宗教教育文学

布教師たちは日本に行っているのか。~エミールより~

宗教
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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。

    

“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。

     

    

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778年)

    

「神は語った!これは確かに素晴らしい文句だ。」

神自ら私に語ったのなら、それは素晴らしいことだ。しかし神は誰に語ったのか。

「人間に語ったのだ。」

  

ではなぜ私には何も聞こえなかったのか。

「神はあなたに伝えることを他の人間に伝えたのだ。」

  

なるほど、私は直接神の言葉を聞きたかった。そうすれば神の手間は省けたし、私は誘惑から守られただろう。

「神はその使いの者の使命を明らかにすることによって、あなたを誘惑からまもっているのだ。」

  

どうやって明らかにするのか。

「奇跡によってだ。」

  

ではその奇跡はどこで見られるのか。

「書物の中に。」

  

ではその書物は誰が書いたのか。

「人間だ。」

 

では誰がその奇跡を見たのか。

「それを証言している人間だ。」

  

なんと言うことだ!どこまでいっても人間の証言ではないか!

  

見る、調べる、比較する、検討する……。

ああ、もし神がこういう面倒なことをまぬがれさせてくれたら、私はもっと嫌々ながら神につかえることになっただろうか…。

   

  

「布教師たちは日本に行っているのか。」

私たちの書物を読みもしない大民族がどれほどあることか。

  

モーセやキリストやマホメットなどの話を一度も聞いたことがない人間が何百人いることだろう。

  

布教師たちはアフリカの奥地へ行っているのか。

  

ダッタン人の国で馬に乗って遊牧民の後を追っているのか。

  

アメリカの広い大陸へは行っているのか。

  

日本へは行っているのか。

  

布教師たちが密かに計略を巡らせたことは、彼らを日本から永久に追放させることになってしまった。

  

彼らは、武力を用いずに国を奪おうとしたずるい策謀家として知られているに過ぎない。

  

ニ千年前の世界の向こうの果ての小さな町で生まれ死んだ神のことを私に知らせ、その神秘を信じなかった者はみんな地獄に落ちるだろう、と言っている。

  

これは誠に奇妙なことだ。

  

なぜ私が知らなければいけなかったことを、そんな遠くで起こさせたのか。

 

なぜ私の父にそれを教えにきてはくれなかったのだろうか。

  

あんなに善良で、情け深く、ひたすら真理を追い求めていた彼は、あなたの怠慢のために永久に罰せられることになるだろうか。

  

 

「我が子よ、聞いてみてもしないで避難するようなことをしてはならない。」

もし正しい宗教が一つあるならば、その一つのみが正しいのだ。

  

それを知るなら一つの宗教を検討するだけでは足りない。

  

全ての宗教を検討しなければならない。

  

そして、どんなことにせよ、聞いてみてもしないで非難することをしてはならない。

  

反対派の意見を知りたいのに、味方の意見を聞いて知った気になっているのは、全く単純な人間と言わねばならない。

  

  


  

今回はルソーが持っていた宗教観が見てとれる文を抜粋しました。

  

神についても疑問に思ったことは徹底的に突き詰めて考えていたことが分かります。

 

エミールに対してもその考え方を伝えるように、一方の意見のみを参考にしてはならないと念を押しています。

 

あと今回記事として取り上げた部分で面白かったのが、日本に行った宣教師たちの話についてです。

  

1549年にフランシスコ・ザビエルが来日してから、1587年の豊臣秀吉による伴天連(バテレン)追放令までの内容をルソーも把握していたようですね。

  

  

そして日本人が自分たちと違う宗教をどのように感じていたのかも。

  

少しルソーが身近に感じる文でした。

 

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