歴史

鉄血外交ここに極まれり~ビスマルク⑥~

歴史

の続き…。

 

普墺戦争にて大勝利を収めたプロイセン王国。

 

ドイツ連邦を解体し、オーストリアを除外した北ドイツ連邦が誕生します。

 

この功績によって、これまで政敵だった自由主義派の議員や民衆たちビスマルク側になびいてきます。

 

ドイツ統一に向け大きく前進したプロイセン王国ですが、乗り越えなければいけない二つの壁がありました。

 

一つ目は南ドイツとの対立関係の改善。

 

二つ目はフランス帝国の介入阻止です。

 

南ドイツとの対立

バイエルン国王ルートヴィヒ二世
ルートヴィヒ二世
ルートヴィヒ二世

お金ないし…、宗教的な壁もあるし…。

ドイツの中でも、プロイセンを主権とするドイツ統一に異議を唱える国がありました。

 

バイエルン王国をはじめとする南ドイツの国々です。

先の普墺戦争(プロイセンVSオーストリア)にて、敗戦国のオーストリア側で参戦していた南ドイツ。

 

多額ではないにしろ敗戦による賠償金の支払いや、プロテスタント(北ドイツ)カトリック(南ドイツ)間での宗教的な対立もあり、同じドイツ地域だとは言ってもプロイセンと仲間割れしている状態でした。

 

ビスマルクの資金援助

バイエルン国王ルートヴィヒ二世
 ルートヴィヒ二世
ルートヴィヒ二世

これで夢の城が建てられる!

この問題解決の足掛かりとしてビスマルクは、財政難に陥っていたバイエルン王国に対し資金援助をします。

 

バイエルン国王のルートヴィヒ二世は、自分のだけの城を建てるという夢を持っていました。

 

財政難だった国を立て直せば城の建設に取り掛かれると考えたルートヴィヒ二世は、この資金援助によって敵対姿勢を軟化させます。

 

しかしまだ南北対立の垣根を取り払うことはできませんでした。

 

フランスの介入

フランス皇帝ナポレオン三世
 ナポレオン三世
ナポレオン三世

隣に大国ができてしまうのは本当にまずい!

中でも北ドイツ連邦の成立に恐怖していたのは、フランス皇帝ナポレオン三世でした。

 

まさか普墺戦争にてオーストリアが敗北するとは考えていなかったナポレオンは、プロイセン王国の強さを危険視するようになっていました。

 

さらに今まで北ドイツの緩衝地帯となっていた南ドイツの国々までも統一されてしまうと、フランスの主権にかかわる問題に発展しかねません。

 

ただでさえ大国スペインと隣接してるのに、それと同等の国ができるのは何としても阻止したかったのです。

 

スペインの王位継承問題

フランスを挟み撃ちにできるやもしれん…。次期スペイン国王になってくれまいか?

 <strong>レオポルト</strong>
レオポルト

…まぁ、いいですよ。

1870年、なんとかこの状況を打開しようと模索するビスマルクに転機が訪れます。

 

スペイン内で革命が起き、王位空席ができたのです。

 

ビスマルクは、プロイセン王家と血縁関係にあるホーエンツォレルン家のレオポルトを推薦します。

 

あまり乗り気ではないながらも承諾したレオポルト。

 

もし、スペイン王がレオポルトに決まると、フランスがプロイセン王家によって挟み撃ちになる構図が出来上がります。

 

エムス電報事件

  ナポレオン三世
ナポレオン三世

今後一切プロイセン王家を関わらせるな!

もちろんこれにはフランスも黙っていません。

 

戦争も辞さないと言うほど猛烈に反発。

 

プロイセン王国ヴィルヘルム一世に対“今後一切スペイン王継承にプロイセン王家を選ばないで頂きたい”旨の電報(エムス電報)を送りました。

エムス電報

 

 

ビスマルク
ビスマルク

(この電報は利用できるな…。)

ビスマルクはこの電報の存在を知り、内容を嘘でない範囲に書き換えます。

 

書き換えられた電報がヴィルヘルムに届くや否や、

フランス帝国がプロイセン国王ヴィルヘルム一世に対し無礼な申し出をしたこと

国王がそれを断り今後一切フランス大使との面会を謝絶したこと

にして新聞に掲載。

 

これによってプロイセン国民フランスに猛反発南ドイツの民衆ですら反フランスの立場をとるようになりました。

 

このエムス電報事件を利用したビスマルクの企てにより、ドイツ統一の二つの壁のうち南ドイツとの対立という壁は既に問題ではならない程になっていました。

 

普仏戦争開戦

ナポレオン三世
ナポレオン三世

こうなったら戦争だ。(泣)

エムス電報事件から一週間もたたないうちにフランスプロイセンへ宣戦布告

 

このとき既にプロイセン側は、北ドイツ連邦だけでなく南ドイツとも同盟を組んでおり、

「フランス」VS「北ドイツ連邦(プロイセン)、バーデン大公国、ヴュルテンベルク王国、そしてバイエルン王国」

更には西にはいつ動くかとも分からないスペイン王国…。

 

という最悪な形での開戦になりました。

 

フランスに宣戦布告をさせたことこそ、ビスマルクが大国フランスに向けて仕掛けた最大級の罠だったのです。

 

まさに無慈悲な鉄血外交…。

 

宣戦布告をしたナポレオン三世は、あまりにもドイツ軍もといプロイセン軍と戦うのが嫌すぎて、議会の場で涙を流したそうです。

 

次回:普仏戦争開戦

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