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【日本語の雑学⑨】日本語が失われかけた時代

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【前回記事】

 

この記事では、山口謠司氏が著した“面白くて眠れなくなる日本語学”より、個人的に興味深かった内容を紹介していきます。

   

著書内で語りきれていない点などもの補足も踏まえて説明し、より雑学チックに読めるようにまとめていく積もりです。

    

今回のテーマは“日本語が失われかけた時代”です。

  

私たちが使っている日本語は、かつては地方ごとにバラバラで、言葉が通じないなんてことがたくさんありました。

 

今では東京の人が大阪に行っても考えなく言葉が通じますし、日本の端である沖縄や北海道の人たちも普通に会話し、コミュニケーションを取ることができます。

 

実はこのような日本国内における言葉の壁を取り除く過程で、日本語が廃止される可能性の高かった時代がありました。

 

明治時代と第二次世界大戦後です。

 

今回はそのうち明治時代における日本語廃止の危機について紹介します。

 

   

   

日本語が失われかけた時代

日本人が「我々は共通する国家に属する民族だ」と認識を共有しはじめたのは、鎖国が終わった明治頃からだと考えられています。

  

それより以前、国と言えば自分が所属している“藩”を指していました。

   

江戸に住む人は江戸っ子と呼ばれ、京都に住む人は京都人、薩摩なら薩摩人とよばれ区別していました。

  

現在でも、三世代に渡り東京下町に住む人を「江戸っ子」と呼んだりするのはこの名残です。

  

さて、日本国内において国がバラバラだったということは、言葉も全く違うものでした。

  

京都人が江戸に来ると、言葉が全く通じなかったということはよくあることでした。

  

現在でも地方の住人と話をする際、方言を使われると理解できない言葉がありますが、その強烈バージョンです。

  

また、徳川幕府250年の歴史の中で“士農工商”と身分がはっきり分かれたことは、町人と殿様では言葉が通じないということ原因でもありました。

  

生活環境によって普段使う言葉が左右されるようになっていったのです。

  

しかし、鎖国が解かれ、西洋の列強に追いつけ追い越せという時代が来ると、日本国民が一丸となって対抗する必要が生まれました。

  

文部省(現在の文部科学省)初代大臣森有礼(もりありのり:1847~1889年)は、“地方出身の人達の言葉が通じないことや、身分によって言葉が通じないこと、難しい漢字をたくさん使わなければならないこと”など、日本語がバラバラすぎることによって日本語の統一は難しいと考えました。

  

さらに、西洋の進んだ文化を学ぶには、英語をいちいち日本語に変えて考えていては理解が遅すぎると、当時は日本語廃止の声も多く挙がっていました。

  

有礼は、いっそのことみんな英語を使うようにしてはどうかと、アメリカの言語学者ホイットニーに相談しました。

  

ホイットニーは、「言語は各人種の魂であり、そう易々と放棄するべきではない」と述べ、日本人が日本語を廃止することに反対します。

  

もしこの時ホイットニーが反対しなければ、日本語は廃止されていたかもしれません。

  

その後、日本政府は明治30年代に“音標文字”を国の方針としました。

  

音標文字は、文字が表す意味に関係なく、単音や音節を表す記号として使う文字のことです。

  

“かな”や“ローマ字”がそれにあたります。

  

明治33年、文部省に国語調査委員会が置かれ、漢字廃止を前提に、かなとローマ字どちらに統一した方が良いかが研究されました。

  

まずは使用する漢字を制限し、次第に全ての漢字を全廃する予定でした。

  

しかし、当時の日本人は、西洋から入ってくる言葉をもとに和製漢語を次々と作り始めました。

  

その結果、漢字は江戸時代に比べ飛躍的に増え、廃止どころか生活の中に浸透していったのです。

  

漢字を上手く工夫した日本語の使用はその後も続き、第二次世界大戦を経て現在でも使われるようになっています。

 

日本語が消えかけた時代があったのですね。

 

オノマトペに代表される擬態語や擬声語は、日本語ならではの言い回しがたくさんあります。

 

そういった多様な表現から、場の情景や相手の情緒を読み取ったりできるのも日本語があるからこそだと思います。

  

もし日本語がなくなっていたとしたら、今の日本はどのようになっていたのでしょう。

 

英語が公用語になって、よりグローバルな国になっていたのかもしれません。

 

はたまた、より他国籍が混同するシンガポールのような場所になっていたのかも……。

 

そんな想像も楽しいものですが、今の言葉を大切にし、自分の国の言語をより深く理解するのもまた有意義だと思います。

 

 

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