どのような職業に就いているかによって、自殺のリスクには大きな違いがあります。
日本では管理職やサービス業、や運送業などが他の職業と比べて自殺率が高く、欧米では、林業従事者、アーティスト、石油・ガス業界の労働者などが、他の職業と比べて自殺率が高いことで知られています。(Suicide Rates by Industry and Occupation — National Vital Statistics System, United States, 2021 より)
しかしその一方で、自殺率が非常に低い職業群も存在します。
その代表格とされるのが「教育職」です。
アメリカ合衆国の国および州の統計データ(本研究“表2”より)によれば、教師、大学教授、司書などの教育関連職は、自殺に至る可能性が最も低い職業の一つであることが明らかになっており、日本も同様に教育職及び農林漁業の自殺者数が低い傾向にあります。

本記事では、アリゾナ州立大学で研究を行うJordan Batchelor氏とCharles Max Katz氏の報告をもとに、教育職がなぜ自殺率が低いのか、そして他の職業にも応用可能かどうかについてまとめます。
参考記事)
・Some Professions Have Much Lower Rates of Suicide. What Can We Learn From Them?(2025/05/07)
参考研究)
・Suicide Rates by Industry and Occupation — National Vital Statistics System, United States, 2021(2023/12/15)
職業が自殺率に与える影響とは?

アメリカ合衆国では過去25年間にわたって、自殺率が著しく上昇してきました。
疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention)のデータによれば、2022年の年齢調整後の自殺率は10万人あたり14.2人であり、これはおよそ20年前の10.9人と比べて大幅な増加です。
ただし、この傾向は一律ではなく、退役軍人や高齢者、男性、先住民族(アメリカン・インディアンおよびアラスカ先住民)など、特定の人口層では顕著に高い自殺率が見られます。
さらに、CDCPのデータでは、働き盛りの年齢層においても自殺率は上昇傾向にあることが示され、過去20年間で自殺率は33%も増加し、2021年には男性で10万人あたり32人、女性では8人という水準に達しています。
中でも特定の職業では、他と比べて明らかに高いリスクが存在しています。
たとえば建設業や採掘業では、心理的支援を求めることに対する偏見が強く存在しており、それが助けを求めることの障壁となっていると指摘されています。
また、警察官などの法執行機関の職員は日常的にトラウマ体験にさらされており、これが精神的健康に深刻な影響を与えることもあります。
これらのことから、職業による自殺リスクの違いには、職場環境、心理的ストレス、報酬と努力のバランス、仕事に対する裁量権の有無など、さまざまな要素が関係していることが読み取れます。
教育職の自殺率が低い理由

一方、教育職に従事する人は、他の職種に比べて自殺率が低い傾向にあります。
アメリカでは、「教育指導および図書関連職(educational instruction and library)」として分類される教育職に従事する男性の2021年における自殺率は、10万人あたり11人でした。(女性はその半分ほどの水準)
これに対し、芸術・デザイン・娯楽・スポーツ・メディア業界の男性労働者では、10万人当たり44.5人、建設・採掘業の男性労働者では65.6人と、教育職と比べて非常に高い数値が示されています。
アリゾナ州のデータも全国傾向と一致しています。
2016年から2023年にかけて、アリゾナ州で自殺した教育職は117人で、主に小中高の教員でした。(Occupation and suicideより)
この数値を換算すると、10万人あたり7.3人という非常に低い水準であり、州内すべての職業の平均的な自殺率の3分の1、つまり最も低い職業群となっています。
では、なぜ教育職ではこれほど自殺率が低いのでしょうか。
それは、いくつかの要因が関係していると考えられています。
教育職が持つ自殺の保護要因
まず第一に挙げられるのが、教育職の人口構成です。
教育職には女性や既婚者の割合が高い傾向があり、これらはもともと自殺リスクが低い属性とされています。
また、高学歴であることも重要な要因です。
高い教育水準は、社会経済的地位の上昇や雇用の安定性をもたらし、結果として心理的な安定につながります。
次に注目されるのが、職場環境における「致死的手段」へのアクセスのしやすさです。
たとえば、銃器や薬物へのアクセスが容易な職場では自殺率が高くなる傾向が見られますが、学校やキャンパスではこれらの手段に触れる機会が少ないため、安全性が相対的に高くなると考えられます。
さらに、教育職には職場内での人間関係構築が容易という特性があります。
生徒、同僚、管理職との密接な関係性は、社会的なつながりの強化につながり、心理的な支えとして機能します。
加えて、アリゾナ州のデータでは、自殺に至った教育職の中で薬物やアルコールの依存症が確認された割合が他職業よりも低いことが分かっています。
こうした依存症は、自殺念慮を強めたり、仕事上のストレスに対する脆弱性を高めたりするため、それが少ない教育職は比較的健康的な生活様式を維持している可能性があるのです。
他の職業への応用可能性と今後の展望

では、教育職以外の職業においても、同様の保護要因を活用できるのでしょうか?
本研究では以下のような点に注目すべきであると述べられています。
まずは、職業的ストレスへの対処スキルの習得です。
どんな職業にもストレスはつきものであり、それが身体的・精神的な健康を損なう原因となります。
しかし、ストレスの根源を見極め、ポジティブな思考や目標設定といった対処法を用いることで、その影響を軽減することが可能です。
次に重要なのが、職場での良質な人間関係の構築です。
社会的なつながりは、喫煙をやめることと同等かそれ以上に健康に良い影響をもたらすとされています。
さらに、職場文化の改善も大きな要素です。
仕事に対して意味や目的を見出すこと、努力を認め合う文化を育てること、従業員の強みを活かす制度設計を行うこと、そして「有毒な職場環境を作らないこと」が求められます。
教育職が比較的良好な職場環境にあることが、こうした自殺リスクの低さを支えている可能性が高いのです。
とはいえ、どの職業においても油断は禁物です。
たとえ自殺率が全体的に低い教育職であっても、一人ひとりの状況や背景によってリスクは変動します。
したがって、引き続き細分化された研究と、職種ごとの予防策の開発が求められています。
まとめ
・教育職は他の職業に比べて自殺率が著しく低く、社会的つながりや職場環境がその理由として考えられる
・仕事の意味づけや職場文化の改善、人間関係の強化が、他の職種におけるメンタルヘルス対策にも応用可能
・今後は教育職内のグループ差異にも注目しつつ、すべての労働者の心の健康を守るための包括的な対策が求められる
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