複雑なステップを踏むタンゴのダンスや、ギターを奏でる演奏、あるいは絵を描くことやビデオゲームなど、脳の活動を活発化させる創造的な活動が、脳の老化を遅らせる可能性があるとする研究結果が発表されました。
複数国のダンサー、音楽家、芸術家、そしてゲーマーを対象に行われたこの国際的研究では、脳の実年齢と見かけ年齢の差を測定する「ブレインクロック(brain clock)」モデルを用いて、創造的活動が脳の若さ維持に与える影響を分析しました。
研究チームは、特に老化の影響を受けやすい脳領域に注目し、創造的な行為がその部分における神経結合を強化することを確認しました。
経験豊富な参加者ほど「若い脳」を示す傾向があり、まったくの初心者が新しい創造的スキルを学ぶことでも、脳の老化を防ぐ効果が見られました。
今回のテーマとして、以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Creative hobbies could slow brain ageing at the molecular level(2025/10/03)
参考研究)
・Creative experiences and brain clocks(2025/10/03)
脳の若さを保つ「創造的行動」の力

過去の研究でも、音楽や絵画、舞踊といった創造的活動が精神的健康や幸福感を高め、脳の老化を遅らせることが示唆されてきました。
しかし、これらの効果がどのような生物学的メカニズムによって生じるのかは、これまで十分に解明されていませんでした。
今回の研究を主導したのは、チリのアドルフォ・イバニェス大学の神経科学者 Agustín Ibáñez氏で、彼ははじめにこのように述べています。
「これまでの研究では創造性の恩恵は示されてきたものの、その背後にあるメカニズムの証拠は非常に乏しかった」
この問題に取り組むため、研究チームは10か国・1,240人の参加者から得られた神経画像データを用いて、脳の活動パターンを分析しました。
彼らは脳領域間の連携を示す「機能的結合(functional connectivity)」を指標とし、これを基に脳の見かけ年齢を推定する機械学習モデルを作成しました。
その後、このモデルを、232人のタンゴダンサー、音楽家、ビジュアルアーティスト、ビデオゲームプレイヤーに対して適用し、推定された脳年齢と実年齢の差を算出しました。
経験豊富なタンゴダンサーほど脳が若い

結果として、すべての創造的活動において脳の老化が遅延する傾向が確認されました。
特に注目されたのは、タンゴダンサーのグループです。彼らの脳は、平均して実年齢より約7歳若い状態を示していました。
この理由についてIbáñez氏は、次のように説明しています。
「タンゴは複雑な動作の連続と高度な調整能力、そして即興性や戦略的思考を同時に求める。そのため脳に非常に多面的な刺激を与え、老化を防ぐ上で理想的な活動となる」
また、音楽家や画家、ゲームプレイヤーのグループでも、経験値が高いほど脳の老化が遅れていることが確認されました。
これは、創造的活動が単なる娯楽ではなく、脳の神経結合を再構築し、可塑性を促進する可能性を示しています。
創造性が保護する脳の領域
さらに研究チームは、創造的活動が特にどの脳領域に影響を与えるのかを詳しく調べました。
その結果、前頭頭頂ネットワーク(作業記憶や意思決定、計画立案などを司る部位)が最も大きな恩恵を受けていることが判明しました。
この領域は加齢に伴う変性が早く進むことで知られており、創造性がそれを防御的に支える役割を果たしている可能性があります。
特に熟練した参加者では、運動制御・リズム感・調整機能を担う領域との神経結合が強化されており、これは脳が創造的活動を通じて再配線されることを示唆しています。
ゲームによる脳の若返り効果

研究チームはさらに、新しい創造的スキルを習得することが脳年齢にどう影響するかを調査しました。
この実験では、24人の被験者が人気戦略ゲーム『StarCraft II』を学び、比較対照群にはルール中心で創造性の少ない別のゲームをプレイさせました。
数週間のトレーニングの結果、StarCraft IIをプレイした初心者たちは、脳年齢が実際の年齢より若返る効果を示し、さらに注意力テストでも高得点を記録しました。
脳画像分析では、物体認識や知覚、注意制御に関わる領域の結合が強化されていたことが分かりました。
一方で、対照群のプレイヤーにはこうした効果は見られませんでした。
この結果は、「新しい創造的スキルを一から学ぶだけでも、脳を老化から守ることができる」という重要な示唆を与えています。
Ibáñez氏はこう述べています。
「健康な脳を保つために、ダ・ヴィンチのような天才である必要はない。創造的に考え、行動すること自体が脳を若く保つ」
なぜ創造性が脳を守るのか
このような創造性による「抗老化効果」がなぜ起こるのかについて、ドイツのドイツ神経変性疾患センターの認知科学者 Francisca Rodriguez氏は次のようにコメントしています。
「創造的思考は、パズルや単純な認知課題よりも多くの脳領域を同時に使う。脳全体を統合的に働かせるため、より強い保護効果を生む可能性がある」
彼女はまた、創造的思考そのものが加齢の影響を受けにくい特性を持つのではないかと指摘しています。
ただしこの仮説は現時点ではまだ十分な検証がなされていないため、今後さらなる研究が必要とされています。
この研究は、芸術やゲーム、音楽、ダンスといった人間の創造性が、単なる娯楽や趣味の域を超え、脳の健康を守る“分子レベルのトレーニング”であることを示した点で画期的です。
特に、創造的活動を始める時期や経験の長さにかかわらず効果が見られたことは、誰にとっても励みとなる発見といえるでしょう。
まとめ
・創造的活動(タンゴ、音楽、アート、戦略ゲームなど)は脳の老化を分子レベルで遅らせる傾向がある
・初心者でも新しい創造的スキルを学ぶだけで脳年齢が若返る効果が見られた
・創造性は前頭頭頂ネットワークを中心に神経結合を強化し、加齢に伴う脳機能の衰退を防ぐ可能性がある。


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