経験論の大成
フランシス・ベーコンによって知られるようになった経験論という考え方。
ベーコンの死後、ジョン・ロックによって構築され、ジョン・ロックの死後デイヴィッド・ヒュームによって大成されたと考えられます。
今回はそんな経験論の立役者である、ヒュームについて触れていきます。
印象と観念
ジョン・ロックが語った、
「人間が生まれたとき、心はタブラ・ラサ(白紙)である。」
という思想を基に、ヒュームは経験論をより深く考えました。
人間には視覚、聴覚などの感覚器官によって世界の物事を感じたり、見分けたりしながら学習をします。
ヒュームはこの知覚を“印象”と“観念”の二つに分けて考えました。
【印象(impression)】
物事ははじめ、印象しかありません。
・美味しそうだな
・いい香りだな
・綺麗な人だな
・楽しいな
……
など見た目の形や匂いなど、物や事柄から得られるあらゆる情報のこと。
まっさらな状態からこの印象を積み重ねることで、観念が生まれてきます。
【観念(idea)】
観念は、印象から得た記憶などからくる意味や本質を表しています。
ものが切れる、危なそう、料理に使えそう、硬くて平たい…(その他あらゆる印象)
という印象から包丁がイメージできるように、印象の集合体が観念となっていきます。
因果関係
・俺は頭が悪いから勉強ができない
・あいつは天才だから勉強ができる
・遊んでばかりいるからバチが当たった
…
人間は経験に基づいて原因と結果を紐づけてしまうことが多いと言われています。
ヒュームはこの因果関係を疑いはじめました。
これはこれまで人間が信じてきた“神が人間を見て、罰を下しているのか”という神学への問題提起でもありました。
Aという印象の後にBという事柄が起こると、その関係を必然だと思ってしまいます。
彼はこのような心理的な習慣を、本人のみが信じる虚偽の観念なのだと考えました。
知覚の束
人間は知覚の束である。
ヒュームはそれまでの自分の考えをまとめ、
「人間は知覚の束である。」
と説明しました。
タブラ・ラサ(白紙)である人間は、外部から沢山の印象を取り入れていきます。
そして多くの観念を取り入れていき、物事に触れれば触れるほど印象も増えていきます。
すると、昨日までの自分と今新しい観念を取り入れた自分は同じ自分なのだろうか?
という疑問が生まれてきます。
人間は常に世の中から多くの印象を受け取り、観念を形成します。
観念は形成され続け、やがて知覚の束となっていきます。
ヒュームは人間が知覚の束であるとしたら、束の途中を切ったときの切り口は本当に自分なのであるのかという問題提起をしたのでした。
まとめ
印象が観念を作り、知覚の束を作っていく…。
知覚の束という考えは、“新陳代謝のサイクルによって古い細胞が新しい細胞に入れ替わった人間が、本当に同一人物と言えるのか”という生物学的な疑問に通じていますね。
ヒュームは、既存の観念に捉われずに人間の存在を考えることで、経験論の哲学を大成させていきました。
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