運動はまるで心臓のための「薬」のようなものです。
しかし薬と同じように、効果を得るためには適切な「投与量」が必要です。
そして最近の研究によると、その適切な量はすべての人に同じではないことが明らかになりました。
男性は女性よりも約2倍の運動量で同じ程度の心疾患リスクの低下効果を得られるというのです。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Men Need to Exercise More Than Women to Lower Heart Disease. Here’s Why.(2025/11/03)
参考研究)
英国8万人以上を対象とした大規模調査
この研究は、イースト・ロンドン大学のJack McNamara氏を中心とする研究チームによって行われました。
研究では、イギリスの成人85,000人以上(37歳〜73歳)を対象に、手首に加速度計(体の動きや活動量を計測する装置)を装着してもらい、7日間にわたり日常的な身体活動量を測定しました。
その後、約8年間にわたり健康状態を追跡調査したのです。
結果は非常に興味深いものでした。
女性が週におよそ4時間の中強度から高強度の運動(速歩き、ジョギング、サイクリング、ダンスなど、呼吸や心拍数を上げる活動)を行うと、冠動脈性心疾患のリスクが約30%低下しました。
しかし同じ効果を得るためには、男性は約9時間の同様の運動を行う必要があったのです。
【結果をグラフ化したもの】
・手首装着型加速度計によって測定された中強度〜高強度の身体活動(MVPA: Moderate-to-Vigorous Physical Activity)の時間を基にしたグラフ
・左のグラフ) 冠動脈性心疾患(CHD: Coronary Heart Disease)の発生リスク
・右のグラフ) 既に冠動脈性心疾患を有する人の全死因死亡リスク
さらに、すでに心疾患を持つ人にも同様の傾向が確認されました。
冠動脈性心疾患を診断されている女性は、週におよそ51分間の運動を行うことで、全死因による死亡リスクを30%減らすことができると推定されました。
一方で、男性は同じ効果を得るために約85分の運動が必要だったのです。
これらの結果は驚くべきもののように思えるかもしれませんが、実は運動生理学者たちが長年予想していた現象でもあります。
研究チームは、こうした差が生まれる背景には、明確な生物学的要因が関係していると指摘しています。
生物学的な違いがもたらす運動効果の差
男性と女性では、ホルモンや筋肉の構造に大きな違いがあります。
特に、女性は男性よりもエストロゲン(女性ホルモン)の分泌量が高いことが知られています。
このホルモンは、身体が運動にどのように反応するかに大きな影響を与えます。
エストロゲンは、持久的な運動中に脂肪をエネルギー源として効率的に燃焼させる働きを助け、また血管の健康を保つ役割も持ちます。
これは、血管内のミトコンドリア(細胞内のエネルギー生産装置)の働きを支えることによって実現されています。
さらに女性は、遅筋線維(slow-twitch muscle fibers)をより多く持っています。
これらの筋肉は疲労しにくく、長時間の持続的な活動に向いています。
つまり、エネルギー効率が高く、長く動くことに適した構造を持っているのです。
こうした生理的特性が、同じ運動量でも男女で効果の出方が異なる理由の一つだと考えられます。
したがって、「女性が少ない運動量で大きな健康効果を得られる」という今回の結果は、驚くべきというよりも生理的に自然な現象とも言えます。
「どのくらい動いたか」を正確に測定

今回の研究では、従来のように「どのくらい運動したか」を自己申告で回答させる方法ではなく、加速度計を用いて客観的に活動量を測定した点が大きな特徴です。
このため、得られたデータの精度が高く、信頼性のある結果といえます。
また、研究では男女ともに「活動量が増えるほど冠動脈疾患のリスクが下がる」という段階的な関係(dose-response relationship)も確認されました。
つまり、どんな人でも「もっと動く」ことで恩恵を受けられることが示されたのです。
男女差があるのは、「同じリスク低下を得るために必要な運動時間」が異なるという点にすぎません。
研究の限界と注意点
この研究にはいくつかの制約もあります。
まず、活動量はたった1週間のみ測定され、その後の約8年間の健康データと関連づけられました。
したがって、長期間の運動習慣の変化や生活環境の影響までは正確に反映されていない可能性があります。
また、これは観察研究(observational study)であるため、因果関係を厳密に証明するものではありません。
たとえば、女性の閉経状態(エストロゲンの分泌が大幅に減少する時期)や、ホルモン補充療法(HRT)を受けているかどうかなどの要因は十分に考慮されていません。
これらの条件は、運動への反応や心疾患リスクに影響する可能性が高いと考えられています。
さらに、被験者はUKバイオバンク(UK Biobank)のボランティアであり、一般人口よりも健康的で経済的にも恵まれた層が多いという傾向があります。
したがって、この結果をそのまま一般の人々に当てはめるには注意が必要です。
運動ガイドラインの見直しが必要?
現在、世界保健機関(WHO)、アメリカ心臓協会(AHA)、および英国国民保健サービス(NHS)が示す運動ガイドラインは性別による区別がありません。
しかし、この新しい研究は、そうした「男女共通の基準」が必ずしも平等な結果をもたらさない可能性を示しています。
これまでの運動に関する研究は、主に男性を対象として行われることが多く、その結果が女性にも当てはまるとみなされてきました。
しかし、加速度計などによる正確なデータが蓄積されるにつれ、同じ運動時間でも男女で得られる健康効果が異なることが明らかになってきています。
男性と女性は、心疾患の症状や発症メカニズム、予後に至るまで異なる傾向を持ちます。
したがって、「同じ量の運動で同じ結果が得られる」とは限らないという認識が重要です。
ガイドラインも、こうした違いを反映した上で、分かりやすく実践しやすい形に見直すことが求められています。
性別に応じた現実的な運動習慣を
今回の発見は、「女性は限られた時間の運動でもより大きな効果を得られる」という、希望を感じさせるニュースでもあります。
とは言え、女性における週150分以上の中強度運動という現行の基準は、依然として有効であり、多くの人がまだ達成できていない現実もあります。
重要なのは、自分の生活リズムの中で少しずつ活動量を増やすことです。
時間をかけて歩く日を増やしたり、休日にアクティブに過ごすなど、現実的な工夫で総運動時間を積み重ねていくことが大切です。
また、どのような運動の種類や強度が男性にとってより効率的なのかについては、今後の研究課題として残されています。
運動はすべての人に有益

今回の研究は、男女間の生理的差が運動効果に影響するという重要な指摘をしていますが、同時に、「誰にとっても運動は健康に良い」という基本原則を改めて裏付けるものでもあります。
心臓リハビリテーションや運動療法のプログラムでは、男女問わず同じ運動目標が設定されることが多いですが、今後は性別や体質に応じて個別化された目標設定が求められるかもしれません。
ただし、現時点での最も重要なアドバイスは変わりません。
「もっと動き、座る時間を減らすこと」です。
可能であれば、週150分の運動を目標にし、それ以上の活動ができるならなお良いでしょう。
まとめ
・男性は女性の約2倍の運動量を行うことで、同程度の心疾患リスク低下効果が得られることが判明した
・エストロゲンや筋肉組成の違いなど、生物学的要因が運動効果の差に影響していると考えられている
・ガイドラインは性別に応じた調整が必要かもしれないという重要な示唆を与えている



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