の続き…。
前回の記事ではキルケゴールの思想に入る前に、彼の生い立ちから見ていきました。
厳しい教育を受けて育つ中、あるとき父が犯した罪の告白で荒み、再び自分を取り戻すも最後は孤独に生きた人生を歩んだキルケゴール。
今回からはそんな彼の哲学観について触れていこうと思います。
実存主義
実存主義は、19世紀ヨーロッパで誕生した“自分はどうあるべきなのか”について答えを求めた思想です。
キルケゴールやニーチェによって思想が生まれていったとされています。
それまでのカントやヘーゲルに代表されるような哲学観は、“世の中の真理とは何なのか”について考えていました。
全ての人間に当てはまる本質は何なのかという彼らの考えとは別に、一人の人間が今ここに生きている(=実存している)という考えが根幹になっています。
なぜこのような思想が生まれたのか…。
それは産業革命以降、働き方や生活の変化によって個性が失われてしまったという時代背景があります。
その人らしさの消失
18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命。
機械が人間の何倍もの仕事をし、機械を動かすために人間が働く時代でもありました。
また新聞の普及によって最新の情報が人々に行き渡るようになった反面、得られる情報は皆同じものばかりでした。
多くの人々は同じように働き、同じような情報を得て、同じように生活をしていました。(少なくともキルケゴールにはそう見えていました。)
誰かがいなくなったとしても代わりの誰かがいる。
まさに個性の消失でした。
キルケゴールはこのような機械のように生きる人達や過去の自分を照らし合わせ、実存主義を発展させていったのです。
ヘーゲルらが語るいつか辿り着く真理ではなく、今現実に存在している自分たちの真理を見つけるために…。
死に至る病
皆生きる情熱を失っている。
本来の自分とは何か…。
キルケゴールは“人間は本来、他の誰でもない個性を持っている”と考えました。
代替不可能な自分を放棄して、その他大勢の中の一部として生きることは、“生きる情熱を失っている”と主張したのです。
これらを踏まえて彼はこう言ったのです。
「情熱を失うことは精神の滅びであり、精神の滅びは絶望である。そして絶望は命をかけてでも克服すべき“死に至る病”である。」
…と。
続く…。
この頃になると、エドワード・ジェンナーによるワクチン開発が進み、病気による死が少し遠いものになります。
さらに産業革命によって人類は著しく発展していきました。
その代償として、多くの人が一箇所に詰め込まれ、まるで機械の部品のように生きるようになります。(今の時代でも一部の偏った情報に踊らされる…、同じ生活の繰り返しで何のために生きているのか分からない…なんて人も周りにいるかもしれませんね。)
そんな雰囲気の世の中キルケゴールは人間の個性に着目し、情熱を持って生きることについて考えたのです。
ではどうすれば個性に溢れ、他の誰でもない自分を取り戻すことができるのか…。
彼はこのことについても考えていました。
次回の記事にてお伝えしていきます。
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