ソーシャルメディアやライフスタイル雑誌の影響によって、グルテン(小麦、ライ麦、大麦などに含まれるたんぱく質)は、いつの間にか「避けるべき食品成分」として悪者のように扱われるようになりました。
テニスで日本一になったジョコビッチ選手をはじめ、2015年ごろの北米の調査では、トップアスリートのおよそ41%が食事の半分以上をグルテンフリーにしていることも明らかになっています。

個人的には、ジョコビッチばかり取り上げられるのはあまり参考にならないかと思いますが、彼がグルテンを抜いて世界一位になったという話しはインパクトがあります。
しかし、この考え方に異を唱える研究結果が発表されました。
科学誌The Lancetに掲載されたレビュー研究によると、グルテンが体調不良の主な原因であると考える人の多くは、実際にはグルテンそのものに反応していない可能性が高いというのです。
この研究は、オーストラリアのメルボルン大学のJessica Biesiekierski准教授らの研究チームによって行われました。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Your ‘Gluten Sensitivity’ May Be a Completely Different Problem, Study Says(2025/10/24)
参考研究)
・Non-coeliac gluten sensitivity(2025/10/22)
セリアック病ではないのに症状が出る人々

まず、よく知られている「セリアック病(coeliac disease)」とは、グルテンを摂取した際に免疫系が誤って自らの小腸を攻撃してしまう自己免疫疾患のことです。
これにより腸粘膜が炎症を起こし、栄養吸収が阻害されます。
しかし、グルテンを含む食品を食べると腹部の膨満感や痛みなどの症状が出るにもかかわらず、検査でセリアック病も小麦アレルギーも否定される人々が存在します。
このようなケースは「非セリアック性グルテン過敏症(non-coeliac gluten sensitivity)」と呼ばれています。
Biesiekierski准教授らの研究チームは、「本当にグルテンが原因なのか、それとも他の要因が関係しているのか」を明らかにすることを目的として、このテーマに関する過去数十年分の研究を包括的に再分析しました。
分析した内容と得られた知見
研究チームは、58件以上の臨床研究を統合し、症状の変化とその発生メカニズムを検証しました。
調査項目には、免疫反応、腸のバリア機能、腸内細菌叢(マイクロバイオーム)、心理的要因などが含まれました。
その結果、グルテン自体に特異的な反応は非常にまれであり、たとえ反応があったとしても症状の変化はごくわずかだったことが明らかになりました。
さらに、「自分はグルテンに敏感だ」と信じていた被験者の多くが、グルテンを含まない偽食品(プラセボ)に対しても同様、もしくはそれ以上の反応を示したのです。
真の原因はグルテンではなく「FODMAP」?

ある注目すべき臨床試験では、グルテンに敏感だと訴える人々において、「FODMAP(発酵性オリゴ糖・二糖類・単糖類およびポリオール)」と呼ばれる発酵性炭水化物の影響が調べられました。
研究では、被験者が低FODMAP食(特定の果物や野菜、豆類、穀類などを避ける食事)を実践すると、グルテンを再摂取しても症状が改善したのです。
さらに別の研究では、小麦やタマネギ、ニンニクなどに含まれるフルクタン(fructans)というFODMAP成分が、グルテンよりも強く膨満感や不快感を引き起こすことが示されました。
つまり、多くの人が「グルテン不耐」と感じている実際の原因は、グルテンではなくFODMAPや他の小麦タンパク質である可能性が高いということです。
また、脳と腸の相互作用の異常(腸–脳軸の障害)が症状の背景にある可能性も指摘されています。
これは過敏性腸症候群(IBS)に似たメカニズムで、腸内の通常の刺激を痛みや不快感として強く感じてしまうものです。
「予期」そのものが症状を作り出す
この研究で最も興味深い発見の一つは、「症状が出る」と予期するだけで本当に症状が出るという現象でした。
盲検試験(被験者がどちらを摂取しているか知らない状態)では、グルテンを摂取した群とプラセボを摂取した群で、症状の差がほとんど見られなかったのです。
これはいわゆる「ノセボ効果(nocebo effect)」と呼ばれるもので、「プラセボ効果(偽薬で症状が良くなる現象)」の逆の現象です。
つまり、「グルテンを食べたら具合が悪くなる」と思い込むことで、脳が腸からの信号を「危険」と誤認し、実際に痛みや不快感を引き起こしてしまうのです。
脳の画像研究でも、期待や不安が痛みや脅威の知覚に関わる脳領域を活性化させることが確認されています。
したがって、グルテン摂取に対する不安や過去の否定的経験が、腸–脳軸を通して身体的な症状として現れるという、実際の生理的反応が起こっているのです。
研究者らは、これが「想像上の症状」ではないことを強調しています。
脳が「この食べ物は自分に害を与える」と予測することで、腸の感覚経路が過敏化し、通常なら無害な腸の刺激を痛みや違和感として知覚してしまうのです。
グルテンフリーで体調が良くなる理由

それでもなお、グルテンを抜いたことで「体調が良くなった」と感じる人が多いのはなぜでしょうか。
その理由の一部は、食事全体の改善にあると考えられます。グルテンフリーの食事に切り替えると、自然と高FODMAP食品や超加工食品を減らし、果物や野菜、豆類、ナッツなどの栄養価の高い食品を多く摂るようになる傾向があるのです。
さらに、「自分で健康をコントロールしている」という心理的満足感も、症状の改善に寄与している可能性があります。
不必要なグルテン制限の代償
しかし、セリアック病を持つ約1%の人々を除けば、グルテンを一生避ける必要はほとんどないと研究者らは述べています。
過剰なグルテンフリー生活には、いくつかのリスクがあります。
グルテンフリー食品は、一般的な食品より平均で約139%も高価であり、さらに食物繊維や必須栄養素が不足しがちです。
また、長期間グルテンを避けることで腸内細菌の多様性が低下し、食事に対する不安を強化するおそれもあります。
適切な診断と対応
セリアック病や小麦アレルギーとは異なり、非セリアック性グルテン過敏症には明確なバイオマーカー(血液検査や組織マーカー)が存在しません。
そのため、診断には他の疾患を除外したうえで、段階的な食事試験を行う必要があります。
研究チームは以下の手順を推奨しています。
• まず、セリアック病と小麦アレルギーを除外する
• 次に、全体的な食生活の質を見直す
• 症状が続く場合は低FODMAP食を試す
• それでも改善しない場合のみ、管理栄養士の監督下で4〜6週間のグルテン除去試験を行い、その後グルテンを再導入して症状を再評価する
このように、制限を短期間かつ目的に沿って行うことで、不要な長期的除去や誤った自己診断を防ぐことができます。
また、グルテンが症状の原因でない場合には、心理的サポートを併用した治療(認知行動療法や曝露療法など)が有効であるとされています。
これは、「期待」「ストレス」「感情」が身体症状を強めるという点を踏まえた総合的なアプローチであり、単純な「グルテン=悪」という誤解から脱却する道を示しています。
まとめ
・多くの人が「グルテン不耐」と感じている症状の真の原因は、グルテンではなくFODMAPや脳–腸の相互作用にある可能性が高い
・グルテンを避けることで一時的に体調が改善するのは、食生活の質向上や心理的要因が関係していることが多い
・不必要なグルテン制限は、栄養バランスの低下や腸内環境の悪化を招くおそれがあるため、科学的根拠に基づいた対応が重要


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