~前回までのあらすじ~
“電話が来る”という情報はテスラの勘違いだった。
実際に電話と対面できるのは5年以上も先になることが判明し、仕方なくその地の電信局で働く。
ある時エジソンの会社に入るチャンスが巡り、見事入社に成功。
しかし、電気的意見の対立からテスラの交流電流は相手にしてもらえなかった。
そこでテスラはエジソンの会社の本部に乗り込み、エジソンに直談判するのである。
VSエジソン
もし成功したら5万ドル支払うよ。ハッハッハ!
テスラがゼネラル・エレクトリック本社へ入社してからしばらく経ったある日、彼は蒸気船の故障をヒントに直流モーターの問題点を発見します。
対応策として交流によるモーターの改良を提案する。
この意見にエジソンはこう言い放ちました。
もし交流式モータへの改良に成功したら、5万ドルのボーナスを支払おう。
決裂
やってられん。
テスラに必要だったのは時間ではなく環境でした。
エジソンの言葉を受け、テスラは本気で研究に取り組むことにしますが、電気技術最先端の環境で研究ができることから、間もなく交流モーターの開発に成功します。
エジソンの試行錯誤を繰り返して研究を進めるタイプの天才とは違い、テスラは直感的な計算と論理を頭の中で組み立て、その通りに実行するタイプの天才でした。
これを報告したテスラは、エジソンからこう言われます。
君にはアメリカ流のユーモアが分からなかったようだね。
(↑の発言をしていないという説もあります。)
まさかテスラが本当に交流モーターの開発に成功するとは思わなかったため、彼との約束を反故にしようとしたのです。
これをきっかけにテスラはエジソンに失望し、1年で会社を去ること決めたのです。
テスラ電機会社設立
自分でやるしかない。
エジソンの会社を去った後、彼は交流電流を取り扱う会社を設立します。
交流に関する技術の特許を取得したり、講演や実演で交流の利便性をアピールしていきました。
そんな中、ついに彼のアイデアが日の目を浴びることになります。
ワシのところに来い!
1888年、米国電気工学者協会(AIEE)の招待で、テスラは交流モーター(発電機)の発表を行います。
この発表を見たウェスティングハウス・エレクトリック社の社長であるジョージ・ウェスティングハウスが、テスラの研究に興味を示したのです。
1887年にテスラは多相交流の特許を取得していましたが、ウェスティングハウス社がこの特許を買い取り、更に研究費やラボまで用意してくれるというのです。
テスラにとっては願ったり叶ったりのことです。
ウェスティングハウス社に入った彼は今まで以上に研究に打ち込み、交流による白熱灯の普及が可能になるまで開発を進めました。
対立の激化
このまま交流電気を見過ごすわけにはいかん!
エジソンの会社が得意としていた直流による照明システムでは、遠くの場所まで送電する際のエネルギーロスが大きいことが問題でした。
対してテスラが開発した交流による照明システムは、遠くに送電する際であっても、各所に設置された変圧器によって必要な電圧を確保できるという利点がありました。
今まで直流による白熱灯のシェアを伸ばしていたエジソン社(ゼネラル社)が、他社の交流による照明システムの普及拡大を良しとするはずがありません。
後に電流戦争と呼ばれるほど、対立は激化していくのです。
…続く。
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