近年、腸脳相関(または脳腸相関)という言葉をよく耳にするようになりました。
腸内細菌によって作られたセロトニンやGABAといった神経伝達物質が脳に作用するなど、腸と脳には密接な関係があるという事実も、近年明らかになってきました。
そしてこの度、デューク大学の研究チームが発表した研究から、腸と脳とのあいだにはこれまで知られていなかった「新たな感覚経路」が存在する可能性が示唆されました。
この研究では、腸内細菌が発する特定の分子が、リアルタイムで脳の行動を変化させる神経的な通信手段を担っていることが示されており、従来の免疫応答とは異なる「第六の感覚」ともいえる仕組みがあると提案されています。
以下に、この研究成果の背景や実験内容についてまとめます。
参考記事)
・An Extra Sense May Connect Gut Bacteria With Our Brain(2025/07/24)
参考研究)
・A gut sense for a microbial pattern regulates feeding(2025/07/23)
腸と脳の対話
今回の研究を主導したのは、神経科学者のDiego Bohórquez氏を中心とするデューク大学の研究チームです。
彼らは、腸内に存在する細菌が出す特定の分子が、脳に信号を送り行動を変化させる「感覚的な反応」を引き起こすのではないかという仮説のもと、実験を行いました。
この仮説を検証するために、研究チームが着目したのが「フラジェリン(flagellin)」というタンパク質です。
フラジェリンとは、腸内細菌の鞭毛(べんもう)構造の一部を構成するタンパク質です。

これまで主に免疫系を刺激する物質として知られていたフェラジェリンですが、今回の研究では、神経経路を通じて脳へと直接信号を送る「メッセンジャー」としても働いていることが示されました。
研究チームは、絶食状態にあるマウスに微量のフラジェリンを投与し、摂食行動に与える影響を観察しました。
その結果、通常であれば再び食事を始めるマウスが、フラジェリン投与後には明らかに食事量が減少するという反応が確認されました。
さらに、フラジェリンに反応する受容体をあらかじめ遮断したマウスでは、満腹感が脳に届かず、摂食が止まらないという現象が観察されました。
この結果は、腸内細菌からの信号が神経を介して脳へ到達し、行動を変える働きがあることを裏付けています。
信号の通り道:「ニューロポッド細胞」と「迷走神経」

では、腸から脳へと送られるこの信号は、具体的にどのような経路をたどっているのでしょうか。
研究チームは、腸内に存在する「ニューロポッド細胞(neuropod cells)」という特殊な上皮細胞がこの経路の起点であると考えています。
このニューロポッド細胞は、フラジェリンに反応すると電気信号を生じさせ、迷走神経(vagus nerve)を通じて脳へと信号を伝達します。
迷走神経は、腸と脳とを結ぶ主要な経路であり、これを通じて私たちの体は内臓の状態を脳に伝えています。
これら一連の反応は、まるで私たちが視覚や嗅覚を通じて外界を感じ取るように、腸内環境を「感じ取る」ための新たな感覚システムであると考えられます。
「ニューロバイオティック感覚」
この現象に対して、研究者たちは次のような定義を提案しています。
「この感覚は、宿主がその体内に住む微生物の分子パターンに応答し、行動を調節する能力を持つものである。私たちはこの現象を、“ニューロバイオティック感覚(neurobiotic sense)”と名付けた」
これは単なる神経刺激でも、免疫応答でもなく、腸内の常在菌が生み出す分子によって脳が直接行動変化を起こす「第六感」に相当する現象であるという主張です。
現時点では、この研究はマウスを対象に行われており、人間においても同様の仕組みが働いているかどうかは未確認です。
しかし、ヒトとマウスの消化器系には多くの共通点があり、研究チームは人間にも同じ経路が存在する可能性が高いとみています。
今後の研究では、人間におけるニューロバイオティック感覚の存在の有無や、他の細菌由来分子との関連性などを調べることが重要になるでしょう。
応用の可能性:摂食障害や肥満の治療に向けて

この発見は、基礎科学の枠を超え、将来的には摂食障害、肥満、さらには精神疾患などの治療に応用される可能性を秘めています。
Bohórquez氏は、今後の研究の方向性として次のように述べています。
「今後、特定の食事が腸内細菌の構成をどのように変えるかを調べることが、肥満や精神疾患といった状態の理解に重要なカギとなるだろう。私たちの行動がどのように微生物に影響されているかを解明するために、この研究は非常に役立つはずである」
また、食事や薬物を通じてこの「ニューロバイオティック感覚」を制御することが可能になれば、過剰な食欲の抑制や精神状態の安定化に貢献できるかもしれません。
今後の課題と展望
この研究が提示する「第六の感覚」は、私たちの身体理解に新たな視点をもたらしました。
ただし、現段階ではまだ動物実験の段階にとどまっており、人間での再現性の確認が必要不可欠です。
また、腸内細菌には数千種類以上の菌種が存在し、それぞれが異なる代謝産物を作り出しています。
どのような菌がどのような信号を出すのか、それに脳がどう反応するのかといった詳細な解明も今後の課題でもあります。
まとめ
・デューク大学の研究により、腸内細菌から脳へと直接信号を送る新たな「感覚」が存在する可能性が示された
・フラジェリンという腸内細菌のタンパク質が、ニューロポッド細胞と迷走神経を通じて脳の摂食行動を変化させる
・この「ニューロバイオティック感覚」は、将来的に肥満や摂食障害、精神疾患の理解と治療に貢献する可能性がある


コメント