哲学

【韓非子④】好き嫌いを見せると、それに合わせるイエスマンが現れる

哲学

【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

   

人も書も法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

    

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

  

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

    

今回のテーマは“好を去り悪を去れ”です。

 

 

 

好を去り悪を去れ

【本文】

人主に二患あり。

 

賢に任ぜば則(すなわ)ち臣は将に賢に乗じて以(も)って其の君を劫(おびや)かさんとせん。

 

妄(みだ)りに挙げば則ち事沮(はば)みて勝えざらん。

 

故に人主賢を好むときは、則ち群臣行いを飾りて以って君の欲を要(むか)えんとし、則ち是れ群臣の情効(じょうあらわ)れざらん。

 

群臣の情効れずは、則ち人主以って其の臣を異(わか)つもの無からん。

 

故に越王勇を好みて、民に死を軽んずるもの多く、楚の霊王細腰(さいよう)を好みて、国中に餓人多し。

 

斉の桓公(かんこう)妬にして内を好み、故に豎刁(じゅちょう)自ら宮して以って内を治む。

 

桓公味を好み、易牙(えきが)は其の首子を蒸して之を進む。

 

燕の子噲賢を好み、故に子之明に国を受けず。

 

故に君悪を見(しめ)さば則ち群臣端を匿(かく)し、君好を見さば群臣能を誣(し)いん。

 

人主の欲見れて、則ち群臣の情態度其の資を得るなり。

  

故に子之は賢に託して以って其の君より奪う者なり。

 

(略)

  

人臣の情は、必ずしも能く其の君を愛するに非ず、利を重んずるが為の故なり。

   

故に曰く、好きを去り悪を去れ、群臣素を見さむ、群臣素を見さば、則ち人君蔽(おお)われざらん。

 

【解釈】

君主には二つの苦労がある。

 

一つは、賢い人を選んで仕事をやらせようと決めた場合、臣下が賢明すぎる故に君主を推し動かそうとすることである。

 

もう一つは、賢さを重視せずに人を用いると、無能が紛れ込み仕事が滞ってしまうことだ。

 

君主が賢人を好めば、臣下は取り繕って君主に気に入られようとし、その臣下の本心が分からなくなる。

 

かつて越王が勇士を好んで戦場に送り出したとこ、人民は死を軽んずる者が増えた。

 

楚の霊王が細身の美人を好んだところ、都には腹を空かせて痩せようとする人が増えた。

 

斉の桓公は好色で妬み深かったことから、豎刁(じゅちょう)は自らきょせし宦官(去勢した上で後宮に仕える役職)を設けた。

 

燕王の子噲(しかい)は賢い者を好みだったことがあり、その臣の子之(しし)はわざと辞退して君主にならないふりをした。

 

このように君主の嫌いなものが分かれば臣下は尻尾を隠し、君主の好きなものが分かれば臣下はなんでもできるような嘘を言う。

 

すなわち君主の翼が知れると、臣下は上辺を取り繕うための手がかりを得るのである。

 

後に子之は、燕王子噲から君主の座を奪い取ることになった。

 

斉の宦官となった豎刁は、桓公の心に食い入り政治の実権を握る。

 

桓公は、紛争が起き殺された後、ウジが部屋中を埋め尽くしても葬ってもらえない有様だった。

 

こうなったのはみな君主がその本心を臣下に見せたからである。

 

好むことも隠し、嫌うことも隠す。

 

すると臣下はみな生地をさらけ出す、臣下がみな生地を出せば、君主が騙される恐れはない。

 

 

ただのイエスマンや腰巾着は必要ない

韓非子①で紹介した「君主は野望をひけらかしてはいけない」に似ていますね。

 

トップに立つ者が好き嫌いをはっきり出してしまう事は、部下にただのイエスマンを作ってしまうことにもなりかねません。

 

自分に上司の意見に合わせて動いてくれる部下というのは気持ちがいいかもしれませんが、組織運営においては悪だったりもします。

 

問題点や反対意見があるのにこちらに気を遣って指摘をしなかったり、ミスを隠そうとするかもしれないからです。

 

仕事の上では良いことも悪いことも感情的になりすぎず、良きは褒め、悪しきは罰すを淡々とこなせる精神力が必要だと分かります。

 

逆に相手に付け入るには、相手の好みを調べて懐に入るという手段が有効ということでもありますね。

 

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