哲学

【韓非子⑥の2】君主との癒着した側近による社会

哲学

【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

     

人も書も法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

      

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

   

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

    

今回のテーマは“万乗の患は、大臣太だ重し”です。

 

   

 

万乗の患は、大臣太だ重し

【本文】

人臣の官僚を得んと欲する者、其の修士は清潔を以て身を固め、其の智士は知弁を以て業を進む。

 

 

其の修智の士は、貨賂(かろ※利益を得る目的で他人に渡す金銭や宝石など)を以て人に事(つか)うるに能(あた)わず、其の清潔を恃(たの)み、而し(しこう)して更に法を枉(ま)ぐるをもって治を為すことに能わず。

 

 

則ち修智の士は、左右に事えず、請謁(せいえつ)を聴かず。

 

 

人主の左右は行い伯夷(はくい)に非ざるなり。

 

 

求索得ず、貨賂至らずは、則ち精弁の功息み毀誣(きふ)の言起こる。

 

 

智弁の功、近習に制せられ、清潔の行、毀誣に決せらるるときは、則ち修智の吏廃せられ、而して人主の明塞がる。

 

 

功伐(こうばつ)を以て智行を決せず、参伍を以て財過を審(つまび)らかにせず、而して左右近習に言に聴かば、則ち無能の士廷に在り、而して愚汚の吏官に処(お)らん。

 

 

万乗の患は、大臣太だ重きこと、千乗の患は、左右太だしく信ぜらるること、此れ人主の公患とする所なり。

 

【解釈】

君主に仕えるにで一層高い官職を得ようと望むものは、それが修士であるならば、清廉潔白で身を固め、まだ知士(知識計謀に自信のあるもの)であるならば、物事の正しい処理で職務の成績を進めようとする。

 

このように修士や知士は、賄賂などで人に取り入れることができず、身の潔白を誇り、なおさらのこと法規に則らずに処理することなどできない。

 

つまり、彼らは君主の側近の人たちの機嫌をとることもせず、また職務を利用して、人の便宜を図ってやることもしない。 

 

何か頼んでもだめ、賄賂も来ぬとなれば、修士の清廉も知士の事務能力も、その功が認められず、しかも悪口が出てくる。

 

このように、物事をうまく処理する功は側近の者に抑えられて認められず、清廉潔白の行動は悪口に葬られるのは、修士・知士たる官人は埋もれ果て、君主の目と耳は塞がれ開くことがないだろ。

 

君主が、実際の成績によって臣下の知能や素行を評価せず、証拠をよく確かめて臣下の罪や過失を裁くのでなくて、ただ左右近侍の人の言うことを信じているならば、ついには無能の臣下ばかり朝廷におり、愚かで不正の事ばかりが政府に起こるだろう。

 

万乗の大国にしても千乗の小国にしても、国の病害とすべきは大臣が権力を持ちすぎる、君主の側近の者が信任されすぎることであり、この二つは国君の誰しもがかかりやすい病害である。

 

 

君主との癒着した側近による社会構造への批判

今回は、君主と癒着の強い大臣や側近たちによって政治が行われた際の社会構造についての指摘がまとめられています。

 

韓非は、正しく社会を導くことを考える修士や智士が正当な評価をされず、大臣らの利得の基準で評価されてしまうことを嘆いていたようです。

 

そんな大臣と癒着が強い君主も、資料を調べ証拠によって臣下の罪を裁くのではなく側近の言うことばかり信じるようになり、無能な士が増えたり不正がまかり通るようになると言っています。

 

そして賢者は意見が聞き入れられずしかも罰を受けるなら、助言もしないし国が滅ぶのを俯瞰して見ることになる……。

 

時には利害も必要ですが、国として存続するには正しい意見を聞き入れ、腐敗を許さない社会構造が必要だということが分かります。

 

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