途絶えた自然描写
古代の壁画には動物の姿や周りの風景などを描写した自然描写が所々に確認されています。
しかし、中世に入るにつれてその描写は薄れていきます。
17世紀初頭に入り古典風景画というジャンルが確立されまで、風景が絵の題材にされることはほとんどありませんでした。
そんな風景画に注目が集まるようになったのは、クロード・ロランの存在が大きく関係していると言われています。
今回はそんなクロードと彼の作品について触れていこうと思います。
クロード・ロラン
クロード・ロランは1600年フランスのロレーヌ地方で生まれた画家です。
本名はクロード・ジュレであり、画家として活動する際に使っていた“ロラン”のという名は出身地であるロレーヌが由来です。
若いうちからイタリアへ移り、同じフランス出身の画家であるニコラ・プッサンとは写生旅行するなどの交友があったようです。
クロード・ロランは大量のナポリ近郊やローマ郊外など風景を大量にスケッチしていました。
主に海や港、建築物の他田園風景なども多くスケッチしています。
しかし彼が実際手掛けた作品は実際の風景を写生したものではなく、宗教や歴史を題材とした空想の風景などが多く残っています。
今回紹介する彼の作品は、そんな空想の風景画である“聖ウルスラの船出”です。
聖ウルスラの船出
“聖ウルスラの船出”は、伝説上の聖女ウルスラにまつわるシーンを想像して描いた作品です。
ウルスラと1万1000人の侍女たちが、ローマ巡礼のために出航する様子を描いています。
描かれている建物は彼が拠点としたイタリアの影響が強く反映されています。
古代ローマを彷彿とさせる建物の様式や彼が好む海や港が、ローマに対する想い入れを感じさせます。
聖ウルスラの伝説
伝説上の聖ウルスラはブリタニア出身の敬虔なキリスト教徒です。
ローマ系ブリテン人の王女でもあったウルスラは、イングランドを支配していた異教徒の王子との婚約を迫られます。
ウルスラはこれを承諾しますが、王子に対して3つの条件を言い渡しました。
①王子は洗礼を受けること(キリスト教に改宗すること)
②1万1000人の処女を集めること
③結構前に集めた彼女らと共にウルスラがローマを巡礼すること
王子はこれを承諾し、女性たちを集め、ローマ巡礼の準備までを約束しました。
ウルスラはヨーロッパ全域の巡礼を宣言し、見事達成します。
しかしその帰路、中央アジアから東ヨーロッパ地域に住む遊牧民族(フン族)の襲撃を受け、1万1000人の侍女らと共に殉教してしまう。
……という物語です。
その後ウルスラと侍女たちは現ドイツのケルンに埋葬されたと言われています。
その地には彼女らを祀るための教会が建てられています。
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