ニコラ・テスラ (1856~1943年) は、現在使われている”交流電気方式”を一般化させた天才科学者です。
人工地震や世界システムの研究開発など、マッドサイエンティストとして語られることも多くあります。
今回から数回に渡って、彼の生き様と彼の科学について見ていこうと思います。
幼きテスラの科学
1856年7月、クロアチアのスミリャンに生まれます。
彼の科学への興味は、物心がついた頃から芽生えはじめます。
幼い頃、雪山で雪を丸めて遊んでいたときのことです。
雪の玉が斜面を転がり、木をもなぎ倒す力を持つほどの大きさになったのを見て、自然の物理的なエネルギーに気づきます。
5歳の頃には、川の水の流れからエネルギーを取り出す小型水車を作り出します。
彼がひときわ注目したのは、“回転するエネルギー”についてでした。
この回転エネルギーへの興味は後に大きな科学的な成果に繋がっていきますがそれはまた後ほど…。
テスラのマイルール
一度着た服はもう着ない。
小型水車を作り出した同年、7歳上の兄が亡くなったことをきっかけに、幻覚や恐怖症に悩まされるようになります。
頭で考えたことが具現化して目の前に現れていたそうで、度々目の前にあるものが本物かどうかを家族に聞いていたといいます。
そんな中でも、天才と呼ばれた兄を超えるため必死に勉強に励み、特に数学分野でその努力の成果をいかんなく発揮していまし。
語学も堪能で、8カ国語を難なく理解し、音楽や哲学にも精通していたと言われています。
そんな彼には独自のマイルールがありました。
ホテルでは3で割り切れる部屋にしか宿泊せず、服装はシルクのシャツにネクタイ、そして手袋と決まっており、更には一度着た服は捨てていました。
ここから既に彼がマッドサイエンティストと言われる所以が見え始めていますね。
回転磁界の原理の発見
1878年オーストリアのグラーツ工科大学へ進学。
在学中、”グラム発電機(発電機とモーターの両方の性質を持つ直流機械装置)”を目の当たりにし、この発電機の欠点を発見します。
それは、モーターの回転時に接触部位から火花が出ていることでした。
当時、発電機から電気を取り出す際、整流子とブラシの間から火花が出ることは当たり前のことでしたが、テスラはここからエネルギーの損失が起きていると指摘します。
これを元に後に交流モーターの開発に繋がる、”回転磁界”の原理を思いつくことになります。
“電話”が来る!
グラーツ工科大学で学んでいるテスラでしたが、社会情勢の変化によって彼が受けていた奨学金がストップしてしまいます。
大学を中退する羽目になったテスラ。
そんなとき、彼に朗報が舞い込む。
ゼネラル・エレクトリック社(エジソンの会社)が開発した“電話”が隣国のハンガリーにやってくるというのです。
彼は最新の電気技術に触れる機会だと考え、すぐにハンガリーの電信局に赴きます。
彼はこの地で、自身の研究人生をスタートしようとしたのです。
続く…。
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