礼と同様に、外国語を学ぶことによって日本の不合理な点に気づいたのです。
慶応2年(1866年)、前島は徳川慶喜に対して“漢字御廃止之議”という建議書を提出します。
国民に教育の普及させるためには、学習上困難な漢字、漢文を廃止して仮名文字を使い、 口談と筆記を一致させることを目的とした内容でした。
進んだ技術を持った国の言葉を学んだ者達の中には、「日本が西洋に負けない国にするためには、漢字を勉強している時間が惜しい」という考えを持つ者が増えてきたのです。
アジアが欧米列強国に負けている理由は漢字にある
福澤 諭吉(1835〜1901年)
そんな漢字廃止論者の中に学問のすすめなどで有名な福澤諭吉がいます。
彼は幼い頃から漢字を学び、漢文の方は自由自在に読める人物でした。
しかし彼が19歳の時、長崎で蘭学に触れると、まもなくオランダ語を習得します。
人にオランダ語を教えるレベルまで上達した福澤ですが、横浜の外国人街では自分のオランダ語が全く通じませんでした。
その頃にはもはやオランダ語の時代が終わり、英語が世界の共通語になりつつあったのです。
福澤は勝海舟らとともにアメリカ合衆国に渡り、日本との技術力の違いに愕然とします。
彼らは、欧米に蹂躙されつつある中国の現状も考察しながら、技術力の差は言葉にあるのではないかと考えるようになりました。
そして、「中国が西洋の列強に蹂躙されているのは、漢字を使っているからに違いない」と考える者も増えてきました。
漢字は日本の文化ではありますが、国力発展の為には、そういった文化を捨てる覚悟も必要だと考えられるようになっていったのです。
とは言っても、福澤は全ての漢字を廃止しようというわけではなく、日常生活や文を書く上で必要程度の漢字は残した方が良いという考えでした。
彼が編纂した“文字之教(もじのおしえ)”では、「文章を書くに、むつかしき漢字をば成る丈け用いざるよう心掛けること」ができれば、「漢字の数は二千か三千にて沢山なるべし」と記しています。
小学1~6年生までて習う漢字が1026字、中学1~3年生までで習う漢字が2136字なので、福澤が考えていたおよそ3000字に近い数を今習っているということですね。
小、中学生の頃の苦手科目といえば漢字の書取りでした。
「何でこんなに漢字を勉強するんだろう」と思いながら勉強していた記憶があります。
漫画や本の中に出てくる謎の漢字が読めるようになり、段々と興味を持ってくるようになりました。
ですが結局、最後までテストで点をとるための漢字勉強は自分には合いませんでした。
明治頃の新聞を見るとほとんどが漢字となっていて、まるで別の国の言葉のようです。
これを読むというのだから、文字の習得には相当の時間がかかることが容易に想像できます。
自分だったら発狂していたかもしれません……。
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