感情の切り替えが苦手? ── ミソフォニアと脳の「柔軟性」

科学
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私たちが「聞く」という行為は、単に耳で音を捉えるだけのものではありません。

 

それは、私たちの感情や思考の働きと深く結びついた複雑なプロセスです。

 

近年、ある研究によって、「聞こえ方」と「感情の処理」そして「認知の柔軟性」との関連が明らかにされつつあります。

 

その研究対象となったのが、ミソフォニア(misophonia)と呼ばれる状態です。これは、特定の音に対して極端な感情反応を示すという特徴を持つ現象であり、日常生活に深刻な影響を及ぼすこともあります。

  

以下に研究の内容をまとめます。

  

参考記事)

Misophonia Linked to Difficulty in Switching Emotional Focus(2025/10/16)

 

参考研究)

Misophonia symptom severity is linked to impaired flexibility and heightened rumination(2025/09/13)

 

 

ミソフォニアとは何か

 

ミソフォニアとは、「特定の音を聞くことで、激しい怒りや嫌悪感などの感情反応が生じる状態」を指します。

  

たとえば、人が咀嚼する音、ペンをカチカチ鳴らす音、関節を鳴らす音、あるいはいびきの音などがその引き金となることがあります。

 

さらに、時計の針が進む音や犬の鳴き声など、身体的な音以外でも強い反応を引き起こす場合があります。

 

こうした音に触れると、単なる「不快感」ではなく、怒りや嫌悪、強い緊張感といった情動が生じ、身体的にも「闘争・逃走反応(fight-or-flight response)」が引き起こされることが確認されています。

 

症状が重い場合には、人との食事や公共の場への外出を避けるようになり、社会生活や人間関係に支障をきたすことも少なくありません。

 

 

研究の目的と背景

この研究を主導したのは、ランカスター大学のHelen E. Nuttall博士らによる研究チームです。

  

研究の目的は、なぜ特定の音がこれほどまでに強い情動反応を引き起こすのか、その神経心理的メカニズムを明らかにすることにありました。

  

研究者たちは、ミソフォニアを単なる感覚過敏の問題としてではなく、「感情と注意の切り替え」、すなわち「情動的柔軟性(affective flexibility)」に関わる問題として捉えました。

  

これは、人が「感情的な情報」と「非感情的な情報」を行き来する能力のことを指します。

 

 

実験の概要と方法

研究には、平均年齢30歳の成人140名が参加しました。

 

参加者の中には、臨床的にミソフォニアの症状が顕著な人と、そうでない人の両方が含まれています。

 

被験者には、「記憶課題」と「情動課題」の両方を行うタスクが与えられました。

 

このタスクは、音ではなく画像を用いた新しい手法によって実施され、参加者は画像の「感情的内容」を判断したり、「詳細を記憶」したりするよう求められました。

 

重要なのは、参加者が感情に関する判断から記憶に関する判断へと切り替えるという過程です。

 

この切り替え能力こそが「情動的柔軟性」を測る鍵となります。

 

  

研究結果:ミソフォニアと情動的柔軟性の関係

 

実験の結果、ミソフォニアの症状が重いほど、情動課題での正答率が低いという傾向が確認されました。

 

つまり、重度のミソフォニアを持つ人ほど、感情刺激に対して適切に反応する能力が低下しており、「感情情報への柔軟な対応」が難しい可能性が示されたのです。

 

研究チームはこの結果から、ミソフォニアは単なる聴覚の異常ではなく、「感情処理の柔軟性」に関わる認知的特性の一部であると考えています。

 

 

反すう傾向との関連

さらに、参加者に対する質問紙調査から、ミソフォニアの重症度が高い人ほど「反すう(rumination)」傾向が強いことも判明しました。

 

反すうとは、過去や現在の出来事、あるいは未来への不安など、否定的な思考を繰り返し続けてしまう心理傾向を指します。

 

ただし、この質問紙はミソフォニア体験そのものに特化したものではなく、一般的な反すう傾向を測定したものです。

 

それにもかかわらず、ミソフォニアの重症度と反すう傾向が有意に関連していたことは注目に値します。

 

反すうは、不安障害、うつ病、強迫性障害(OCD)など、さまざまな精神疾患に共通して見られる症状でもあります。

 

そのため、研究者らは、ミソフォニアが特定の音への反応にとどまらず、感情全般の処理メカニズムと関係している可能性を示唆しています。

 

 

音と心のつながり:脳の「こだわり」の仕組み

 

これらの結果は、私たちが音をどのように「感じるか」が、単なる聴覚の働きだけでは説明できないほど多層的な現象であることを示しています。

 

特定の音に過剰反応してしまう人は、脳内で「感情の切り替えスイッチ」が上手く機能していない可能性があります。

 

そのため、一度不快な感情が生じると、それを抑えたり忘れたりすることが難しく、負の感情のループに陥ってしまうのです。

 

Helen E. Nuttall博士は、これを「心の中に残る音の残響(the mind’s echo)」と表現しています。

 

つまり、耳で音が消えても、心の中ではその刺激が長く響き続けるのです。

 

 

研究の限界と今後の課題

研究チームも指摘しているように、この結果は相関関係(correlation)を示すものであり、因果関係(causation)を示すものではありません

 

つまり、「情動的柔軟性の低下がミソフォニアを引き起こす」のか、あるいは「ミソフォニアが情動的柔軟性を低下させる」のかは、現段階では断定できません。

 

また、今回使用された「情動柔軟性課題」は今年新たに開発されたものであり、その信頼性や妥当性についてはまだ十分な検証がなされていないとされています。

 

さらに、この研究では「非情動的な切り替え課題」との比較が行われておらず、この点も今後の改良が期待されています。

 

研究者たちは今後、音刺激を直接用いた実験を行い、視覚的な情動刺激との違いをより明確にする必要があると述べています。

 

ミソフォニアに関する研究は、依然として初期段階です。

 

世界的な有病率についても正確なデータは存在せず、治療法に関しても確立されていません。

 

さらに、この状態が精神疾患の一種として分類されるべきかどうかについても、研究者の間で議論が続いています。

 

しかしながら、今回の研究は、ミソフォニアを単なる「音への過敏反応」としてではなく、感情処理の柔軟性や認知的特性と深く関連する現象として再定義するきっかけを与えました。

 

Helen E. Nuttall博士は、「人によって聞こえ方や感じ方は多様であり、その違いを理解することが、ミソフォニアのような症状に苦しむ人々の支援につながる」と述べています。

  

 

まとめ

・ミソフォニアは、特定の音に対して強い怒りや嫌悪を感じる状態であり、社会生活にも影響を及ぼす可能性がある

・重度のミソフォニアほど、感情の切り替え能力(情動的柔軟性)が低下していることが示唆された

・この状態は、単なる聴覚過敏ではなく、感情処理の仕組みや思考の柔軟性に関わる心理的要因とも関連している可能性がある

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