哲学

【韓非子⑦】組織のトップと雇われの身では利害が違う

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【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

     

人も書も法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

      

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

   

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

    

今回のテーマは“臣主の利は相共に異なる者なり”です。

 

  

 

臣主の利は相共に異なる者なり

【本文】

(且つ)人臣に大罪有り、人主に大失有り。

 

臣主の利は相(あい)与(とも)に異なる者なり、何を以て之を明らかにするか。

 

曰わく、主の利は能有るものにして官に任ずるに在り、臣の利は能無くして事(つとめ)を得るに在り、臣の利は労有りて爵禄せらるるに在り、臣の利は功無くして富貴なるに在り。

 

主の利は豪傑の能を使うに在り、臣の利は朋党(ほうとう)の私を用うるにあり。

 

是を以て国地削られて、私家富み、主上卑しくして大臣重し。

 

故に主勢いを失って臣国を得、主改めて蕃臣を称し、而して相室符を剖(さ)く。

 

此れ人臣の主を譎き私に便する所以なり。

 

故に当世の重臣にして、主、勢を変ずるも固寵を得る者は、十に二、三無し。

  

是れ其の故何ぞや、人臣の罪大なればなり。

  

臣に大罪有る者、其の行い主を欺き、其の罪死亡に当たるなり・

  

智士は遠見にして、死亡を畏る、必ず重人に従わざらん。

  

賢士は修廉にして、姦臣と其の主を欺くことを羞じ、必ず重臣に従わざらん。

  

是れ当塗者の徒属、愚にして患いを知らざる者に非ずば、必ず汚にして姦を避けざる者なり。

  

大臣は愚汚の人を挟(わきばさ)み、上は之と主を欺き、下は之と利を収めて侵漁し、朋党比周し、相与(あいとも)に口を一つにして主を惑わし、法を破りて以って士民を乱し、国家をして危削し、主上をして労辱せしむ、此れ大罪なり。

  

臣に大罪有って主禁ぜず、此れ大失なり。

  

其の主をして上に大失有り、臣をして下に大罪有らしめ、国の亡びざる者を索むるも、得(う)可(べ)からざるなり。

 

【解釈】

かつ、臣は大罪を起こしやすく、君主は大過失をなしやすい。

 

そもそも、臣の利と君主の利とはお互いに一致しない。

 

どうしてかと言うと、君主の利は、能力のあるものが相応の職につき働くことにある。

 

臣の利は能力が足らずとも良い職を得ることにある。

 

君主の利は、功労のある者が相応の爵禄を受けることにあり、臣の利は能力が足らずとも良い職を得ることにある。

 

君主の利は、優秀な人材が働いてくれることにあり、臣の利は、みんなでぐるになって自分たちの便を計ることにある。

 

こうしたわけだから、たとえ国家の土地が外国に削られても、大人の家は富み、君主は下落しても、大臣の力は強くなる。

 

旧主は落ちぶれて臣であった者が国を奪い、旧主は改めてどこかの外国に養ってもらい、臣下の分に甘んじ、そして今までの大臣が人を賞罰・任免する身となる。

 

もし、君主が打って変わって勢力を盛り返した場合でも、元通りになるのは十人に二、三人もいないだろう。

 

その理由は、それほど重臣が普段犯している罪が大きいからである。

  

また臣下が大罪を為しやすいというのは、臣下が君主を欺く行為が多いということにもなり、これは死刑に当たる大罪である。

 

そうならば、元から先の事をよく見通せる賢人や知士は、下手をしたら罪になるようなことはしないだろうから、重役にもつかない。

 

そうなると、国の重役や取り巻きは、自分がこの先どういう酷い目に遭うのかを予見できない愚か者か、利益の為に何でもやる人々ばかりになる。

 

悪人の仲間どうし法規を破り、臣民の生活をかき回し、遂には国家が亡びかかったり、土地を取られたり、君主が辱めを受けることになる。

 

これは実に大罪である。

 

また、臣の大罪を放っておくのは君主の過失である。

 

君主は上で過失をし、臣は下で大罪を犯している。

 

これで亡びない国は、いくら探しても見つからないだろう。

 

 

組織のトップと雇われの身では利害が違う

トップは如何に能力のある人材を選ぶか、選ばれる側は如何に自分の能力を大きく見せるか……。

 

このせめぎ合いは、就職活動やアルバイト、昇進の審査……などなど現代でもいたるところで見ることができるよう感じます。

 

その人の実力を計るために一度会社に来て働いてもらうなんて悠長なことは、雇う側にも雇われる側にもありません。

 

そのために履歴書や面接などのシステムが使われているわけですが、それだけでその人が組織に適した人物なのか分かるかと言ったら“NO”でしょう。

 

しかし、上の節に出てきたような、“会社に害をもたらす人材かどうか”を見極めることができるかもしれません。

 

直接会って話すことで、体型、身なり、清潔感、知識、教養など、履歴書からは見ることができない一面を感じることができるでしょう。

 

専門職ではないですが、自分も人を雇う立場の仕事も持っているのでそう言った面はかなり気にしていたりします。

 

ちなみに雇う側の基準として……筋トレやスポーツ、節制を続けている人はかなり評価が高いです。(あとは植物を育てられる人)

 

どれもすぐには結果の出ることではなく、結果がでるまである程度のストレスもあります。

 

目の前の快楽に溺れない人は信用ポイントが高いです。

 

中には、時給制の仕事の場合において如何にサボって給料を貰うかを考える人もいますしね。

 

雇う側と雇われる側での利益を同じ方向に向けるのは中々大変なことだと思います。

 

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