ラムセス2世を取り巻く環境
新王国時代である第19エジプト王朝は、ラムセス2世の頃に最盛期を迎えました。
トトメス3世らが作り上げた第18王朝と比べると領土は半分程度となっていましたが、国外では強国であるヒッタイトと渡り合いエジプト王朝の威厳を保ち続けていました。
今回はそのラムセス2世時代に残された記録をもとに、彼を取り巻く事柄を見ていきたいと思います。
カデシュの戦い
紀元前1286年頃、ラムセス2世率いるエジプト軍はムワタリ2世ヒッタイト軍と本格的なぶつかり合いになりました。(カデシュの戦い)
史上初の軍事記録が残された戦争であり、二国の大規模な戦車戦が行われました。
近代戦争のように馬に乗る技術や馬具が発達していない頃、馬で引く戦車が当時最新の兵器でした。
エジプト軍は最高神アメン=ラー師団、太陽神ラー師団、創造神プタハ師団、戦闘神セト師団と神話の神になぞらえた部隊を編成し、ラムセス2世はアメン師団総大将として戦うことになります。
以下、記録から分かっているガデシュの戦いです。
エピソード1「捕虜の罠」
カデシュに進行中のエジプト軍斥候はヒッタイトの捕虜を捕まえます。
捕虜から「ヒッタイト本隊は未だカデシュから程遠い場所にいる」との情報を聞き出すことに成功。
これを良しと考えたラムセス2世はアメン師団と親衛隊を率いて、猛スピードでカデシュへ向かい、近郊で陣を構え野営をすることにしました。
しかしこれこそヒッタイトの罠でした。
ヒッタイト軍は既にカデシュ周辺で陣を張り、万全の状態でエジプト軍を迎え撃つ準備を整えていたのです。
エピソード2「ヒッタイト軍の戦車部隊」
新たに放った斥候によってこの罠に気づいたラムセス2世は、ラー師団に早馬を送りカデシュへの進行を早めるよう要請します。
ラー師団は応えるように隊を走らせましたが、待っていたかのようにヒッタイト軍の戦車部隊が師団の横っ腹に突撃してきます。
ラー師団は為す術なく潰走。
続けてヒッタイト軍は、ラムセス2世のいるアメン師団に向かって突撃を開始しました。
エピソード3「ラムセス2世の奮闘」
アメン師団の応戦虚しく、ヒッタイト軍の猛攻によって隊は散り散りになってしまいました。
ラムセス2世は敵軍の中に一人取り残されることとになります。
アメン神に祈りを捧げた彼は、自軍の戦車に飛び乗り単騎で敵に突撃。
敵を蹴散らすファラオの姿を見た潰走中のアメン師団戦車隊やラー師団の兵士たちは奮起し、ヒッタイト軍を野営地から追い出すことに成功しました。
戦車に乗るラムセス2世が描かれたこの絵は、正に彼の奮闘を記したものです。
エピソード4「増援」
逃げるヒッタイト軍を追撃するラムセス2世。
ヒッタイト軍の戦車は3人乗りの重装兵部隊。
対してエジプト軍の戦車は2人乗りの弓兵部隊。
追撃となればスピードも射程も優るエジプト軍が有利でした。
エジプト軍が追撃に兵力を割いている隙をつき、がら空きの野営地をヒッタイト軍は戦車部隊での攻撃を始めます。
しかしこのヒッタイト戦車部隊は直後に壊滅することになります。
がら空きであったはずの野営地には、血気盛んな若手と傭兵で構成された部隊であるネアリム師団の救援が既に到着していたのです。
更にヒッタイト軍に不運が重なります。
ネアリム師団との戦闘中、エジプト軍精鋭部隊のプタハ師団が到着。
ヒッタイト軍は何の戦果も挙げられず本陣に逃げ帰るのでした。
以上。
エピソードEX
実際はラムセス2世が単騎で敵軍に突撃したのかどうかは謎です。
英雄としての姿を見せるための創作の可能性もありますが、ヒッタイト側がこの戦いをエジプト側ほど細かく記録に残すことをしていないこともあり、真偽は不明である。
更に両軍が勝利を宣言しており、どちらが勝ったのかも正直謎である。
史上初の平和条約
その後は両軍とも一進一退の攻防を続けましたが、補給の確保が難しくなったラムセス2世はカデシュの占領を諦めます。
その後15年以上も争いが続くことになるが、ヒッタイト王がハットゥシリに変わった頃、ラムセス2世はヒッタイトと平和条約を結ぶことになります。
この平和条約によりかつては敵国同士であった両国は、技術提供をし合うまでの関係を持つようになっていきました。
ラムセス2世の巨大建築
ヒッタイトと和平を結んだあと、ラムセス2世は巨大建築事業に力を入れました。
ルクソール神やカルナック神殿、高さ25メートルに及ぶオベリスク(現在はパリのコンコルドに移動している)などは彼が増築したものです。
その建造物の雄大さや規模から、彼は建造王とも呼ばれています。
そして、人によっては聞き馴染んだ名前が別にあります。
即位名“ウセルマアトラー・セテプエンラー(強きラーの正義・秩序、ラーに選ばれし者)
またの名を“オジマンディアス”と呼ばれています。
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