ロバート・フックは哲学、生物学、自然学、博物学など多彩に活躍した17世紀の学者です。
“バネの伸びは引く力に比例する”というフックの法則を発見したり、顕微鏡で細胞を観察し“生物の最小単位を細胞(Cell)と決定付けた”人物でもあります。
今回は絶対王政陥落後の激動のイギリスを生きた人物ロバート・フックについて触れていきます。
ロバート・フック
ロバート・フックはイギリス南部に位置するワイト島で生まれました。
聖職者である父のもと6人兄妹の5番目に生まれました。
生まれつき体が弱かったロバートは満足に学校行くことができなかったため、自宅で勉強することを余儀なくされていました。
そんな彼は幼いころから動物の観察や機械の分解が好きで、真鍮時計の構造を理解すると木で模型を作って遊んでいたそうです。
1648年頃には父が他界してしまいます。
父はロバートが興味をもっていた時計職人や本の絵師になれるよう、ある程度の遺産を残していきました。
遺産を手にロンドンに渡ったロバートは、宮廷画家のピーター・レリーの下で絵の修行をしようと考えていました。
しかし彼の優秀さに気づいたレリーは、ウェスト・ミンスタースクール(イギリスの私立中学校)への入学を推薦。
元から本を読むことが好きだったロバートにとって、学校で勉強できるなんて思ってもみないことでした。
スクールに入学した彼は、ラテン語やギリシャ語を難なく修得。
そしてユークリッド幾何学と出会い、力学の世界に魅了されていくのです。
ボイルとの出会い
その後オックスフォード大学に進学したフック(以下ロバートをフックで統一)は、医師のトーマス・ウィリスやボイルの法則で有名なロバート・ボイルらの助手として雇われます。
ここで医学、化学、数学、物理学等を徹底的に学び、その才能を開花させていきます。
特にボイルの下では、彼の研究を数学的な分野で支え続けました。
一説によるとボイルの法則を数学的にまとめ上げたのもフックであると言われています。
フック曰く「ロバート・ボイルは大雑把すぎる」とのことです…。
王立協会設立
時は経ち1660年、彼に転機が訪れます。
トーマス・ウィリスらによって王立協会が設立されたのです。
王立協会は正式名“自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会(The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge)”と言い、科学・自然学の謎を観察や実験によって探求する民間団体です。
フックやボイルらはその初期会員として参加し研究に打ち込むようになっていきます。
同王立協会が設立した年、彼は早くもバネの伸びは引く力に比例するというフックの法則を発見します。
彼はこの発見を“ceiiinosssttuv”という暗号で記録し、1678年の発表まで取っておきます。(Ut tensio, sic visのアナグラム)
これは研究の裏付けがとれるまでに他の研究者にアイデアを横取りされないための工夫であり、
もし先に誰かが発表しても「あなたよりも前に発見していた」と主張する証拠にするためのものでした。
ライプニッツ、ガリレオ、ホイヘンス…などなど、自分の発見に暗号を使う科学者は多く、科学的な新発見には横取りがつきものだったことが分かります。
前半はここまでで一旦の区切りとします。
この頃は歴史的な発見をする科学者が多く、科学者の間でも起源主張の対立が巻き起こるエキサイティングな時代でした。
ある程度のずる賢さがないと、科学者として生き残れなかったのかもしれませんね。
もしかしたら有名な科学者の代わりに、名も知らぬ科学者がとんでもない発見をしていたのかもしれません。
見えない歴史の影を想像するのもまた面白いです。
次回はフックについての後編です。
王立協会が世界の科学の中心になる中の彼についてまとめていきます。
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