イタリアのフィレンツェ大学の研究チームが、痛みだけを選択的に抑え、体にとって有益な炎症反応をそのまま残す新しいタイプの鎮痛薬の仕組みを発見しました。
これまで広く使われてきた一般的な鎮痛薬、いわゆる「NSAIDs(非ステロイド系抗炎症薬)」は、痛みを和らげる効果がある一方で、胃や腎臓、心臓などに副作用をもたらすことが知られています。
研究チームは、こうした副作用の原因となる「炎症の抑制」を避けつつ、痛みだけを標的にするメカニズムの解明に成功したのです。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・New Class of Painkillers Could Work Without Blocking Healthy Inflammation(2025/10/10)
参考研究)
・Targeting prostaglandin E2 receptor 2 in Schwann cells inhibits inflammatory pain but not inflammation(2025/09/25)
痛みと炎症を切り離すという新しい発想

私たちの体が傷ついたとき、免疫系は「プロスタグランジン」と呼ばれる化学物質を放出し、炎症と痛みを引き起こします。
これは、損傷部位を修復するための重要な防御反応です。しかし、現在広く使用されているNSAIDsは、痛みを鎮めるだけでなく、炎症を引き起こすプロスタグランジンの生成そのものを阻害してしまうため、結果的に回復過程を遅らせる可能性が指摘されてきました。
今回の研究を主導したのは、フィレンツェ大学の薬理学者Romina Nassini氏です。
彼女のチームは、マウスの神経細胞やヒト細胞を用いて、プロスタグランジンがどのように細胞受容体を介して痛みを伝達するのかを詳細に調べました。
同大学の臨床薬理学者Pierangelo Geppetti氏は次のように述べています。
「炎症は、体の修復と正常機能の回復に不可欠。NSAIDsで炎症を抑えることは、かえって治癒を遅らせる可能性がある」
この考えに基づき、研究チームは「炎症を抑えずに痛みだけを軽減する」新たな戦略を探りました。
再発見された仕組みプロスタグランジンE2
研究の鍵となったのは、炎症性疼痛に深く関与するプロスタグランジンE2(PGE2)です。
これまで、PGE2がどの細胞受容体を介して痛みを引き起こすかについては完全には明らかにされていませんでした。
今回、Nassini氏らは、PGE2がこれまで想定されていたものとは異なる細胞受容体を利用していることを発見しました。

特に注目すべきは、神経を支える役割を持つシュワン細胞(Schwann cells)が重要な働きをしていた点です。
これらの細胞内でPGE2が作用する経路を詳細に解析したところ、炎症反応そのものには関与せずに、痛みの信号だけを伝える経路が存在することがわかりました。
痛みを消しても炎症は残る:EP2受容体のブロック

実験では、シュワン細胞に存在するEP2受容体を標的とすることで、プロスタグランジンによって引き起こされる痛みのシグナルを完全に遮断できることが確認されました。
驚くべきことに、この受容体をブロックしても、炎症反応そのものは正常に進行することが分かりました。
Geppetti氏はこう述べています。
「EP2受容体を遮断したところ、プロスタグランジンによる痛みは消えたが、炎症は通常通り起こった。つまり、炎症と痛みを切り離すことに成功したと言える」
この結果は、現在のNSAIDsが同時に抑制してしまう「炎症」と「痛み」の関係を分離できる可能性を示しています。
もしこのメカニズムを応用できれば、体の自然な治癒力を損なわずに痛みだけを和らげる、より安全な鎮痛薬の開発につながると期待されています。
NSAIDsの副作用と新薬開発への展望
NSAIDsは長年にわたり、慢性痛や関節炎、頭痛などの治療に用いられてきました。
しかし、心臓・肝臓・腎臓への負担や胃腸障害のリスクがあることが多くの研究で報告されています。
今回の研究成果は、こうした副作用の少ない「選択的鎮痛薬」への第一歩となるかもしれません。
ただし、この研究はまだマウス実験と細胞レベルでの解析段階にとどまっており、臨床試験に進むにはさらなる検証が必要です。
研究者たちは今後、プレクリニカル(前臨床)研究を重ねた上で、ヒトでの安全性と有効性を確認する計画です。
このような新しい鎮痛戦略が実用化すれば、捻挫や打撲、関節炎などの急性・慢性痛の治療に大きな変化をもたらす可能性があります。
また、他の薬剤と組み合わせることで、痛みの管理がより柔軟に行えるようになるかもしれません。
炎症と痛みの関係を見直す
炎症は一般的に「悪者」と見なされがちですが、実際には組織の修復を促す重要な役割を担っています。
免疫系が適切に働けば、損傷部位への血流や免疫細胞の動員を助け、感染や組織破壊を防ぎます。
しかし、炎症反応が過剰に続くと慢性的な疾患につながるため、そのバランスを保つことが鍵になります。
ニューヨーク大学の分子病理学者Nigel Bunnett氏は次のようにコメントしています。
「炎症と痛みは通常、同時に起こるものと考えられている。しかし、痛みを遮断しながら炎症をそのまま進行させられるという発見は、痛み治療の大きな前進といえる」
このコメントからもわかるように、今回の成果は痛みと炎症の従来の理解を根本から見直す契機になると考えられます。
今後の課題と展望
現時点では、この研究が示すメカニズムがヒトでも同様に作用するかはまだ不明です。
マウスと人間では免疫系や神経伝達の微妙な違いがあるため、単純に結果を当てはめることはできません。
しかし、炎症と痛みを分離して制御するという発想は、従来の薬理学的アプローチを大きく刷新するものです。
研究チームは、EP2受容体を標的とする分子設計をさらに洗練させ、副作用の少ない新しい鎮痛薬のプロトタイプ開発を目指しています。
将来的には、既存のNSAIDsと組み合わせて使用することにより、より効果的で安全な疼痛管理が可能になるかもしれません。
まとめ
・フィレンツェ大学の研究チームが、痛みと炎症を分離できる新たな鎮痛メカニズムを発見した
・EP2受容体を遮断することで、プロスタグランジンによる痛みのみを抑え、正常な炎症はそのまま維持された
・この発見は、NSAIDsに代わる副作用の少ない新しい鎮痛薬の開発へとつながる可能性がある


コメント