今回の哲人は哲学界に大きな影響を与えたとされる、イマヌエル・カントです。
この記事では彼についての大まかな概要をまとめていきます。
イマヌエル・カント
イマヌエル・カントは当時プロイセン領だったケーニッヒスベルクに生まれた哲学者です。
彼は終生その土地で暮らし、生まれた町から遠くに出たことはほとんどなかったといいます。
中年期までは特筆評価される成果はほとんどなく、鳴かず飛ばずの平凡な哲学者と認識されていました。
彼が注目を浴びるようになったのは57歳のとき、“純粋理性批判(第一批判)”を著した頃からでした。
純粋理性批判
カント
「世界の全容を知ることはできない。」
この書においてカントは、
「形而上学は、世界がそれ自体どのような姿をしているのかを考えるものではない。」
と主張しました。
続けて、
「私たちが世界をどのように経験しているのかを説明する場合にのみ、科学的になることができる。」
と述べ、世界がそれ自体でどのような姿をしているのかは、絶対に知ることができないと論じています。
実践理性批判
カント
知を放棄しなければならなかった。
第二批判と呼ばれる実践理性批判では、
「全ての人間に適用される、普遍的な道徳法則が存在する。」
と主張しています。
私たちに自由意志が存在したり、死後の世界があることを信じるのは、その道徳法則からくるものであると述べています。
第一批判にて、“世界を知ることはできない”と論じた通り、私たちが自由であることも、世界の全容も、神の存在も、私たちは決して知ることはできないと考えました。
そのためカントは、
「信仰の場所を作るために、“知”を放棄しなければならなかった。」
と考えたのです。
豆知識
カントは非常に規則正しい生活をすることで知られていました。
散歩の時間も決まっていて、人々はカントの散歩の時間を参考に時計の針を合わせていたと言います。
そんな彼が散歩に遅れたのは一度だけ。
ジャン・ジャック・ルソーのエミールを読みふけていたときのみだそうです。
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