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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つかもしれない言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
またそれらの言葉がこの本の要約にもなるので、よろしければ参考までにどうぞ!
「最初にすべきことは仕事をいいつけることではない。親切に見守っていることだ。」
女の子は人形に着せるための衣装やその袖口、ネッカチーフやレースなどを上手に作れるようになることを望むことが多い。
そういうことをこちらの好きなようにさせようとすると、それは子どもにとってとてもつらく感じられるものにで、子どもはむしろ何でも自分で工夫して作る方がずっと気楽だということになる。
そこで子どもが受けることになる最初の授業の理由が分かってくる。
最初にすべきことは仕事をいいつけることではない。
親切に見守っていることだ。
そして、じっさい、女の子というものは、読み書きを学ぶことよりも針の使い方の方を喜んで学ぶ。
女の子は小さいときから大きくなったときの自分の姿を想像し、そういう才能はいずれも自分の身を飾るのに役立つ、と考えて喜んでいるのだ。
一度そういう道が開けてくれば、それを辿っていくのは易しい。
裁縫、刺繍、レーズ編みは一人でにやってくる。
「有益であることが子どもに分からない場合は何も要求してはいけない。」
有益であることが子どもに分からない場合は何も要求してはいけない。
母親の技巧は、何を言いつけるにしても、それが有益であることを娘に分からせてやることにあるが、これは、女の子は男の子よりもはやくに知恵がつくため、なおさら容易にできることだ。
(中略)
私は男の子に早くから読むことを学ばせるのを望んでいないが、女の子に、読むことが何の役に立つかよく分からせる前に、それを学ぶよう強制することは、なおさら望んでいない。
読むことの有用性を子どもに教える普通のやり方では、人は、子どもの考えではなく、むしろ自分の考えに従っている。
子ども(特に女の子)は皆んな多少の違いはあれど、好奇心が強いものだから、強制されなくても、ひまと機会があれば、必ずそれを覚えることになる。
ある女の子の例
読むことよりも書くことを先に学び、ペンで書く前に針で書きはじめた幼い女の子を私は知っている。
その人ははじめ、全ての文字のうちOの他には作ろうとはしなかった。
ひっきりなしに大きなOや小さなOを、いろんな太さのOを作り、大きなOの中に小さなOを作り、そしていつも逆の書き方をしていた。
困ったことに、ある日、熱心にその有益な練習をしているとき、その人は鏡に映っている自分の姿を見て、そのぎこちない姿勢のために自分が醜い様子をしていたことにショックを受け、ペンを放り出し、それから文字を書こうとはしなかった。
その女の子の弟も同じように文字を書くことを好まなかった。
その理由は姿勢が嫌だったからではなく、単にじっとしていられなかったからだ。
しかし彼女はある工夫のおかげで、また文字を書くようになった。
その幼い人はきむずかし屋でオシャレだったから、自分の下着を妹たちに着られるのを嫌がった。
母親はその人のものには印をつけておいたのだが、あるときからは誰も印をつけようとはしなくなったので、自分でつけなければならなくなった。
あとはお分かりだろう。
まとめ
押し付けの勉強は必要ないという見解を示した文章でしたね。
きっかけをコチラがおいておき、本来好奇心に任せることで一人でにその方向に向いていくという能動的な学び方について、ルソーはこの頃から気づいていたようです。
もし強制的にやることになったとしても、そのやる理由をしっかり伝えて納得させて上げるのも親や教育者としての役割になります。
よろしくないのは、できないことだとしても「いいからやれ」と強制的にやらせてしまうことです。
例えできたとしても、そこからの学びは薄く使い物にはならないことがほとんどでしょう。
大切なのは、学ぶ必要になる状況を作り、考えさせてやらせるという流れを作ってあげることです。
親は無駄に手を出さずそれを見守る立場ということですね。
そうやって作り上げた“自分でできた”という成功体験は、子の自己肯定感を上げ人生の大きな糧となっていくでしょう。
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