今回のテーマはアインシュタインについてです。
彼の生い立ちからノーベル賞受賞までを3つの記事にてまとめていきます。
では早速彼の出自からスタートです。
アインシュタインの出自
1879年、アインシュタインはドイツに住む一般的なユダヤ人家庭の長男として生まれました。
幼い頃は言葉をあまり話さず、空想にふけることが多かったそうです。
彼が初めて科学に興味を持ったのは5歳の頃。
父からもらった方位磁針が、常に一定の方向を向くことに驚き、なぜそうなるのかを何度も考えました。
6歳になると彼は、家から近く通いやすいことからカトリック系の小学校通います。
しかし口数も少なく行動も遅いことを理由にいじめが始まります。
何よりカトリックの学校の中にいる唯一のユダヤ人であったことから、彼は孤立していきます。
暗記科目ではほとんど結果を出すことができなかったものの、数学はピカイチでした。
9歳ではピタゴラスの定理を自力で証明、12歳になるとユークリッド幾何学の本を参考に微分積分を独学で理解するほどでした。
同じ頃、同じユダヤ人家庭の友人マックス・タルメイから天文学の存在を教わり、物理学にも関心を寄せるようになります。
権威への反発
聖書に書かれていることは本当のことではない?
アインシュタインは科学の本を読むうちに、聖書に書かれていることの多くが本当のことではないことを確信していきます。
それと同時に、決まったことを盲目的に信じることの愚かさを理解しました。
当時の学校は、“先生の言葉を受け入れ、聞かれたことに答えることがあるべき生徒の姿である”という軍国主義的な思想が少なからずありました。
アインシュタインは、溢れ出る科学の疑問を相談できるような先生に出会うことがでず、15歳には学校を中退します。
これらの経験から彼は、疑問を自力で解決しようとする決意や、俯瞰的にものごとを視る力を持つようになっていきました。
同時に権威に対して強く反発するようにもなりました。
独学で大学受験
落ちました。
中学を中退後、アインシュタインは独学で勉強。
スイスの名門校チューリッヒ連邦工科大学を受験するも勉強不足により不合格となってしまいます。
しかし数学と物理においてトップレベルの成績を残していたため、別の学校で一年間の中等教育を受けることを前提に、翌年入学が許可されます。
入学したアインシュタインは授業を受け落胆します。
最先端の研究に触れられる期待とは裏腹に、大学では物理学の歴史ばかりが重視され、彼が望むような新しい理論を学ぶことができませんでした。
そのため、授業をサボっては独学で最新の理論を学んでいきます。
もちろん大学の教授の評価は最悪。
人の話を聞く耳を持たねば、お前は間違いなく落ちぶれると忠告されるも、
「権威をむやみに尊敬することは人を盲目にさせる。」
と反論。
決して自分のスタンスを変えることはありませんでした。
卒業後のアインシュタイン
見捨てられてしまった…。
1990年、21歳のときに大学を卒業したアインシュタインは、同大学の助手として働くつもりでした。
しかし在学中の態度の悪さから、教授たちは誰も彼を雇うことはなく、学校外の各方面に手紙を出しても、返事をくれる人はいませんでした。
2年の月日が流れたある日、彼は友人のマルセル・グロスマンの伝手で特許局に就職することが決まります。
特許局での仕事は傍から見れば退屈なもので、毎日何百と届く特許の申請に目を通し、是か非か判断しなければなりませんでした。
ここで彼が得た力は、“物事の本質を見極めること”でした。
次々届く発明やアイデアが本当に特許に値するものなのか、嘘をついて特許を申請しているのではないかなど常に疑いの目を向けざるを得ませんでした。
特許申請を通して新たな数式や理論を学ぶと同時に、疑う力と見極める力を養っていったのです。
そしてこの特許局で働いている間に構築した理論が“相対性理論”でした。
この特許局での経験がなかったら、特殊相対性理論をはじめとする様々な理論にたどり着かなかったかもしれないと言われるほど、彼にとって重要なターニングポイントだったのです。
それ以降、仕事の空いた時間で思考実験を繰り返し、数々の論理を組み立てていくアインシュタイン。
彼の本領が発揮されるのはそこから3年が経った1905年のことでした。
続く…。
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