ゾロアスター教の始まりは紀元前13世紀~7世紀頃だと言われています。
開祖はゾロアスター(ザラスシュトラ・スピターマ)であり、世界最古の一神教として知られています。
その後に続くユダヤ教、キリスト教、イスラム教などが考える一神教に大きな影響を与えた宗教とされています。
今回はそんなゾロアスター教について書いていこうと思います。
ゾロアスターの宗教
ゾロアスターはペルシャ(現在のイラン)を中心に、ゾロアスター教の布教活動を始めたとされる人物です。
古代アーリア人の家庭で育ち、地元で信仰される多神教の祭祀でした。
彼が30歳のとき天使から啓示を受けます。
天使はこう言いました。
「この世に存在する神は唯一アフラ・マズダのみである。アフラ・マズダがこの世の理、善と悪を作った。」
ゾロアスター教が別名マズダ教とも呼ばれるのは、アフラ・マズダを信仰するからです。
ゾロアスターの宗教改革
啓示を受けたゾロアスターは、アフラ・マズダの教えを世に広め宗教改革を始めます。(ここからゾロアスター教=マズダ教として書いていきます。)
各地を回り宣教を始めた彼ですが、始めの10年は誰も教えに従うことがありませんでした。
理由はそれまでの古代アーリアは多神教を信じていたからです。
今まで多くの神を信じてきた中で、いきなり唯一の神はアフラ・マズダだけであると言われて納得する人はいませんでした。
ちなみ10年(40歳ごろ)までに得たマズダ教の信者は、ゾロアスターを含めて2人だったそうです。
転機の訪れ
彼が42歳になる頃には、マズダ教の信者は100人ほどの規模になっていました。
そしてナオタラ族の王と出会ったことをきっかけに、宮廷へ招かれることになります。
ナオタラ王はゾロアスターのことを大変気に入り、専属神官として起用します。
各地を放浪していたゾロアスターは、遂に安定した身分を手に入れることができました。
権力の後ろ盾ができたことをきっかけにマズダ教は広く普及し始めます。
宗教改革への反感
宗教改革の基盤を整えたゾロアスターですが、当然そのことに反対をする者もいました。
周辺の古代アーリア人部族からは、
「ナオタラ王が謎の新興宗教に改宗してしまった。」
と不満を表す者が出てきました。
その後、数々の武力衝突がありましたがこれを打ち破ります。
宮廷内にも反マズダ教の者もいましたが、次第にその声は小さくなっていきます。
争いに勝つことで、マズダ教の“正しきものは勝つ”という理念を証明していったのかも知れませんね。
争いが進むに連れてゾロアスターの名が出てくることが少なくなっていきます。
このことから、彼は宗教的な勢力争いの果てに殺されてしまったとも言われていますが、真偽は定かではありません。
(ここから先はマズダ教をゾロアスター教と統一して呼んでいきます。)
彼の死後
紀元前6世紀頃、アケメネス朝が始まった頃にはゾロアスター教は広く布教されていました。
ゾロアスター教はペルシャを中心に、中央アジアを超え中国にまで広まっていきます。
アケメネス朝がアレクサンドロス大王に滅ぼされた後、セレウコス朝、パルティア王国と国が変わっていく中でも脈々と宗教勢力を拡大していきます。
パルティア王国に替わりササン朝がイラン周辺を統治していた頃には、ゾロアスター教は国教になるまで大きくなっていきました。
ゾロアスターの死後1000年以上経った頃、ササン朝の隆盛と共に経典が整備されていきます。
経典の名は“アヴェスター”。
ゾロアスターの言葉と彼の没後にまとめられた教えが書かれました。
次回ではこのアヴェスターと併せてゾロアスター教の教えについてまとめていきます。
コメント