フェンタニルの10倍の強さを持つ「ニタゼン」:新たな合成オピオイド危機の到来

科学
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近年、アメリカを中心にフェンタニルによる健康危機が深刻化し、社会的にも大きな問題となっています。

 

しかし、状況はさらに悪化する可能性があります。

 

なぜなら、フェンタニルよりもはるかに強力で致死性の高い新たな合成オピオイド「ニタゼン(Nitazenes)」が出現しているからです

  

ニタゼンは決して新しい薬物ではなく、その存在自体は1970年代にすでに知られていました。

 

当時、化学者Alexander Shulginがベンゾイミダゾール系化合物の乱用の可能性を指摘していたのです。

 

そして半世紀を経た現在、彼の予見は現実となり、ニタゼンは新たな精神作用物質の中でも最も危険な一群として広がりつつあります。

 

イギリス政府よれば、2023年6月から2025年1月の間に少なくとも400件のニタゼン関連死が記録されている報告されています。

 

今回のテーマは、そんな今後新しく現れるであろう違法薬物についてです。

 

 

参考記事)

10 times stronger than fentanyl, nitazenes are the latest, deadly development in the synthetic opioid crisis(2025/09/24)

 

参考研究)

Naloxone Dosing and Hospitalization for Nitazene Overdose: A Scoping Review(2025/02/04)

 

 

ニタゼンの歴史と薬理的背景 

 

ニタゼンの歴史は、1950年代から1960年代にまでさかのぼります。

 

当時、製薬会社シバ・ガイギー(Ciba-Geigy) が新たな合成オピオイド鎮痛薬の候補として開発を進めていました。

 

この頃、鎮痛薬としてよく用いられていたものにモルヒネがありました。

 

しかし、ニタゼンはモルヒネの化学構造から大きく逸脱しながらも、優れた鎮痛効果をもつ分子群として注目されました。

  

1960年にPaul Janssenによる動物実験では、モルヒネを上回る鎮痛効果を示すことが明らかになっていましたが、その強力さゆえに安全域が極めて狭く、臨床応用されることはありませんでした。

 

つまり、その有効性は認められながらも、人間に投与するには危険すぎる薬物と判断されたのです。(その後にモルヒネに変わる鎮痛効果をもつ鎮痛剤としてフェンタニルが開発される。)

 

しかし、2019年以降の規制の変化がニタゼンの復活を促しました。

 

中国およびアメリカにおいて麻薬取締と乱用の観点からフェンタニルとその類似化合物が厳格に規制されると、その代替として「イソトニタゼン(Isotonitazene)」が違法市場に登場し、続いて「メトニタゼン(Methonitazene)」「エトデスニタゼン(Etodesnitazene)」など多数の誘導体が流通し始めたのです。

 

  

驚異的な強さ:フェンタニルを超える効力 

プピルニタゼンの構造式

 

薬理学的研究の結果、多くのニタゼン類はフェンタニルやモルヒネと同じμオピオイド受容体に結合し、活性化する能力を持つことがわかっています。

 

しかし、その効力は驚異的であり、フェンタニルの60倍(モルヒネの100倍)の効果を発揮するケースさえあります。 

 

このような高い効力は、極めて微量(ナノグラム単位)であっても致死量に達しうることを意味し、公衆衛生上の重大な脅威となります。

  

2024年の時点で、ニタゼンはすでにアジア・ヨーロッパ・北米・南米・オセアニアといった世界各地で確認されており、とりわけヨーロッパが最も大きな影響を受けています。

 

フェンタニルがメキシコやアメリカを経由してヨーロッパに流入したのとは異なり、ニタゼンはアジアから直接ヨーロッパへ流入していることが特徴です。

 

流通経路が多様であるため、今後ヨーロッパでの流通量はさらに増加することが予想されています。

  

また、ニタゼンの危険性は単なる乱用にとどまりません。

  

既存の医薬品や違法薬物に偽装されて使用者に渡されるケースがあるのです。

  

2025年1月には、イギリスで22歳の若者が「Xanax(アルプラゾラム)」を摂取して死亡する事件が発生、その3か月後には「Percocet(オキシコドン)」を服用し死亡するという事件も発生しました。

 

しかし、これらの薬物はアルプラゾラムでも、オキシコドンでもなく「ニタゼン」でした。

 

 

過剰摂取とその困難 

ニタゼンによる過剰摂取は、既存の治療手段であるナロキソン(Narcan)での逆転が困難な場合があります。

 

ナロキソンはヘロイン、モルヒネ、フェンタニルに対して効果を持ちますが、ニタゼンには十分に効かない可能性があると報告されています。

 

一部の研究によれば、ニタゼンはμ受容体からの解離が非常に遅いため、過剰摂取を逆転させるには通常よりもはるかに高用量のナロキソン投与が必要になる可能性が指摘されています。

 

また、ニタゼンは法医学的観点から以下のような厄介な点が存在します。

・従来のモルヒネ、ヘロイン、フェンタニルの検査では検出されない

・極めて低濃度で使用されるため、高感度の分析法でなければ検出が難しい

・構造が類似した新規誘導体が次々に登場するため、同定が困難

 

これらの理由から、分析手法は絶えず更新が必要です。

 

規制面でも問題は深刻です。2025年3月の時点で、世界的に規制下に置かれたニタゼンはわずか10種類にすぎません。

 

中国では2024年7月に複数のニタゼン誘導体を規制物質に追加しましたが、特定物質を個別に規制すると、新たな非規制誘導体が次々に登場するいたちごっことなっています。

 

そこで注目されるのが包括的規制です。

 

化学構造の類似性を根拠に広範な物質群を一括規制する方法ですが、その一方でまったく新しい構造の薬物が登場するリスクも否定できません。

 

 

社会的対応の必要性

ニタゼンの出現は、過去の薬理学的革新が現代において公衆衛生の脅威へと転化する典型例です。

 

さらに、2022年にタリバンがアフガニスタンでケシ栽培を禁止したことにより、欧州市場では天然由来のオピオイドから合成オピオイドへ急速に移行が進んでいます。

  

この問題に単一の解決策は存在せず、化学者・薬理学者・法医学者・公衆衛生の専門家・立法機関・地域社会の連携が不可欠です。

 

社会がこの新たな脅威に迅速に適応できなければ、ニタゼンはフェンタニル同様に制御不能な健康被害を引き起こすことになるでしょう。

 

 

まとめ

・ニタゼンはフェンタニルを上回る強力な合成オピオイドであり、極めて微量でも致命的

・既存の検査では検出が難しく、ナロキソンの効果も限定的であるため、過剰摂取への対応が困難

・規制の遅れと「いたちごっこ」の状況から、包括的規制と国際的協力が不可欠である

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